26日のMRI検査から立ち上がることも一歩も歩けなくなってしまった。這いずり回っているとひざが痛くなって どうしようかと悩んでいるっところに、洋裁仲間のKさんが心配して尋ねてきてくれた。
私の姿を見るなり「なぜもっと早く連絡してくれないのよ」と怒られた。
「息子さんたちにすぐ連絡しなさい。世話になるのがつらいなんていっている場合ではないでしょ」お見舞いに来てくれたのに怒られっぱなしである。 「ナツさんは遠慮しすぎだよ」
そして爺が帰宅したらすぐ介護施設に電話して車椅子とベットを頼みなさいと念を押して帰っていった。
五目御飯や煮物や顔や体を拭くようにとぬれタオルペパーまでも持ってきてくれた。
私は誰にも連絡はしてなかった。この状態を知っているのはブログの知り合いだけだった。息子たちにも友人にも姉妹にも心配させてたくなかったのだ。
最初は大腰筋炎症と診断され、次は骨にひびが入っているかも?と診断されたので、この程度で人に迷惑はかけられないと思っていた。最終的にあまりの激痛でMRIをうけて背中管狭窄症の痛みだとわかったのだ。
杖を頼りに歩けるうちはそれほどの不安はなかったが、一歩も歩けなくなって焦りが出た。
爺のケアマネージャーの対応が早くてその日のうちに車椅子とベットが届いた。こんなうれしかったことはなかった。有難い事だ。
車椅子に乗って洗面室で三日目に自分で洗顔・歯磨きができたときは涙が出てきた。
まだ操作は下手だがパソコン部屋にも来れる。狭い家だが1階は自由に動ける、気分が明るくなった。
脳梗塞の薬を1週間中止しないと硬膜外ブロック注射ができないという。5/7に受ける予約をした。
友人に言われ息子たちにも連絡した。次男は今日来るらしい、長男からもメールが届いた。
洋裁仲間からも毎日連絡があり楽しく会話をしている。連絡してないのは例の三姉妹だけこれには理由あり・・・三姉妹で一日遊んだその日に異常を感じたので、変な心配をさせたくなかった。
痛みがなくなったら笑いながら連絡しようと思っている。
ブロック注射で痛みが取れなかったら手術となるだろう。まだ5年くらいは生きていたい。