いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

心もサービス? 80編

2005年10月01日 08時30分39秒 | 娘のエッセイ
 今年も二月十四日という一日が、無事に過ぎ去った。バブル全盛期には嵐の
ような一日だったが、今年は不景気のせいで春一番程度の勢いだったようだが。

 ところで、一体いつの頃からこのバレンたタインデーは、チヨコレート配布
デーに変わってしまったのだろう?恐らく、義理チョコなどという言葉の発生が、
諸悪の根源だ。

 私の十代のの頃も、似たようなものはあった。けれど、そこには、それなりの
気持ち、ラブではないけれどライクだよ、といったものが込められていた。

彼の友人に渡すチョコ、学校の先生に渡すチヨコ、それは義理なんかじゃなか
ったはずだった。

 だけど今は……。二月十四日の為のOLの出費額の平均は、幾らぐらいなの
だろう? 私が会社に勤めていた時は、”福沢諭吉よサヨウナラァ”の世界であ
った。

前日までに、まるでバーゲン会場のようなデパートの洋菓子売り場で奮闘し、当
日は大きな紙袋を抱えて満員電車に乗り込む。

擦れ違う女性同士、相手の紙袋の大きさに目を走らせ、『あなたもなの、大変
ね』という無言の言葉を交わしているように思えたのは私だけだろうか。

 バレンタインの伝説さえ知らないであろう人が多い日本では、この日をいっそ
のこと、チョコサービスデーと改名したらどうだろう。チョコをサービスし、
その日だけ愛情もサービスする。

もちろん、そのサービスには元手がかかっているから、サービスに対する
サービス、つまりお返しは必要不可欠である。

 ああ、でも虚しい。それは虚しすぎる。お金によって、時間も若さも愛情?も
サービスしてしまう女の子が身近にいた。彼女は美しくなかった。

サービスで心をあげることでデパートのようになり、自分のカラーを無くしてし
まっていた。

 バレンタインに限らず、『愛情をこめて』のメッセージ付きプレゼントを、私は
絶対にサービスなんかであげたくない。

 何事も、サービス過剰は時代遅れなのだ。
コメント
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