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写真付きで日記や趣味を書く日々を過ごしながら・・・

大変だ!楽しいよ!疲れた!

2018年07月31日 | 趣味

孫二人との生活も7日目になる。何とかリズムが分かりかけてきたが、昔息子たちを育てた頃とはずいぶん違いがある、今流の若い親の育て方の違いも感じて大変だと思うことがある。

しかし老人二人の静か過ぎる(会話が少ない)生活環境が一転してにぎやかな動きのある生活に良い刺激をもらっている。

次男息子の孫たちは小さい時から我家には出入りしていたので、彼らはそれ程環境の違いは感じないだろう。ただ息子から厳しい婆ちゃんだと聞いてきたのか多少の気を使っているように見える。

朝6時半に起きてくる。寝起きはいい方だ、まずは自分たちの部屋の布団かた付けと掃除をする。そしてシャワーを浴びて朝食・・・爺は5時に起きているので洗濯物は終了しているので、孫たちは自分の物は干して手伝うことに決めた。

          

最初の塾通いは徒歩だったが、暑いし自転車の許可が出たので今は自転車で通っている。

最初の日の見送り

                 

今は爺ちゃんと話し合いながら(ポンプの使い方など)

          

出発!

          

                   

二男は午後はプログラミングの操作に夢中である

          

教えてあげたいが、もう私にも分からないので本を読みながら何とか進めている。

三男は夏祭りでもらってきた金魚を育てて楽しんでいる。朝塾に行く前に金魚の入れ物の掃除をしてえさやりをしている。

          

とにかく忙しい、買い物が数倍に増えて自転車を使うしかない。気持がよいほど食欲旺盛で爺婆用の釜はいつもカラッポになる。作り甲斐はあるものの老人の食べ物とは違うのでそれが悩みだ。

孫たちが塾に行っている間に買い物を済ませて昼食の支度となる。洋裁道具は全部しまってしまった。みんなが出かけた後はまた洗濯ダァ~ベランダがいっぱいで階下の庭に干すしかない。

          

確かににぎやかで楽しいが疲れるわ。息子二人を育てた頃こんなに動いただろうか。趣味の仕事をしながら結構忙しかったとは思うが、若さで疲れは感じなかったよなぁ~。

この年齢なので疲れるのは当たり前だが、夏休みまでのこと楽しみながら頑張ろう!孫たちにとってもいい思い出になるだろう。

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今朝の朝顔

2018年07月23日 | 日記

          

朝から日差しが強すぎて気がついたらもう花弁が萎れてしまった。

          

25日から小学6年・4年の孫を預かることになった。なぜか我家の近くの夏期講習塾に申し込んだとの事爺婆の家から通うことになった。この事は次男の要望らしいので受けることになる。

一番心配なのは食事のこと老人食では育ち盛りの男の子には向かないだろう。野菜の煮物が多い我家ではハイカラな洋食は私には作れない。ピザが好きと言われても焼いた事もない。

今日は子供用のスリッパや洋服入れの箱などを買ってきた。次男の要望はとにかく整理整頓を厳しくしつけてくれということである。孫たちにとっても大変な厳しい夏休みになることだろう。

昨日次男が孫と挨拶に来て玄関に入るなり「婆ちゃんちの玄関はごみひとつないだろう。余計な物は玄関には置かないんだぞ」と言い聞かせていた。毎日掃除をすること、洗濯物も干すのは自分たちですること、等と言い含めていた。

動きの激しい男の子二人の面倒は、預かる方もこれは大変だァ~!

盆休みは10日間山梨に連れて行くとの事なので息抜きは出来そうだ。嫁さんの実家が山梨なのであちらの婆ちゃんは優しい方なのでホッとするだろう。嫁さんは一人っ子でやさしく育てられていただろうが、うちは男の子二人だもん育てられ方が違うだろう。

話は変わるが、長男・次男家族が集まる時は決まって厳しすぎた母親の話が話題になり、大げさに鬼婆扱いをして大笑いになる。スリッパでたたかれたとかトイレの掃除をさせられた、かたつけないと3回目には捨てられた等ゝ話題には私のことを滅茶苦茶にけなして楽しんでいる。

私自身も決して優しい母親ではなかったと思っている。男の子を育てるには優しさだけではいけないと思っていた。その頃の連れ合いは仕事一筋で我家は母子家庭だった。鬼婆にならざるを得ないこともあったのだ。

その鬼婆に自分の子供を預けてるとはいい度胸をしているよ! 私もほんのチョッと若返って頑張ろうかな! たぶん病で弱気になっている私にやる気を起こさせようとしているのかも?*+:@$&

明後日からてんやわんやの大賑わいになりそうだ。当分PCはお休みになるかも・・・・

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パソコンと出会って16年・・・NO4

2018年07月16日 | 趣味

パソコン倶楽部が発足したのは2000年だった。私は途中からの入会だったが、2005年の5周年記念やその後の10周年記念祝賀会に仲間たちと楽しい日々を過ごすことができた。

5周年をホテルニューオータニで迎えた時の写真だが、顔がわからないように縮小した。少人数からの倶楽部発足が5周年でこの人数になっていた。(2クラス合同)

 

         2クラス合同写真                          勉強中

↓ 例のだんご三姉妹の初めての顔出し、大切な仲間で企画部長のMさんとHさん(水彩画の達人)

2005年

10周年を期に例のだんご三姉妹はパソコン倶楽部を退会することに決める。その10周年記念(同じ場所)の集合写真がなぜか見つからないUSB CDなどすべて調べたが、1枚だけ誰かが写してくれたのが残っているだけだった。その1枚はパーティーの最後の余興に以前流行した「だんご三兄弟」という歌にのせて踊った三姉妹の写真・・・ここから三人の仲間の名前が通称だんご三姉妹となる。

             

最後に作った十数年前のホームページですが、半分はJavaScriptのプログラミングの勉強不足で変更できなくて作動しません。直したいのですが、FTPサーバーのパスワードを忘れてしまい接続 できない、やり直しの気力もないし記憶もまばらで手がつけられない。中途半端なもので恥ずかしいが、PCが不調でいつ止まるか焦り気味である。

旅行記も画像が移動している部分がある。これも勉強不足に気づく、十数年間開くこともなく閉じ込めたままだったので不具合も気がつかなかった。

 

いまは小学生でも作れるような物ですが、あの時代65歳の老婆がやっと作ったHPだとお笑いください。革工芸・旅行記・沖縄編のみをお勧めです。ハワイの旅は別リンクですので旅行記からは見られないので個別にクリックしてください。

オレンジ印は作動しません。ここ をクリックすると見られます。

                http://www11.plala.or.jp/ituko/

 

 

 

 

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HPの革工芸編・・・NO3

2018年07月15日 | 趣味

 革工芸部門のトップページはここからはじまる。

レザークラフトは1975年次男が幼稚園に入園して自分の時間が出来たのをきっかけに趣味としてはじめた。

趣味としては結構材料費にお金がかかるので大変だったが、数をこなさないと技術は向上しないので親戚や友人たちに注文をとり材料費だけで作らせてもらった。手数料はゼロで作らせてもらったお蔭で多くの数を作ることが出来た。

              私の仕事部屋

 他人の物を作るということで緊張感がある、趣味とは違うその気構えが良かったのか早めに日本手工芸指導協会の講師の資格を得られる。しかしその後の他人に教えるという事がどんなに大変なことかわかる。常に研究会に参加しなければならなかった。

新材料や新手法を身につけなければ続けられないのだ。カービングだけでは物足りなくなり、袋物・革絵・染物や人形等々と幅を広げないと生徒さんのニーズに応じることが困難になる。 好きなことなので大変だったことを楽しんでいたのである。一日が24時間では足りないといつも言っていた。

最初は公民館でレザー同好会を作り少数の仲間と作品つくりから始まる。

             

写真に残っている初期のカービングしたもの

このサイズは大きいもの

周りのカービングが大変だった、花も革(これも物置にある)

この染めは新染法でアクセサリーに使っていたエメラル塗料を初めて使ってみた。東京芸術劇場に出品した作品 今は飾るところがないので物置の奥でカビているだろう。

次回は不具合を直せなかった中途半端なHPを載せます。旅行記を追加している。

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HPのトップページの更新記録・・・NO2

2018年07月14日 | 趣味

今日はこのケースのCDからHPのトップページの更新画像を載せようと思う.       

HP作りに少し慣れてくると絵や写真だけではなく、少し内容を変えてみたくなる。そこで義兄に連絡して兄の句集本から少しづつブログに載せたい旨を伝える。了解を得て俳句を載せることにする。

          

そのページはこんな感じになる。

          

この頃兄は私に「俳句でも作ってみないか」と誘い、立派な季語などが載っている本を帰郷するたびに戴いてきたが、風流なこの世界には私は向いていなかったようだ。兄の病気がちな様子に少しでも気分を句に向けて欲しいと思いコーナーつくりをしたのである。

JavaScriptに興味を持ち写真の画像に雪を降らせたり水面を波立たせる画像を作ってみる。しかしこれは受ける側がJavaを搭載していないと見られないことが後でわかる。

Javaソースの編集とはこんな感じのもの・・・これを参考に自分の好きな画像に作る

            

この頃は頻繁に表紙を変えていたような気がするが、全部は残ってはいない。順序も違うかもしれない・・・・

この記事を書こうとした時が戦後60年を迎える時期だったので、戦時中の私小学一年生が経験したことを書いておきたかった。間もなく終戦を迎える頃のことである。

             

自己流のパソコン画を載せ続けていたが、パソコン水彩画の通信講座を受けることにした、決められた作品を6ヶ月間描くことになる。

自己流の絵はペイントでこんな絵を描いていた。

          

 これも同じ自己流 

          

しかし通信講座を受けたが絵の感性がないので変わりはなかった。       

 

この辺りから自分の革工芸の作品を載せたくなる。この頃はもういい作品は手元に残っていず残り物だが別コーナーを作り載せはじめる。

          

つづく                                          コメント欄休

 

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