森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

静けさのなかの不安

2007年07月17日 19時11分18秒 | 過去ログ

名古屋では天候に恵まれ(夜中に台風が通過し)、まずまずの2日間を過ごさせてもらった。

さすがに、夜中の台風は滅入ったが、それでも3次会、4次会へとはしごしようとする自分の「元気さ」は、どこからくるのだろう。

高校時代、朝までの5次会など、平気な自分によって鍛えられたのか、この際、未成年問題は伏せておこう。

名古屋で全般的に学んだことは、やはり、謙虚なこころと、他者(他の土俵)を知るということであろうか。

他流試合、相撲部屋でいう、他の部屋で出稽古に行き、そして、自らの身体とこころを誤差修正、あるいは改革する、そんなことも必要じゃないだろうか。

 

 井のなかの蛙にならないように。

 

しかし、一流であれば、そのような他流試合は必要ない。

学問としての突き抜け感と、創造性、そして、当たり前のことは当たり前の事実として、歴史として知っているからだ。

突き抜ける人材(学術、文化、常識、非常識など、すべてにおいて)が求められる。

1400名の会員がいるが、そういう人材は、当たり前の「教育」では生まれないし、誰かに教わって「わかる」「できる」ものでもない。

senseとcreationの両方を持ちえている人材。

右脳と左脳、両方が優れている人材(バランスでない)。

前頭葉と頭頂葉の両方がその時々で使い分けれる人材。

言語と感性を持ちえて、ある状況で使い分けれる人材。

大脳皮質の創造性と、大脳辺縁系の情感性と、脳幹の自動性、このすべてがメタを効かせて、働く人材。

 

そんな人材があふれ出れば良いが。 それが僕の今の夢かな。

こればっかりは、誰かの後ろをついてばかりじゃ生まれないし、反逆児でも生まれない。

少々、学会に行って、そんなことを感じた。

言ってみれば、「予期」「予想」「予測」「予知」「創造」「想像」「期待」「推論」「推測」、こんなことが、自らの脳でぐるぐる循環し、あふれ出している人間かな。

結局は、相手のこころを読むっていうのもそれに相当するし、「学会」を読み、「学会」によって自らの使い分ける、そういうメタ認知もそこから生まれる。

雑誌によって、自分の文章を使い分け、最終的には、その雑誌(学会)と決別してもよし。それが一貫性をもたらせるのなら。

そこまでくるには時間が必要だが、こればっかしは、感性に由来する部分が多い。

 

10年一昔、それがまだ新しいとなると、臨床もまだまだ。

しかし、いつも新しいと感じ、それがズレていないという世界観の製作は難しい。

アーティストのアルバム作成も2作目までは勢いでいけるが、その後は実力になるから大変だ。 次回の東京では「楽園」をテーマにしたらと馬鹿げたアイデアを女性陣に言った(学会長・準備委員長ともに女性)。

このいつも新しいと感じることは「よさこい祭り」の踊り、音楽、地方車のアイデア、製作にも通じる。

「らしさ」を失わないように、「新しいもの」を製作する。

そのプロ魂がよさこいの製作者にはあると思う。

「宮田塾」の塾長(博くん)に、いつも感心させられるし、その人柄、リーダーシップにも。

研究者(創造性)と教育者(安定感)の両方を持ちえているのかな。

 大事な時期に踊り子を学会に連れ出してごめんね。

 

名古屋では、宮本さんはさすがに「安定感」があると思った。

ブレが生じないと、それは写真の鮮明さのように、彼のこころの微動だに揺れないその精神の表れだと思う。

この安定感は、私の意識にとっての安定感であり、おそらく、長い間の付き合いなので、同期化している部分が多いのだろう。

 

しかし、「文化」的に思考する(感じるでない)には、学童期、青年期にどうすごして、どのように感じたか、そして、そのときから歴史に触れているかに相当に影響を受ける。

 成人していれば、その捉えかたは、一人称になろうとしてもなかなかなれるものでない。

それが、結局は成人後のセンスとなる。

 

人文科学と自然科学、その分かれ方は、オックスフォードとケンブリッジに代表されるように、全世界でその分割化が起こっているが・・・がである。

一流のひとは、その両方に勝る。

日本の神経生理学者である酒田先生や岩村先生、神経心理学者の大東先生らは、自分の立場をわきまえた上で、発言しているし、フランス哲学、フランスの身体論、意識の哲学を解読しようと試みているが、自らは自然科学にいることから、現役学者バリバリのときは、そのような発言はしていない。

あくまでも、神経を追いかける立場で話している。

いずれにしても、用語など、どちらの科学・哲学で語られているのか、それぐらいは知ってもらい、その混同のないように、いろんな報告をセラピストにもしてもらいたい。

 

学会では内藤先生と研究についていろいろ話ができた。

道具と身体、言語の研究はわれわれのラボでもメインのひとつである。

近々、ATRのラボへ見学に行く予定である。

本学院生と共同研究できれば、リハ業界の発展につながるし、院生のなかから、ラボへ行く人材が現れてもいいと思う。セラピストが研究者になる、そういう道がいっぱいあっていいと思う。

 

そういや、MITから坂本さんが帰ってきたようだ。

面識はないが、新人時代によく論文をみた。その当時(神戸大のPT)は、股関節の研究をされていた。MITでは記憶(ハエ)の研究をしていると聞いた。

 

さて、奈良に帰り、授業準備、試験作成、論文修正、論文校正、執筆本校正といつもの時間に戻された。

この静けさが、一気に怒涛の仕事が増えそうで、不安だ。

 

まずは、荻野さんと千鳥さんにご苦労様といいたい。

 

 


畿央大学健康科学部看護医療学科開設記念シンポジウム

2007年07月17日 10時56分12秒 | 過去ログ

畿央大学健康科学部看護医療学科開設記念シンポジウム

「心の処方箋~輝くいのちのために~」  

超高齢化が進み高度化する医療現場で必要とされる知識や技術力を備え、かつ人を幸せに導ける人材の育成をめざす畿央大学。 本シンポジウムでは、60年以上もの長きにわたり医療現場の最前線をはじめ、多方面で今もご活躍中の日野原重明氏をお迎えし、すべての人が輝いて生きるための心のあり方を探ります。

日時: 2007年8月2日(木)開場12:30  開会13:00  終了15:15(予定)

会場: 畿央大学 冬木記念ホール

基調講演: 日野原 重明 氏(聖路加病院理事長)

座談会: 日野原 重明 氏(聖路加病院理事長)

            冬木 智子 氏(畿央大学学長)

            伊藤 明子 氏(畿央大学健康科学部 看護医療学科長就任予定)