たま駅長がなくなって悲しいです。
9年前、ニュースでたま駅長の事を知り、すぐ休日の時、和歌山まで行きました。
あの時は、駅は今と違って古い建物でした。
たまちゃんは、お母さん猫と兄弟猫と仲良くひなたぼっこをしていました。
人が少なかったので、目の前でさわったりする事が出来ました。
たまちゃんに会いに何回も足を運びました。
思い出をたくさん残してくれました。
多くの人に愛されて可愛がられて幸せでしたね。
飼い主さんの悲しみも落ち着いて来ますよう、お祈りします。
たまちゃん、ありがとう。
親代わりに大きく育てるワン―。福井県坂井市丸岡町南横地、丹尾ヒロ子さん(65)の飼い犬「クッシュ」が、丹尾さんが拾ってきた子猫に授乳しており、近所で話題になっている。クッシュは妊娠経験がないが、子猫におっぱいを吸われるうち出るようになった。丹尾さんは「母性に目覚めたのでは」と温かく見守っている。
クッシュは3歳のミニチュアシュナウザー。昨年10月、丹尾さんがまだ目の開いていない雌の子猫「小梅」を拾ってきた。ミルクがうまく飲めず、おっぱいを欲しがる小梅を見かねて、丹尾さんがクッシュの乳房に小梅を近づけると元気よく吸い始めた。間もなくクッシュの乳房が張ってきたという。
■人々を守った“命の番人”
忠犬ハチ公の故郷は秋田県北の大館市だが、県南の横手市平鹿(ひらか)町には「忠猫(ちゅうびょう)」と刻まれた碑がある。
明治時代の大地主、伊勢多右衛門(たえもん)(1833~1914年)の庭園だった浅舞(あさまい)公園の片隅にあるこの碑の意味は、地元の人にも知られていなかった。
「『忠猫』ってなんだろうと、ずっと疑問でした。三味線に使った猫を弔う碑なのかもしれないと。でも、それなら『忠』じゃないし…」
そう思っていた社会福祉法人理事長の畠山博さん(76)は4年前、小学校教諭の簗瀬(やなせ)均さん(56)に伊勢家の古文書を読み込んでもらい、次のような経緯を知った。
多右衛門は貧しい人を助けたり凶作や災害に備えるために、感恩講という慈善組織をつくり、コメを蓄えていた。庭園を人々が憩う公園にする工事も進めていた。
ところが、村のあちこちにある米蔵はネズミに荒らされ、庭園は野ネズミやヘビによって木や側溝、堤に被害が出ていた。
すると、飼っていた白まだらの雌猫が米蔵を回ってはネズミを捕り、庭園の野ネズミやヘビも10年ほどかけて絶滅させた。
多右衛門は自分の意を体して働く猫に感動した。その姿は、神仏が乗り移って人々を守ろうとする「命の番人」に見えた。生涯、子供を産まず、聖女のようだったという。
猫は明治40(1907)年2月15日、13歳で死んだ。多右衛門は翌年、この話を末永く伝えようと、庭園に碑を建てた。「永遠にこの功徳を伝えたい。碑を見る人々よ、忠義な猫の功績を忘れないでほしい」。多右衛門はそう書き残した…。
忠猫碑の真相を知った畠山さんは「忠猫の話は全国的に珍しい。この史実をまず地元の人に知ってもらい、さらに地域振興にもつなげたい」と考え、有志と一緒に準備。2年前に「『忠義な猫』でまちおこし推進委員会」を発足させ、会長になった。
忠義な猫にちなんだ歌のCDを作ったり、詩人や民話の専門家に頼んで昔語りに仕立ててもらったりした。「忠義な猫杯」カラオケ大会を開催。観光土産にと、「招福猫サブレ」も発売した。今後は踊りも創作する予定だ。
学校現場でも取り上げられている。平鹿中美術部の生徒たちが絵を描き、横手高放送部が編集して紙芝居DVDを制作。浅舞小の児童の研究成果が小学校社会科研究発表会で発表され、高い評価を受けたこともある。
簗瀬さんは「動物だって人に尽くすこともあるんだと、子供たちに感動を与える話。教材に適しています」と話す。
忠猫碑は来年、浅舞公園に隣接する浅舞八幡神社の境内に移設される予定だ。近くには「忠義な猫」に関するパンフレットなどを置く案内所も設ける。
「今後は行政も巻き込んで、全国にPRしていきたいと思います」。畠山さんの夢は膨らむ。(渡辺浩)
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■メモ 「『忠義な猫』でまちおこし推進委員会」の連絡先は(電)0182・24・3386。招福猫サブレは「おかしの加賀屋」で販売している。息子たちと店を切り盛りする加賀屋愛子さん(64)は「食べやすいと、子供にも年配の人にも人気です。地元の名物にしていきたいと思います」と話す。1個103円、8個入り929円。(電)0182・24・1167。
★トマトハウス、猫が守る 中央市の農家で活躍
2014年08月22日(金)
中央市今福の農業今福正嗣さん(69)が栽培するトマトのビニールハウスで、番犬ならぬ
“番猫”3匹が見張り役として活躍している。ネズミによる被害に悩んでいた今福さんが
15年ほど前にハウスで飼い始め、被害が全くなくなった。今福さんは「猫には感謝、感謝。
安定した栽培ができるのも猫のおかげ」と話している。
今福さんがネズミの被害に遭い始めたのは18年ほど前。当時土耕栽培から、室温や水分などの
栽培環境を管理できる水耕栽培に切り替えたことで、ネズミが発生するようになり、
トマトを食べられたり、養液を流す管を食いちぎられたりする被害に遭うようになった。
「ネズミを退治してくれる捨て猫がほしい」と親戚の獣医師に相談したところ、雌の野良猫1匹を
譲り受けた。「ミーコ」と名付け、朝、夕にハウスで餌付けを始めると、“番猫”として
すみ着くようになった。ネズミのふんや土を掘った跡なども全くなくなったという。
ミーコは約7年前に雌猫を産むと、雌の孫猫も産まれ、現在トマトを守るのは3匹に。
いずれも避妊手術を施した。今福さんによると、ミーコを譲り受ける前は、自宅の飼い猫を夜間、
ハウスに置いてくるなどしたが、すぐに自宅に戻ってきてしまったといい、「番猫は野良猫に限る。
ネズミをよく捕まえるので、今ではネズミがすっかり近づかなくなった」と3匹に全幅の信頼を寄せる。
市商工会青年部が高級ブランド化を目指すフルーツトマト「ポモディア」を栽培するほか、
同市の農産物直売所「四季新鮮収穫広場 た・から」にさまざまな種類のトマトを積極的に出荷する今福さん。
「おいしいトマトが栽培できるのも、ミーコらのおかげ。これからも番猫としての活躍を期待したい」と笑う。
猫ちゃんも大事に可愛がってもらって、幸せに暮らしてね。
写真を見ても微笑ましいです。猫警備が守ったトマトを食べる機会があったら
買います。