森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

脳は銀灰色

2007年07月09日 23時49分36秒 | 過去ログ
昨日は久し振りの休みで、少し買い物に出かけるが、さすがに久し振りなので逆に身体の「痛み」が全身に。忙しさの「意識」で、そのような「意識」を潜在化していたために、それが顕在化して、頸から腰にかけ、動けない状態になる。

さすがに今日のデスクワークは大変で、注意機能が作動せず、AMはたまっていた書類、そして健康科学研究所開所記念シンポジウム「健やかに暮らすために~脳とこころの科学からの新たな挑戦~」の案内の原稿を書く。メールもたまりにたまっていたので、その返信に昼休み追われる。

開所記念シンポジウムは伊藤正男先生、金子章道先生(本学研究科長)、山本隆先生(本学客員教授)、と脳研究の世界的権威が揃う予定。

畿央大学の挑戦が始まる。


午後は腰痛の悪化とともに、仕事がぶれるぶれる。
明日の講義資料をネットにUPするが、さっき神経系の資料をUPし忘れたことを発見。さらには、明日までの締め切り原稿の存在を忘れていたことが発覚。

明日は講義が4つあるが、原稿はいつに書くか・・・ 時間配分のワーキングメモリが稼動することを祈る。

あまりの腰痛の激しさに18時に帰り休む。

迷宮美術館を見て、コローの風景画に酔いしれる。
小学校のころ、県展(こども)で特選や、推薦をいただいたときは、もっぱら風景画だった。山を描くのが好きだったが、工場を描いたとき、灰色の建物が朱色に見え、そのまま全部朱色のグラデーションで描いた学童期が懐かしい。側頭葉のイメージで書いたと思うが、そう見えたのだからしかたない。多少、創造、予測も働いたが・・・煩悩なので。

コローの緑は、自然界の緑のように、同じではない。
自然界に存在する緑、よくよく観察してみると、その色の違いに気づく。
言語をもつということは整理するということだが、時としてそれは盲目になる。
リハビリの問題点抽出や目標設定なんぞも、その盲目さが浮き出る。

週末の学会は、その緑の意識の多様性を感じたい。
それが私のQOLだから。

コローは60歳まで評価が得られなかった。
自分が感動したものを信じる、その信念に感銘を受け、現代社会の郷に入れば郷に従うという、創造性のないひとたちを感じると、それは単なる人の評価を気にしているのではないかと思う。

一流は信念を貫くことから、すぐには評価はされない。
時代の先を読んでいるからだ。
未来はひとのためにある。

自分の信念とは何か、それを語れるセラピストに数多くであいたい。
それが一流というものである。
一流の逆が停滞である。
10年一昔と今、その己を比較照合してみると、昔話ばかりしている意識に出会わないだろうか。
この業界も「同一化」がはかられ、「面白さ」にかける。
「自由」を感じないのだ。
「自由」を奪われると「想像」は必要ない。
アウシュビッツ的リハビリテーションにお別れを。


しかし、コローの絵は「湿度」を感じる。
視覚から体性感覚への情報変換が起こり、共感覚が生じるのだ。


コローを見終わり、久しぶりにRed Warriorsの96年の復活ライブを見た。

Yukai、Shakeの体型を見ると、この3年で、おれの体型の変化はいかがなものかと思い、ステージ栄えしなくなった体をみて、少し生活を考えようと思った。

高校時代、Kiyoshiの重いベース音に憧れ、弦の末端に近い部分で弾くスタイルを真似たことがよみがえり、さびた弦を張り替えようと思った。

俺にとっての音楽は生活の一部だし、健康のエキスだし、そして、それ自体が脳と身体そんものなんだ。


今日、ラジオに杉山清貴が出ていて、T-REXなどのグラムをコピーしていたことを知った。人間の歴史は、今の見た目だけで判断してはいけない。

肝心なものは目に見えない。

そのひとの歴史を感じる、それがセラピストの評価にも必要だと思う。

どのように生きていたか、それに答えがあるかもしれない。