天気 曇 0mm 10.4 5.5℃ 53% 3.9m西南西
昨日は、6時に目覚ましで起きたが、日曜日であることと、前夜PCを触って熱中し寝たのが2時になったので二度寝することにした。
目覚ましを切って再び起きたら8時半近かった。
一昨日のFBのネットのOSをグーグルクロムに切り替えてから、FBの動作の遅延とかフリーズがなくなったので、投稿の多いサイトの設定の表示の変更をし、一度に出来るだけ多くの人の情報を見ることが出来るよう設定変更をした。
ついでにtw(ツイッター)の書き込みを見ながら、信頼できそうなツイッターのフォロワーをフォローした。
昼食も遅くなり、更に遅くなった昨日記を書き上げて投稿した。
7時までに京都のJARFO に着かなければならないので、時計を見ながら昨日記を書いた。
ブログを書き上げて投稿し、すぐに家を出た。
京阪三条に着いたのは、6時45分前だった。
三条通を早足で歩いて東へ向かった。
7時には、到着できることが分かったので、角のファストフードに入ってコーヒーを飲んだ。
京都地下鉄東山駅の東にある、JARFOに着いたのは、丁度7時だった。
すぐに尾崎眞人氏(京都市美術館学芸課長)の話は始まった。
一枚の切手シートのようなもの(作品)が会場に居た先頭の出席者に渡され、それが出席者の間を手渡しで巡っった。
それを手にした人は一刻それを観察し、多くの人は、しげしげとそれを観察し、首をかしげながら次の人に渡した。
この講座は、各自で自分なりに考えたその作品のタイトルを付ける(短冊に書く)ことから話は始まる。
作品が一巡した後、しばらくしてタイトルを書いた短冊がカイシュウされる。
ホワイトボードに、様々なタイトルが張り出され、内容のによりグループ化され、書いた人にその真意を聞く。
その後、先生からその作品と作家に関して、捉え方のヒントや作家の考えやその他付随したことが語られる。
このような形で、講座は進行していく。
その過程での、意見交換や質問のやり取りも、現代美術を見るための手掛かりとして参考になる。
この会では、美術の大家から学生までいて、自由に発言できる。
ところで、回覧されたその切手シートもどきを見たとき、下隅に小さくサインがしてあるのに気付いた。
OHTA?と読めた。
その瞬間は、作家に関しては大田という作家が作ったのだろうということしか思い浮かばず、具体的に今まで頭に入っている有名な作家は思い浮かばなかった。
切手シートもどきの下には中国残留孤児の詳細が小さな字で書かれていて、肖像画はその残留孤児本人の肖像画らしく、肖像画の上にはその人の中国名が書いてあった。
そうしたことを手掛かりに、2つのタイトルを書いて出した。
私が紙に書いて提出したタイトルの一つ、「私は誰」がその作品のタイトルにかなり近かった。
先生の説明では、作者は、伝達をコンセプトに切手というシステムを使った太田三郎という作家ということであった。
詳しい事は知らないかったが、その時初めて、どこかで切手をモチーフにした現代作家がいることを、見たか、聞いたことがあることを思い出した。
説明されるまで、大田三郎氏の事は全く思いつかなかった。
そもそも、太田氏の詳しい経歴も知らなかったのだ。(今ネットで調べて分かった。)
昨日はそれ以外の、太田氏の作品についても説明があった。
もう一つ、手にとって見ることが出来た作品は、牛乳瓶に切手状に裁断した楽譜を入れてキャップをし、切手状に裁断された楽譜を閉じ込めた作品だった。
この作品も、切手作品「私は誰ですか」と同じ方法で作品鑑賞が進められた。
これらの作品の特徴は、切手や牛乳瓶に閉じ込めるという形で、パターン化やシステム化をしているところに、特徴が見出されると指摘されていた。
それらの作品を実際に手にして、作家が作品を作るときに、(優れた作品を作るには)作家が作品に何をコンセプトにして作品に組み込むかという、自己決定力が重要であるとも講師の尾崎氏は語られた。
同じ形(システム)でも何を入れるかで、変わって来るとも言う。
なんとなく問題提起だけで終わる作品が、このごろ増えているが、そこで自己決定力が課題となるという先生の考え方のようだ。
多分、私の勝手な考えだが、尾崎氏の言う自己決定力とは、どれだけ問題を深く掘り下げその本質を認識し、それをパターンに凝集し象徴化して表現する力ではないかと思う。
問題の解決策まで提起するというのは表現としての美術の仕事ではなく、実務の政治の仕事であると、私は考えている。
講座終了前に、リーフレットが配布された。
京都市美術館開館80周年記念展「今日の美・コレクションの美・明日への美」が、12月14日から2014年2月23日まで京都市美術館で開催される案内だ。
そこには、毎回この講座に顔を見せておられる、郭徳俊氏や中村孝平氏の作品も展示されているという。
案内に書いてあるが、京都市美術館は同時代=現代美術品の収集から始まったとある。
その同時代作品の収集は今も続いているようだ。(現代作品の収集)
そのため、開館から80年経過した今、80年前の現代作品は、今では近代作品になったのだ。
この講座が終了後、いつもは外の飲みやで交流会が行われるようであるが、昨日は忘年会シーズンで、席が取れないためJARFO内での飲会となり、大いに盛り上がった。
同時代ギャラリーの関係者の方とも、お話することができた。
帰りの電車の都合で、10時半過ぎに先に退席して帰宅した。
幸い最終電車にはならず、12時前には帰宅できた。
昨日は、6時に目覚ましで起きたが、日曜日であることと、前夜PCを触って熱中し寝たのが2時になったので二度寝することにした。
目覚ましを切って再び起きたら8時半近かった。
一昨日のFBのネットのOSをグーグルクロムに切り替えてから、FBの動作の遅延とかフリーズがなくなったので、投稿の多いサイトの設定の表示の変更をし、一度に出来るだけ多くの人の情報を見ることが出来るよう設定変更をした。
ついでにtw(ツイッター)の書き込みを見ながら、信頼できそうなツイッターのフォロワーをフォローした。
昼食も遅くなり、更に遅くなった昨日記を書き上げて投稿した。
7時までに京都のJARFO に着かなければならないので、時計を見ながら昨日記を書いた。
ブログを書き上げて投稿し、すぐに家を出た。
京阪三条に着いたのは、6時45分前だった。
三条通を早足で歩いて東へ向かった。
7時には、到着できることが分かったので、角のファストフードに入ってコーヒーを飲んだ。
京都地下鉄東山駅の東にある、JARFOに着いたのは、丁度7時だった。
すぐに尾崎眞人氏(京都市美術館学芸課長)の話は始まった。
一枚の切手シートのようなもの(作品)が会場に居た先頭の出席者に渡され、それが出席者の間を手渡しで巡っった。
それを手にした人は一刻それを観察し、多くの人は、しげしげとそれを観察し、首をかしげながら次の人に渡した。
この講座は、各自で自分なりに考えたその作品のタイトルを付ける(短冊に書く)ことから話は始まる。
作品が一巡した後、しばらくしてタイトルを書いた短冊がカイシュウされる。
ホワイトボードに、様々なタイトルが張り出され、内容のによりグループ化され、書いた人にその真意を聞く。
その後、先生からその作品と作家に関して、捉え方のヒントや作家の考えやその他付随したことが語られる。
このような形で、講座は進行していく。
その過程での、意見交換や質問のやり取りも、現代美術を見るための手掛かりとして参考になる。
この会では、美術の大家から学生までいて、自由に発言できる。
ところで、回覧されたその切手シートもどきを見たとき、下隅に小さくサインがしてあるのに気付いた。
OHTA?と読めた。
その瞬間は、作家に関しては大田という作家が作ったのだろうということしか思い浮かばず、具体的に今まで頭に入っている有名な作家は思い浮かばなかった。
切手シートもどきの下には中国残留孤児の詳細が小さな字で書かれていて、肖像画はその残留孤児本人の肖像画らしく、肖像画の上にはその人の中国名が書いてあった。
そうしたことを手掛かりに、2つのタイトルを書いて出した。
私が紙に書いて提出したタイトルの一つ、「私は誰」がその作品のタイトルにかなり近かった。
先生の説明では、作者は、伝達をコンセプトに切手というシステムを使った太田三郎という作家ということであった。
詳しい事は知らないかったが、その時初めて、どこかで切手をモチーフにした現代作家がいることを、見たか、聞いたことがあることを思い出した。
説明されるまで、大田三郎氏の事は全く思いつかなかった。
そもそも、太田氏の詳しい経歴も知らなかったのだ。(今ネットで調べて分かった。)
昨日はそれ以外の、太田氏の作品についても説明があった。
もう一つ、手にとって見ることが出来た作品は、牛乳瓶に切手状に裁断した楽譜を入れてキャップをし、切手状に裁断された楽譜を閉じ込めた作品だった。
この作品も、切手作品「私は誰ですか」と同じ方法で作品鑑賞が進められた。
これらの作品の特徴は、切手や牛乳瓶に閉じ込めるという形で、パターン化やシステム化をしているところに、特徴が見出されると指摘されていた。
それらの作品を実際に手にして、作家が作品を作るときに、(優れた作品を作るには)作家が作品に何をコンセプトにして作品に組み込むかという、自己決定力が重要であるとも講師の尾崎氏は語られた。
同じ形(システム)でも何を入れるかで、変わって来るとも言う。
なんとなく問題提起だけで終わる作品が、このごろ増えているが、そこで自己決定力が課題となるという先生の考え方のようだ。
多分、私の勝手な考えだが、尾崎氏の言う自己決定力とは、どれだけ問題を深く掘り下げその本質を認識し、それをパターンに凝集し象徴化して表現する力ではないかと思う。
問題の解決策まで提起するというのは表現としての美術の仕事ではなく、実務の政治の仕事であると、私は考えている。
講座終了前に、リーフレットが配布された。
京都市美術館開館80周年記念展「今日の美・コレクションの美・明日への美」が、12月14日から2014年2月23日まで京都市美術館で開催される案内だ。
そこには、毎回この講座に顔を見せておられる、郭徳俊氏や中村孝平氏の作品も展示されているという。
案内に書いてあるが、京都市美術館は同時代=現代美術品の収集から始まったとある。
その同時代作品の収集は今も続いているようだ。(現代作品の収集)
そのため、開館から80年経過した今、80年前の現代作品は、今では近代作品になったのだ。
この講座が終了後、いつもは外の飲みやで交流会が行われるようであるが、昨日は忘年会シーズンで、席が取れないためJARFO内での飲会となり、大いに盛り上がった。
同時代ギャラリーの関係者の方とも、お話することができた。
帰りの電車の都合で、10時半過ぎに先に退席して帰宅した。
幸い最終電車にはならず、12時前には帰宅できた。