天気 曇/雨 18mm 13.8 7.9℃ 66% 3.5m西
昨日は、日中は、厚い雲に覆われたどんよりした天気で夜から雨がふりだした。
午前中、昨日記131209月(日付間違えてました。)を書きつつ、NHKのクローズアップ現代で取り上げていた尊敬するネルソン・マンデラ氏のことについて考えた。
彼は獄中で、南アフリカ白人達の話す独自の言語とも言える「アフリカーンス語」を看守から学び、白人看守と意思疎通を図り、看守達から尊敬を受けていたことは知らなかった。
ネルソン・マンデラしが目指す虹の国の精神は、(キリスト教の「隣人愛」でもあり、)東洋においても、儒教で言う「恕」と同じであることを書いた。
憎しみは、憎しみを生み、建設的なものは何も生まれてこない。
例えば、日本が戦後もアメリカに対し憎しみに満ちた敵意を持っていたなら、日本の成長も無かったであろう。
中国の孔子が唱えた儒教は、中国全土に広がり、あるときはひどい迫害も受けたが(焚書坑儒)、それを乗り越え今では中国、朝鮮、日本は儒教文化圏に属していて、更に現代では、論語は西欧のビジネスマンにも読まれ、西欧社会でも認知されている。
我々日本人には、一般の中国の人以上に儒教精神が入り込み、日本人の精神的支柱にの一つでもある。
好むと好まざるとに係わらず、日本社会の行動様式や社会的倫理規範・常識に深く刷り込まれている。
日本文化に大きな影響を与えている武士道精神も、江戸時代に幕府が武士に儒教教育(論語の習得)を強力に推し進め、それが庶民にも広がっり、庶民も武士道に近い同様の倫理観を持つようになり、商人の間でも商人道を説くものも多く出た。(例:石門心学の石田梅岩 二宮尊徳 三方よしの精神)
私は、管理社会に都合のいい、儒教の精神のなかの考え方には、民主主義や自由平等や個人の権利といった点において、合わないところがあり、部分的に疑問や問題点を意識している。
それでも、私の心の基層には、一般の日本人としての儒教精神が入っているが、常に西洋の民主主義や自由平等や個人の権利と照合していて、意識しないと心底に流れる儒教精神に流される可能性がある。
日本国憲法は、西欧の自由、民主主義の思想で貫かれていて、社会システムもそうなっているし、表現する人は、自由主義者であり、管理中心の思想とは本質的になじまない。
儒教は基本的に管理者支配者に都合の良い倫理体系なのである。(例:忠君愛国)
社会主義国の中国が、人民管理のために儒教を採用しつつあるのは、悪くは無いが、それで自由や個人の尊重・人権がないがしろにされることに利用されるのなら問題だろう。
この問題に関連することについて、更に深く考察できそうだが、長くなるので別の機会に書く。
午後からは飯炊き等の家事に追われた後、ジムに行って、筋トレをした。
15分ほど中1分の休みを入れて時速9..4kmから9.8kmの普段より高速で走った。
持久力よりは、高速走行の筋肉をつけるためだ。
運動直後は、疲れたが、シャワーを浴びた後は、疲れも無く爽快だった。
寝る前に、昼間購入した食材を含め、8食分の食材切分作業を1時間余りした。
昨日は、日中は、厚い雲に覆われたどんよりした天気で夜から雨がふりだした。
午前中、昨日記131209月(日付間違えてました。)を書きつつ、NHKのクローズアップ現代で取り上げていた尊敬するネルソン・マンデラ氏のことについて考えた。
彼は獄中で、南アフリカ白人達の話す独自の言語とも言える「アフリカーンス語」を看守から学び、白人看守と意思疎通を図り、看守達から尊敬を受けていたことは知らなかった。
ネルソン・マンデラしが目指す虹の国の精神は、(キリスト教の「隣人愛」でもあり、)東洋においても、儒教で言う「恕」と同じであることを書いた。
憎しみは、憎しみを生み、建設的なものは何も生まれてこない。
例えば、日本が戦後もアメリカに対し憎しみに満ちた敵意を持っていたなら、日本の成長も無かったであろう。
中国の孔子が唱えた儒教は、中国全土に広がり、あるときはひどい迫害も受けたが(焚書坑儒)、それを乗り越え今では中国、朝鮮、日本は儒教文化圏に属していて、更に現代では、論語は西欧のビジネスマンにも読まれ、西欧社会でも認知されている。
我々日本人には、一般の中国の人以上に儒教精神が入り込み、日本人の精神的支柱にの一つでもある。
好むと好まざるとに係わらず、日本社会の行動様式や社会的倫理規範・常識に深く刷り込まれている。
日本文化に大きな影響を与えている武士道精神も、江戸時代に幕府が武士に儒教教育(論語の習得)を強力に推し進め、それが庶民にも広がっり、庶民も武士道に近い同様の倫理観を持つようになり、商人の間でも商人道を説くものも多く出た。(例:石門心学の石田梅岩 二宮尊徳 三方よしの精神)
私は、管理社会に都合のいい、儒教の精神のなかの考え方には、民主主義や自由平等や個人の権利といった点において、合わないところがあり、部分的に疑問や問題点を意識している。
それでも、私の心の基層には、一般の日本人としての儒教精神が入っているが、常に西洋の民主主義や自由平等や個人の権利と照合していて、意識しないと心底に流れる儒教精神に流される可能性がある。
日本国憲法は、西欧の自由、民主主義の思想で貫かれていて、社会システムもそうなっているし、表現する人は、自由主義者であり、管理中心の思想とは本質的になじまない。
儒教は基本的に管理者支配者に都合の良い倫理体系なのである。(例:忠君愛国)
社会主義国の中国が、人民管理のために儒教を採用しつつあるのは、悪くは無いが、それで自由や個人の尊重・人権がないがしろにされることに利用されるのなら問題だろう。
この問題に関連することについて、更に深く考察できそうだが、長くなるので別の機会に書く。
午後からは飯炊き等の家事に追われた後、ジムに行って、筋トレをした。
15分ほど中1分の休みを入れて時速9..4kmから9.8kmの普段より高速で走った。
持久力よりは、高速走行の筋肉をつけるためだ。
運動直後は、疲れたが、シャワーを浴びた後は、疲れも無く爽快だった。
寝る前に、昼間購入した食材を含め、8食分の食材切分作業を1時間余りした。