名古屋では天候に恵まれ(夜中に台風が通過し)、まずまずの2日間を過ごさせてもらった。
さすがに、夜中の台風は滅入ったが、それでも3次会、4次会へとはしごしようとする自分の「元気さ」は、どこからくるのだろう。
高校時代、朝までの5次会など、平気な自分によって鍛えられたのか、この際、未成年問題は伏せておこう。
名古屋で全般的に学んだことは、やはり、謙虚なこころと、他者(他の土俵)を知るということであろうか。
他流試合、相撲部屋でいう、他の部屋で出稽古に行き、そして、自らの身体とこころを誤差修正、あるいは改革する、そんなことも必要じゃないだろうか。
井のなかの蛙にならないように。
しかし、一流であれば、そのような他流試合は必要ない。
学問としての突き抜け感と、創造性、そして、当たり前のことは当たり前の事実として、歴史として知っているからだ。
突き抜ける人材(学術、文化、常識、非常識など、すべてにおいて)が求められる。
1400名の会員がいるが、そういう人材は、当たり前の「教育」では生まれないし、誰かに教わって「わかる」「できる」ものでもない。
senseとcreationの両方を持ちえている人材。
右脳と左脳、両方が優れている人材(バランスでない)。
前頭葉と頭頂葉の両方がその時々で使い分けれる人材。
言語と感性を持ちえて、ある状況で使い分けれる人材。
大脳皮質の創造性と、大脳辺縁系の情感性と、脳幹の自動性、このすべてがメタを効かせて、働く人材。
そんな人材があふれ出れば良いが。 それが僕の今の夢かな。
こればっかりは、誰かの後ろをついてばかりじゃ生まれないし、反逆児でも生まれない。
少々、学会に行って、そんなことを感じた。
言ってみれば、「予期」「予想」「予測」「予知」「創造」「想像」「期待」「推論」「推測」、こんなことが、自らの脳でぐるぐる循環し、あふれ出している人間かな。
結局は、相手のこころを読むっていうのもそれに相当するし、「学会」を読み、「学会」によって自らの使い分ける、そういうメタ認知もそこから生まれる。
雑誌によって、自分の文章を使い分け、最終的には、その雑誌(学会)と決別してもよし。それが一貫性をもたらせるのなら。
そこまでくるには時間が必要だが、こればっかしは、感性に由来する部分が多い。
10年一昔、それがまだ新しいとなると、臨床もまだまだ。
しかし、いつも新しいと感じ、それがズレていないという世界観の製作は難しい。
アーティストのアルバム作成も2作目までは勢いでいけるが、その後は実力になるから大変だ。 次回の東京では「楽園」をテーマにしたらと馬鹿げたアイデアを女性陣に言った(学会長・準備委員長ともに女性)。
このいつも新しいと感じることは「よさこい祭り」の踊り、音楽、地方車のアイデア、製作にも通じる。
「らしさ」を失わないように、「新しいもの」を製作する。
そのプロ魂がよさこいの製作者にはあると思う。
「宮田塾」の塾長(博くん)に、いつも感心させられるし、その人柄、リーダーシップにも。
研究者(創造性)と教育者(安定感)の両方を持ちえているのかな。
大事な時期に踊り子を学会に連れ出してごめんね。
名古屋では、宮本さんはさすがに「安定感」があると思った。
ブレが生じないと、それは写真の鮮明さのように、彼のこころの微動だに揺れないその精神の表れだと思う。
この安定感は、私の意識にとっての安定感であり、おそらく、長い間の付き合いなので、同期化している部分が多いのだろう。
しかし、「文化」的に思考する(感じるでない)には、学童期、青年期にどうすごして、どのように感じたか、そして、そのときから歴史に触れているかに相当に影響を受ける。
成人していれば、その捉えかたは、一人称になろうとしてもなかなかなれるものでない。
それが、結局は成人後のセンスとなる。
人文科学と自然科学、その分かれ方は、オックスフォードとケンブリッジに代表されるように、全世界でその分割化が起こっているが・・・がである。
一流のひとは、その両方に勝る。
日本の神経生理学者である酒田先生や岩村先生、神経心理学者の大東先生らは、自分の立場をわきまえた上で、発言しているし、フランス哲学、フランスの身体論、意識の哲学を解読しようと試みているが、自らは自然科学にいることから、現役学者バリバリのときは、そのような発言はしていない。
あくまでも、神経を追いかける立場で話している。
いずれにしても、用語など、どちらの科学・哲学で語られているのか、それぐらいは知ってもらい、その混同のないように、いろんな報告をセラピストにもしてもらいたい。
学会では内藤先生と研究についていろいろ話ができた。
道具と身体、言語の研究はわれわれのラボでもメインのひとつである。
近々、ATRのラボへ見学に行く予定である。
本学院生と共同研究できれば、リハ業界の発展につながるし、院生のなかから、ラボへ行く人材が現れてもいいと思う。セラピストが研究者になる、そういう道がいっぱいあっていいと思う。
そういや、MITから坂本さんが帰ってきたようだ。
面識はないが、新人時代によく論文をみた。その当時(神戸大のPT)は、股関節の研究をされていた。MITでは記憶(ハエ)の研究をしていると聞いた。
さて、奈良に帰り、授業準備、試験作成、論文修正、論文校正、執筆本校正といつもの時間に戻された。
この静けさが、一気に怒涛の仕事が増えそうで、不安だ。
まずは、荻野さんと千鳥さんにご苦労様といいたい。