晴 最高/最低℃ =27.4 20.9
この日は、日曜なので休日ペースで朝寝坊しようと思ったが、いつも通りに目覚めた。
雨も上がりで、外には朝日が差しているのが分かった。
夏至の後なので夜明けは早いが、一応寝る前に今の周囲は、カーテンや断熱シートを鴨居からかけてできるだけ朝の光を防いでいる。
何もしなければ、まず今寝ている3畳の間は、玄関からの朝日で、4時頃には目覚めてしまう。
若い時から、眠りは深いようだが、それでもレム睡眠が多くなる夜明け頃には、光や音にはよく反応し目を覚ます。
何も対策もせず、余程疲れて爆睡していない限り、夜明けの自然光(直射日光は入らないが、室内表からの自然光で明るくなる)だけで必ず目を覚ます。
夏至と梅雨が重なっていて、睡眠には明け方の明かりがさえぎられて好都合なのだが、晴れるとどうしても早く目がさめやすいので、光遮断にいろいろ工夫をし、効果を上げている。
日曜日の朝、普段通りに起きた時は、朝6時から放送される、NHK第2放送の古典講読を聴く事が多い。
現在「宇治拾遺物語」の講読が進行中で、たまに早く起きた時に聞いているが、聞いていて平安から鎌倉時代の、各階層の生き方や風俗考え方、や信仰・迷信・風習等がわかって、非常に面白い。
特に宗教は、生活の中に生きていて、地獄極楽も信じられていて、宗教絡みの話や説話も多い。
役人や庶民の生活や人物にまつわるゴシップ(痴話話や胡散臭い人の笑い話や卑猥な話)なんかもおおらかに取り上げられていて、民衆の生活が垣間見える。
以前「伴大納言絵巻」や「信貴山縁起絵巻」の展覧会を見たが、そうした物に関連する伴大納言の記述があるのも、興味深かった。
「宇治拾遺物語」http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/1212_ujishui_01.htm#01
今、上記のネット上のテキストで、「3 鬼にこぶとらるゝ事」の話を読んだ。
多分古典講読で解説があったのだろうが、日曜日は朝寝坊していることが多く、このときは聞いていなかった。
この話は、昔話の「こぶとり爺さん」の話しで、脚色されて絵本もたくさん出ている。
第6話 「中納言師時法師の玉莖撿知事」の話は、卑猥な話でありながら、ユ―モラスでおおらかな笑いのある詐欺師のバカ話だ。
午後から京都と枚方に出かけた。
始めは枚方の展覧会に行く予定であったが、ついでに京都を回ることにした。
枚方の展覧会は夜7時までやっているので、京都を先に回ることにした。
京阪三条で降りて、蹴上の方に向かって歩いた。
16――クンスト・アルツト――モーニング――虹と、いつものコースを回った。
スズキやJARFOがこのコースから無くなったのは、寂しい。
時間があればまだまだ回りたいギャラリーもあるし、美術館にも行きたかったのだが、この日は枚方にもいかねばならないし、美術館に行くには貧乏老人の経済力では無理が生じるので、結局ギャラリー4軒しか回ることが出来なかった。
いくつかのギャラリーでは、作家さんから作品についていろいろな話や考えを聞くことが出来てよかった。
それぞれ、いい展覧会だった。
急いで京阪三条に戻り、京阪線のくずは駅に向かった。
くずは駅前の本館ハナノモール3Fのくずはアートギャラリーで「2016 表現の欲望 アールブリュット in ひらかた展」が行われている。
この催しは、塔本賢一さんひろこさんご夫妻が主宰するアトリエの障がいを持つ生徒さんたちの展覧会である。
昔ギャラリーをやっていた時に、塔本さんの企画で同じ形式の展覧会を行ったことがあり、そうしたご縁で今も、同様の催しには観に行くようにしているので、十数年前から知っている人の作品も多かった。
30人近くの作家が作品を発表し、壮観だった。
アールブリュットの作品は、何より自由奔放な生命力があふれている点に特徴がある。
まさに、美術教育のフィルターのない、各人の生の感動が伝わってきて、こちらも元気づけられる感じがする。
芸術に共通することだが、才能のある人のみならず、多分誰でも基礎的な手ほどきを受ければ、その後は自発的に展開していくものだと思っているが、一般の人は周囲に影響され、様々な知識による自己規制やもっと評価されたいという名誉欲や自尊心が強すぎて、自由に表現できないが、そうしたことにとらわれない人(一般の芸術家も含む)は、自由に表現するようになり、その表現の欲望が作品の魅力となる。
この展覧会を見終えてから、気分が明るくなって帰りの電車に乗った。
この日は、日曜なので休日ペースで朝寝坊しようと思ったが、いつも通りに目覚めた。
雨も上がりで、外には朝日が差しているのが分かった。
夏至の後なので夜明けは早いが、一応寝る前に今の周囲は、カーテンや断熱シートを鴨居からかけてできるだけ朝の光を防いでいる。
何もしなければ、まず今寝ている3畳の間は、玄関からの朝日で、4時頃には目覚めてしまう。
若い時から、眠りは深いようだが、それでもレム睡眠が多くなる夜明け頃には、光や音にはよく反応し目を覚ます。
何も対策もせず、余程疲れて爆睡していない限り、夜明けの自然光(直射日光は入らないが、室内表からの自然光で明るくなる)だけで必ず目を覚ます。
夏至と梅雨が重なっていて、睡眠には明け方の明かりがさえぎられて好都合なのだが、晴れるとどうしても早く目がさめやすいので、光遮断にいろいろ工夫をし、効果を上げている。
日曜日の朝、普段通りに起きた時は、朝6時から放送される、NHK第2放送の古典講読を聴く事が多い。
現在「宇治拾遺物語」の講読が進行中で、たまに早く起きた時に聞いているが、聞いていて平安から鎌倉時代の、各階層の生き方や風俗考え方、や信仰・迷信・風習等がわかって、非常に面白い。
特に宗教は、生活の中に生きていて、地獄極楽も信じられていて、宗教絡みの話や説話も多い。
役人や庶民の生活や人物にまつわるゴシップ(痴話話や胡散臭い人の笑い話や卑猥な話)なんかもおおらかに取り上げられていて、民衆の生活が垣間見える。
以前「伴大納言絵巻」や「信貴山縁起絵巻」の展覧会を見たが、そうした物に関連する伴大納言の記述があるのも、興味深かった。
「宇治拾遺物語」http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/1212_ujishui_01.htm#01
今、上記のネット上のテキストで、「3 鬼にこぶとらるゝ事」の話を読んだ。
多分古典講読で解説があったのだろうが、日曜日は朝寝坊していることが多く、このときは聞いていなかった。
この話は、昔話の「こぶとり爺さん」の話しで、脚色されて絵本もたくさん出ている。
第6話 「中納言師時法師の玉莖撿知事」の話は、卑猥な話でありながら、ユ―モラスでおおらかな笑いのある詐欺師のバカ話だ。
午後から京都と枚方に出かけた。
始めは枚方の展覧会に行く予定であったが、ついでに京都を回ることにした。
枚方の展覧会は夜7時までやっているので、京都を先に回ることにした。
京阪三条で降りて、蹴上の方に向かって歩いた。
16――クンスト・アルツト――モーニング――虹と、いつものコースを回った。
スズキやJARFOがこのコースから無くなったのは、寂しい。
時間があればまだまだ回りたいギャラリーもあるし、美術館にも行きたかったのだが、この日は枚方にもいかねばならないし、美術館に行くには貧乏老人の経済力では無理が生じるので、結局ギャラリー4軒しか回ることが出来なかった。
いくつかのギャラリーでは、作家さんから作品についていろいろな話や考えを聞くことが出来てよかった。
それぞれ、いい展覧会だった。
急いで京阪三条に戻り、京阪線のくずは駅に向かった。
くずは駅前の本館ハナノモール3Fのくずはアートギャラリーで「2016 表現の欲望 アールブリュット in ひらかた展」が行われている。
この催しは、塔本賢一さんひろこさんご夫妻が主宰するアトリエの障がいを持つ生徒さんたちの展覧会である。
昔ギャラリーをやっていた時に、塔本さんの企画で同じ形式の展覧会を行ったことがあり、そうしたご縁で今も、同様の催しには観に行くようにしているので、十数年前から知っている人の作品も多かった。
30人近くの作家が作品を発表し、壮観だった。
アールブリュットの作品は、何より自由奔放な生命力があふれている点に特徴がある。
まさに、美術教育のフィルターのない、各人の生の感動が伝わってきて、こちらも元気づけられる感じがする。
芸術に共通することだが、才能のある人のみならず、多分誰でも基礎的な手ほどきを受ければ、その後は自発的に展開していくものだと思っているが、一般の人は周囲に影響され、様々な知識による自己規制やもっと評価されたいという名誉欲や自尊心が強すぎて、自由に表現できないが、そうしたことにとらわれない人(一般の芸術家も含む)は、自由に表現するようになり、その表現の欲望が作品の魅力となる。
この展覧会を見終えてから、気分が明るくなって帰りの電車に乗った。