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写真付きで日記や趣味を書く日々を過ごしながら・・・

献立

2023年08月31日 | 日記

ごはんの献立は1週間分前もって戴きます。

     こんな感じに出してくれるのでその献立に合わせて自分好みの追加料理を持っていきます。先日は珍しくベトナム料理が出て私の知っている料理とは少し違いましたがチェーというぜんざいが美味しかったです。

     

私の知っているコムタンとかフォーやゴイ・クオンではなかったが、久しぶりのタイ料理に満足でした。

今日は風が少し涼しく感じたのでヘルメット着用で自転車で遠乗りをしました。

     ここは市営所でプールも体操もできる所野菜などの買い物もできます。ブドウを買ったり爺の好きな豆類を仕入れてきました。今夜の追加料理はお刺身にしました。久しぶりの生ものに爺は大喜びで大盛ご飯を平らげていました。でも全然太りません、痩せるばかりで心配です。帰り道でパチリ道端の花

    

    

今日は少し運動になったと思います。自転車の坂道は結構大変!

 

 

 

     

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雑記(展示物交換)

2023年08月29日 | 日記

午前中はデイケア半日 ストレッチ・太極拳・マシン運動などを週2回送迎で通っている。私は物足りない感じがするが、439爺には合っていて本人は満足している。

午後は自分の部屋の入り口のスペースに飾ってある作品を交換した。革の状差しなので水を入れることが出来ないため造花しか飾れないので時々変える事にしている。今日のこの造花はいつも伺っている金剛山四季の花ブログに載っていたシラネセンキュウ(セリ科)の花に似ているので買ってきたのである。

           

横の額は昔描いた革絵です。年月が経ち色あせています。革絵に夢中になっていた頃が懐かしい革絵の後はパソコン画に一時期一生懸命になった。次回はパソコン画を載せます。エプソンの用紙がないとスキャンできないので出かけないと何もできない。ここは本当に何もない田舎だよ。コンビニが一軒だけで何もねぇ~⁉でも緑はいっぱい林は至る所に だから幸せかも・・・散歩していても人に会わないし時々車が通るだけよ。

     

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追加惣菜は茄子と豚肉の炒め

2023年08月28日 | 日記

決められている献立のほかに毎回何かしら惣菜を持参する。インスタント食品もあり・冷凍食品を解凍することもある。昨日は茄子と豚肉の炒め物を作る。狭い台所で不自由だがこれも一つの楽しみだ。

     二人分これで充分

豚肉は先日の残りを冷凍して置いたもの

     

流し台も自宅の3分の一の狭さだ。調味料の置き場所がない。一つ一つ作業を終えて場所を確保する。不便でも料理は楽しい、自分の食べたいものを自分味で作れるのだから幸せ間違いなしよ。

     

やっとフライパンに移る

     私の隠し味は何にでもこれを入れる

         

炒めてこれを爺と二つの容器に詰めて食堂に持っていくのである。美味でしたご飯が進む・・・・

439爺は何を作って持っていっても無関心で出されたものを黙々と食べるだけで、施設で出される惣菜だけでも不自由は感じないようだ。食べ物に対しては好き嫌いも甘いも辛いも関係なく何でもいいような人である。

味音痴の人と60数年暮らしたのだから私の料理の腕も上達はしなったということになる。でも息子は料理人になった。私の家系は父母も姉妹も料理上手である。私の生まれは戦前料亭経営の家に生を受け、戦後は大衆食堂(今のレストラン風)を経営してしていた家で育った。生まれてから女学校を卒業するまで食に関する中で育てられたので舌には自信があったはずだ。そして息子も料理店を持ち繋がることが出来た。

ところがなんと私の料理の腕と関係なく味音痴の人と結婚してしまい一度も褒められることなく今日に至っているのである。本当の事を言うと私は食べることは好きだが料理はだんだん好きではなくなっていたことは事実だ。美味しい美味しいと褒められていたら料理上手の妻になっていただろう。以上今日は食の話で終わり

最後にもう一度書いておこう・・・60年間毎日三食料理して褒められたことが一度もなかった。せめて誕生日の特別料理位一度でもいいから「美味しかったよ」の一言が欲しかったと思うのが本音です。もう遅わ⁉⁉**でもいまだに爺の分まで作り続けている私。。。。。。。。。。。。腐れ縁とはこういう事ね?????

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8月26日は最高の日になった

2023年08月26日 | 日記

このところずっと気分低下気味だった。食欲なし意欲もなく動くこともなくただぼんやりテレビを眺める日々が多かった。視力が急激に低下してすべてがぼんやり霧がかかった状態になっていたのだ。

でもでも今日の私の部屋には次男のお嫁さんと孫が来てくれて賑やかに存分に話が出来た。午前中次男から電話があり孫がくるのはわかっていた。大学生の孫が車の運転免許証を3日前とったので初めての運転場所が母親を乗せてジジババの施設に行くことにしたとの事だった。なんて嬉しいことでしょう。

玄関前まで出て待っていた。孫の運転姿を見て感慨無量あの初孫のチビちゃんが立派な体格の青年になって車を運転して来てくれるなんてなんと嬉しく有難い事かと・・・・嫁さんとニコニコ顔でやってきた。

今度行きたいところに僕が連れて行ってあげるからいつでも電話してと約束する。まずは焼肉を食べに行こう‼

この孫が5歳くらいの時我が家の18歳の老犬(目も見えない)を世話して散歩に連れ出すときの写真である。

       

小さい頃はよく我が家に集まり賑やかに過ごしたものである。私の孫4人全員男の子、長男と次男の子たち

          こんな楽しい時もあった。

みんな素直に健康に育ってくれてありがとう❣ 二人のお嫁さんたちに感謝である。

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雑記 ルーツ探し続き

2023年08月17日 | 日記

武田信玄が住んでいたという武田神社

  

鳥居を背に続くこの道を少し下ったところに私の通っていた学校がある。山梨大学付属小・中学校である。甲府の南位置に住んでいた私はこの北位置の学校まで自転車で通っていた、この一本道は少し坂道だったので朝は大変だったが帰りは坂道を勢いよく降りるのが楽しかった思い出がある。

ルーツ探しを始めたが奥が深すぎて今日も半日パソコンに張り付きトレーニングもしてない。武田信玄24武将の一人という事までにすればよかったがその後がとめどもなく続いてしまった。我が実家の家紋と同じだ。

     

ここから先がもう理解できない。

    

  建許呂命(たけころのみこと)は古墳時代の豪族。
『姓氏録』によれば天津彦根命の14世あるいは12世の子孫にあたり、中央氏族の三枝部連と庵智造(以上大和国神別)、高市県主(和泉国神別)の祖とされる。。。。。こうなると意味不明状態になるがこの先はもっと大変なことになる。

        

        『姓氏録』によれば天津彦根命の14世あるいは12世の子孫にあたり、中央氏族の三枝部連と庵智造(以上大和国神別)、高市県主(和泉国神別)の祖とされる。

こんなことを調べて何を分かろうとしているのか自分でも分からなくなってきた。

いまも、甲斐(山梨県)には三枝姓を名乗る家が多く、三枝氏の血脈はこうして現代に受け継がれたのである。一方、三枝氏の一族である石原氏は、武田滅亡後、徳川家康に仕え徳川旗本として続いた。

この後進めていくと

「皇別」・「神別」・「諸蕃」に分類してその祖先を明らかにし、氏名(うじな)の由来、分岐の様子などを記述するものである…平安時代になる。

白河上皇は、鳥羽天皇の第一皇子(崇徳天皇)を皇位につけた後に崩じ、鳥羽上皇が院政を布くこととなった…とここまでくるともう繋がりも何も分からない。分からなくていいのだ。

清和源氏
源氏には祖とする天皇別に21の流派(源氏二十一流)があり、清和源氏はそのうちの一つで清和天皇から分かれた氏族である。天皇の位置関係も左右に分かれてどのようにたどり着くのか恐ろしくなり天皇ルーツは終了することにした。

       

大善寺は三枝氏が創建した関東でも屈指の古刹である
三枝守友の遠い先祖であることは間違いないだろう。
応保二年(1162)、甲斐守に任ぜられた藤原忠重は遥任国守として中原清弘を甲斐へ赴任させた。とはいえ、実務を預かったのは在庁官人の三枝守政であった。

武田信玄公のもとで戦いを続けた三枝守友武将と甲斐の国を実務で守ってきた三枝守政が居たことで充分であった。三枝氏に感謝の祈りをささげる。

 

 

 

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