病院に行く途中の空き地に咲いていた花
爺さんの通院している脳検査の結果を聞きに二人で出かけた。
1月半ばに病の状態を聞きに行ったとき個人情報は家族であっても話すことは出来ないと断られてので、今日は爺と一緒に行って聴いてきた。
2,3日前に楽しい思いをしたばかりなのに今日はつらい日になってしまった。
以前の病院の診断とこんなにも違いがあるのか分からなくなった。
迷い道に入ってしまった感じである。どうしていいかわからない。
一昨日の夜次男のお嫁さんから電話が入る。
「明日雨ですが、孫たちを連れて爺さんの所に行こうと思いますがお母さんを迎えに行ってもいいですか」という内容の連絡だった。
コロナウイルスの影響で学校も部活も休みになっているので、孫たちを一同に揃えて会う機会は滅多にないので連れて行きたいが、超神経質な爺の家に出かけてもいいだろうかと迷っている様子だった。
「喜ぶから一緒に行きましょう」と私
翌日は朝から雨で特別な寒さだったが、美味しいお弁当を沢山作って飲み物もお菓子も山ほど積んでみんなで来てくれた。
息子は仕事の都合で来られなかった。
外はみぞれが降る寒さだが、体の大きい高中小の男子の三人が部屋に入ると急に家の雰囲気が明るく心強く寒さなど吹き飛んでしまった。
爺さんにも連絡して置いたので朝からテーブルや椅子の用意などしてワクワク気分でいい顔をして待っていた。嬉しかっただろう・・・
調度お昼時になったのでテーブルに沢山のお弁当や果物を並べて大賑わいの食事がはじまる。与作爺はご満悦のひとときを迎えている。
午後はいつもの(幼い頃からつづく)トランプや腕相撲がはじまる。
「じいちゃん!もう僕たちには勝てないから無理しないで!」と言われても挑戦しようとする爺を見ながら孫の手に触って握りしめたいのだなぁ~と眺めていた。
ワイワイ騒ぎながらのこの幸せな雰囲気を与作爺は充分堪能することが出来たようだ。
お嫁さんに感謝である。そして皆で行ってこいと言ってくれた息子にありがとうと言いたい。 みんなの思いやりに感謝!感謝!
和やかな素晴らしいひとときをありがとう!
電車にはなるべく乗りたくなかったが、毛糸が足りなくなって(いつもケチケチ買うので)買い足しに出かけた。
駅前のスーパーにはトイレットペーパーもティシュも山積みで売っているではないか。4日前我が家のTPも3ロールしかなかったので、近くのD2に10時頃行ってみたら棚は空っぽ店員さんに「もうないのですか」
係「9時くらいから行列で9時半開店ですぐ売り切れました」とのことだった。
無くなったらその時は ふと思い出したのは終戦直後のお便所模様田舎に疎開していたのでお便所は外にあった便器の横には新聞紙の切ったのが積まれているか、雑誌が一冊置いてあるかどちらかである。そんな時代を経験している者にはTPがなくなる事くらいであたふたしない・・・??でもトイレ事情が違う昔はボットンだから新聞紙でのよかったのか今は新聞紙は流せない。やはり行列しかないのかな・・・・まぁ~3ロールがなくなったら考えようと思っていたのがよかったのだ。
この通り山積みである。誰も見もしないみんな素通りだよ。
あの行列は何だったのかな?並ばなくてよかった、朝早くから並んだ人はこれを見たらやりきれないことだろう。
そういえば1973年(昭和48年)のオイルショックの時もそうだった。長男の手を引いてスーパーに並んだことを思い出した。2018年のリーマン・ショック再来?の気配も感じられるこの頃である。
兎に角早くコロナに去って欲しいが、その後のオリンピック後も恐ろしさを感じるのは私だけだろうか。みんなが待ち望んでいることに水を差したくはないが・・・・・
こぶしの木だと思うが夕方暗くなり通りすぎて気がつき、振り返ってスマホで一写
アクリル毛糸で編んだマスクがとても使用基準には当てはまらないので、やはり布生地で作ろうと洋裁仲間のKさん宅に行ってきた。思った通り早くもリバティの生地で作り上げていた。
お見事でした。娘さんや親戚に配った後でまだこんなに残っていた。裏地にガーゼをつけてしっかり縫ってある。後はゴム紐をつければ出来上がりだ。
帰り道で見つけた 河津桜と思うが木の半分しか花がついていないのはなぜだろう。もう葉桜になりつつあるが一写
私は編み物の4着目の仕上げをして一時停止することにした。やはり洋裁がしたいのだ。4着目はかぎ針編みでサイズが大きすぎた。まだ編み物に関しては満足するものが仕上がらない。仕上がって初めて気がつくことばかりで歯がゆい・・・
スマホで鏡に映った自分を撮るとこんな感じになる。スマホの傾き加減でスマートに写すことも出来る。