盂蘭盆法要も終わり先祖の冥福を祈り、感謝の気持ちと命の繋がりを考えてみた。以前にも一度調べたことがあったがあるブログの三枝さんという方の記事を読んで自分を顧みる気持ちになった。
今は結婚して姓名も変わったが、生まれは山梨県出身の三枝という氏である。山梨には三枝という名前は確かに多い父母が眠るお寺さんも父の祖先の立派な墓などがある。昔今は亡き伯父から聞いたことがある話では武田信玄公の代に武田二十四将という武将の中の一人であったと聞いていたので。三枝名があるかと探してみた。
三枝 昌貞(さいぐさ まささだ)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の家臣で武田二十四将の一人に数えられる。諱は「守友(もりとも)」とされてきたが、近年は確実な文書上の表記から「昌貞」であることが指摘される。
と書かれている。武田信玄公は城を持たない武将であった。武田節の歌詞にも書かれているが人は石垣人は城とある。私の好きな武田節の歌詞
山梨の甲府駅前に日本百名城の一つ「甲府城」は、武田氏滅亡後16世紀末に築城され、かつては20ヘクタールほどの広大な城郭でしたが、現在は城跡の一部が「舞鶴城公園」として開放公園」として開放されている。
この舞鶴城には春桜が咲くと家族そろってお弁当を持って遊びに行ったところで思い出深い場所だ。立派なお城はないが城郭は残っている。
武田家代々が住んでいたのは父親武田 信虎が築いた躑躅ヶ崎館に住まわれていた。甲府の北側にある武田神社である。
今日はここまで明日に続きます。