この椿の木は35,6年前に家族旅行で大島に行ったとき、子供たちが3本の椿の苗をお土産に貰ってきたものである。
狭い我が家の庭に育ち大木にならないようにと与作爺が毎年剪定はしていたが幹は太くなり高さも見上げるようになって花を一杯つけてくれた。
ところが去年与作爺は高齢者の家には高い木は手入れが出来なくなると言って、2本の木を伐採してしまった、日陰で育ちのよくない一本は生き延びる事ができたのだ。
その木も小さく切り込まれたが、蕾をたくさん出して咲き始めた。愛おしい花だが何となく元気がない、花の大きさも控えめである。
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これも生き延びた紅白万両、鉢植えだったので何とか伐られずにすんだ。赤い実の千両は増えすぎてむさくるしいといって刈り取られてしまった。
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思った事はすぐ実行する与作爺は働き者で有り難いが、やりすぎる面が困ることでもある。今日はディサービスで留守だが、昨日はA銀行にお金を下ろしに行ってもらったが、向かいのB銀行でおろしたので手数料を取られた・・・といって帰宅した。最近はこういう間違いが多くなった。間違った事は分かっているようだがその言い訳が面白い。
1週間前は自分のお小遣いをおろそうとしたが、暗証番号を忘れてしまい電話がかかってきた事もあった。だんだんこういうことが多くなってきた。気をつけねばならない。
「あの あそこに置いた、あれはどこにあるんだ?」 「あれってどこに置いたのかな?」 毎日こんな会話が続く日々である。私も同じ感じかもしれない。
今日は次男のお嫁さんと電話で長話をした。嫁さんの田舎のお母さんが認知症で介護支援1になったと言う。まだ生活に支障はないようだがケアマネージャさんに1週間に一度ヘルパーさんを頼む事になったようだ。娘のところで一緒に住むようにみんなで進めたが断られた事があったのでそれ以来無理は言わないようにしてきた。
一人住まいなので嫁さんも心配だろう、昨日は日帰りで行ってきたという。なるたけ行く回数を多くして様子を見てあげて欲しいとお願いをした。
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