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natu blog

写真付きで日記や趣味を書く日々を過ごしながら・・・

何かが折れた?切れた?音がした・・・・・やっちまったよ!

2015年08月28日 | 日記

キィ! と確かに音が聞こえた。

19日の朝食の後Gから24日にはリホームの職人さんが入るので家の周りの植木鉢を整理しないと・・・と言われていた。

食後すぐたくさんの鉢植えをかたつけて最後の一番大きいカルミアの鉢を持った瞬間腰のあたりからキィ!と鈍い音がした。アッ!やってしまったとすぐわかった。ぎっくり腰は初めての経験だ。

その姿をベラダから見ていたGが大きな声で「どうした?」 「ぎっくり腰をしてしまったわ」

「やめろって言ったじゃないか。人の言うことを聞かないからだよ」とブツブツ怒ったいる。外に座っていることもできないので体を丸めたままリビングに這うように入る。

その場所からもう一寸たりとも動けない。伏せたまま少しでも動こうとするとピリピリ線香花火のように痛みが走る。その姿は砂浜に打ち上げられたトドのようである。

Gも少し腰を痛めたぐらいに思っていたのか二階から降りてこない。数分が長く感じられたがやっとリビングに来たので「おとうさん パソコンでぎっくり腰の応急措置の仕方を調べてください。」とお願いする。

ブツブツ怒りながら調べてはくれた、痛い患部を温めるといいと書いてあると言うので、温めるカイロを腰の周りに三枚も貼り付ける。(これは本当は間違いの措置であった)どこを調べたのかまったくゥ~

その日はカーペットの上で一日過ごす。腰のキィ!の音が気になり骨に異常があると困ると心配になる。

明日もこんな状態なら救急車をよんでもらえるかしら・・・と尋ねたらGはぎっくり腰ぐらいで救急車は使えない、命に別状ないのだから明日病院に行って相談してくるということになった。しかし次の日は休館日でGは薬局で貼り薬と痛み止めを買ってきてくれた。

二日間はトドのままトイレに行くには匍匐前進で肘を使って這うのである。三日目に少し体を動かすことができた。支えられながら杖を引いてタクシーで病院へ行く。

骨には異常なし。三日目から食事は宅配弁当を1週間頼む事にした。マズイ!病人食のようで薄味だ。

24日からリホームがはじまり人の出入りが激しいが二階の寝室には行かれずこのリビングの隅っこで寝ているのである。

長く座っているとまだ痛みがあるので今日はこの辺で・・・・・・・・

 

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お盆とは・・・感謝の気持ちで!!!

2015年08月17日 | 日記

山梨の新盆から帰宅し16日は盂蘭盆会の法要に出かけた。

盂蘭盆とはインド語のウランバナの音写を用いた言葉だという。

            帰り道デジカメでよそ様の庭の百日紅を一写

今回の法話は「親思う心にまさる親心」と題してのお話を聞いてきた。

吉田松陰が詠んだ辞世の句

『親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん』

親が子を思う心の強さに勝るものはない、その親や祖先に感謝の気持ちでありがとうございましたと言って手を合わせるのが浄土真宗ののお墓参りの仕方であると話された。

親鸞聖人の像にはお花がいっぱい飾られていた。

法話を聞いた帰り道 思いが異なる相手を歎くより異なっているのは自分かも知れないと振り返ることの大切さを感じたが中々そこまでの心境にはなれない自分が居る。

自分とは考え方見方の違う相手に対して歎いたり、落ち込んだり 憤慨したり 憎んだり 怒ったりそんな自分を変えることができいるのだろうか。

亡くなった義兄の兄嫁さんの姿を見ていろいろな意味で感慨深い思いである。すべてを許すその姿に・・・

 

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景色も人も様変わり・・・

2015年08月15日 | 趣味

義兄の新盆で山梨に14日朝早く出かけた。乗り換えなしで船橋から石和温泉まで行く列車は一日に1本しか出ていない。

朝6時53分に乗ると石和には9時02分には着いてしまう。いつもは乗り換えをしながら安い運賃で行くのだが、今回は多分お寺さんの関係で午前中にお坊さんが来るだろうと予想して早めに出かけることにしたが・・・大外れとなる。

降りた駅が去年までは田舎の温泉郷の小さなでも趣のある駅だったが様変わりしてしまいがっかりした。 ↓石和温泉駅

             

温泉駅には不釣り合いな感じで出口を見つけるのに二人でアタフタする。

田舎のお盆は新盆とはいえ何と訪問者の多いことか、朝から喪服姿のの人や親戚や挨拶するのが大忙しである。お茶とお菓子ぐらいだが昼になるとこれまた大変である。

Gの実家なので顔見知りは少なかったが、私の実家の弟も顔を出してくれた。元気な様子でひと安心する。

義兄が亡くなった時は兄嫁さんも元気だったが、気難しい義兄を見送ってホッとしたのか寂しくなったのか腰が曲がって歩くのもおぼつかない様子、認知症がだいぶ進んで話の食い違いがあり最初は確かな話だと思ってGは真剣に聞いていた。

兄嫁「うちの爺さんは奥の土地にもう一軒うちを建てたんだよ」

G「誰が住んでいるの?」

兄嫁「人には貸せないじゃん、返してもらえないと困るから・・・」この時点で私にはわかったが??

みんなが来るので桃を食べてもらおうと朝採りに行ったら○○(長女)が全部とって行ってしまった。

このあたりでGも変だと気がついたようだ。兄嫁もいよいよ始まってしまった。

長女は屋敷内奥に家を建てて住んでいるのだが義兄の土地相続に対していろいろ問題があったようだ。三姉妹で長女も次女も結婚した時点で土地はもらっているのだが家を継いでいるのは三女である。 こういう話には口出し無用でただ聞くのみである。

63歳・60歳・58歳の三姉妹で実家のそばに住んでいるのだから仲良くやってほしいと願うばかりである。

Gの実家は田舎風で確かに広いが床の間の二間続きの部屋にもエアコンがない。あの広いうちに孫の部屋にだけ1台しかなかった。扇風機はどの部屋にもあるがあの暑さの風しか来ないのだからとても長居はできない。熱中症になってしまいそう。

でもあそこに住んでいると慣れなのか家族は汗をかいていないのだ。流れる汗はどうも私だけのようだ。

 

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衝撃の写真&ヒルガオの花

2015年08月12日 | 日記

私がいつも伺っている青木新門さんのHPからシェアさせていただいた。写真には新門さんの詩も添えられている。  

             http://www7b.biglobe.ne.jp/~amitaabha/boy.html

この少年は戦後どんな人生を歩んできたのだろう。年齢は私と同じ歳くらいだろうか。小学校1,2年生だと思う。噛み締めたこの唇どんなに苦しかったことか。

こんな思いはもう懲り懲りだ。戦争がどれほどに酷いことかこの写真の少年を見れば分かるではないか。

戦争に進むことだけは許せない。人間を国を破壊する原発も然り。

私は戦時中川崎の溝の口に住んでいた。川崎にはあの頃軍需工場が多かったのでアメリカの襲撃は激しかった。一日のうち防空壕と家を何度往復したかわからない程である。

逃げ惑う頭上で低空飛行で襲撃をされた事も多々あった。あまりの激しさに私と妹は父の山梨の実家に疎開させられた。疎開先でも食糧難で従兄妹達が4人もいる家なので私と妹は親戚とはいえ辛い日々を送ることになった。

父母弟(赤ちゃん)が暮らしている川崎と山梨がとてつもなく離れていることは分かってはいても妹の手を引いて何回家出をしたかわからない。いつも駅で叔母さんにつかまるのだ。お金はないのだから汽車に乗ることはできないのに駅に向かうあの時の気持ちは小学1年生と4歳の妹にとっては辛さを通り過ぎたほどのものであった。

戦いはどんな理由があろうとやってはいけないことだ!!! 


 

                         

今日昼頃Gの声が聞こえる「お~い!なにか咲いたぞ」 そういえばだいぶ前から蕾はあったが朝顔のようにすぐ咲かないので忘れていた。今年は3種類くらい種を蒔いたが白い朝顔は咲いたが蒔いた場所が悪かったのか伸びが悪くて諦めていた。

一つだけやっと咲いたヒルガオの花 真っ白で大きな花  慌ててデジカメで一写

こんなに暑いのによく萎れないわねと呟くとそばでGが「昼顔だから昼咲くんだろうよ」

そうか朝顔ではなかったんだ。これがヒルガオだったのね。出かける前に咲いた姿を見せてくれてありがとう!!!

来年はもっと陽の当たるいい場所に植えてあげよう!

 

 

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花炭&ある地名が気になって・・・花巻・遠野・・・hisaさんを思い出す

2015年08月10日 | 日記

東北新幹線に乗って停車した新花巻駅その駅名を見て花巻から遠野市を思い出しそしてhisaさんを思い出した。よくhisaさんは車で花巻に出かけていた。元気な方だったが今はどこで何をしているのだろう。

ずっと心のどこかで心配しながら過ごしていたので岩手を通り過ぎて尚その思いが強く感じるのである。

病は軽くすんだのだろうか。PCをする気力がなくなってしまったのだろうか。いろいろ想像するともう一度お話をしたい気持ちに駆られる。メールをしても返事がない。今どこにいるの??

私が落ち込むとメールやお手紙で励ましてくれたhisaさん もし今あなたが落ち込んでいるのなら今度は私が励ましたいのに・・・連絡のしようがないの

息子さんのブログは拝見してはいる。hisaさんのことが何か分かるのではないかと読んではいるが想像するしかない状態である。

せめて電話でお話だけでもしてみたい。旅行から帰ってきてずっとそんなことばかり考えている。


先日お世話になった石山さんの奥様から花炭の作品が届いた。壊れないように上手に箱分けして送ってくださった。

炭にしたものなので毬栗の細いトゲはすぐ折れてしまうので気をつけながら取り出す。写真に写したが黒い物を撮るのは難しいということがわかった。

            

本当の色は下の色合いである。

           

栗のイガもほうずきの薄い皮もそのまま炭になっている。

                   

 

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