一昨日あった同窓会の熱病のような盛り上がりから帰り、昨日も含めた2日間は特に遠出もせず至って平凡に過ぎようとしている。
お盆明けの17日がかなりの仕事量になることをすでに告げられており、明日はあまり無理をしない一日となる公算が大である。
用事はあるが午前中には終わるから、普段の日常に戻っていく心と体の準備にあてたいと思う。
同窓会当日には、だいぶ前に遊びで作った名刺を何枚か持っていっていた。
今は会社員という立場にあるが、外回りでもない部署にあって名刺のたぐいは持っておらず、何かくれと言われたときのためにである。
肩書きは本欄の上にある「魚津市非公認ご当地シンガー」となっていて、連絡先と、裏にはイベント出演歴が書いてある。
自分から会う人会う人に配って回るような動きはしないつもりでおり、話の中で渡せる流れになるか誰かが名刺でもくれるような状況になればと思っていたので、結局はわずか数枚がハケただけだった。
せっかくの機会ではあったが宣伝ばかりに気を取られたくはなかったし、もっとバラまいておけばなどという後悔はない。
同窓会当日は、かつて自作のご当地ソングをPRに行ったときの窓口になってくれた市役所のK女史も来ており、「3曲目は作らないの?」と質問された。
実際にはまだ頭の中に骨格のようなものが浮かんでいるだけなので進行中と言える状況になく、あいまいな回答にとどめておいた。
私自身、生活自体がなかなかうまく回らない時間が長く続いたため、曲作りからはもうずいぶん離れている。
生活もようやく落ち着いてきたから久しぶりにDTMソフトを立ち上げてやってみたい気もするが、地元・魚津をテーマにしたものをすでに二つ作り、なおかつその二作でもって一話のストーリーを完結させた格好になっているため、その後の展開をしぼり出すのはかなり難しいと考えている。
よって「雨の柿の木割りⅢ」が実現する可能性は限りなく低いというのが正直なところである。
今年の同窓会でもって同窓会長の座を後進に譲られた、県内でも名士といえる経営者氏が同窓会当日付けの会報に文章を寄せておられているのを拝見した。
当日は自ら「ふるさと」を熱唱された氏だが、いつの日か、ふるさと富山の抒情を感じさせる「ふるさとの歌」というものをつくりたいと書いておられる。
私もほんの数曲作ってみたとはいうものの、魚津の飲み屋街が舞台で曲もB級歌謡調というのが関の山だった。
俗っぽい性格である私の作るものがとても世代を越えた大らかなものになるとは考えづらく、やはり世界を股にかける大経営者とは発想のレベルに埋めがたい溝があると言うべきだろう。
作ったものは消えるわけではないので、とりあえずは「生きた証し」としての役目は果たす。
ガツガツと宣伝や広報のことばかりを考えるのではなく、自分のペース・リズムに合わせて気楽な活動ということでいい。
そのうち体がウズウズでもしてくるようなら、ない頭を使って周知やアプローチの方法を考えてみようと思う。
お盆明けの17日がかなりの仕事量になることをすでに告げられており、明日はあまり無理をしない一日となる公算が大である。
用事はあるが午前中には終わるから、普段の日常に戻っていく心と体の準備にあてたいと思う。
同窓会当日には、だいぶ前に遊びで作った名刺を何枚か持っていっていた。
今は会社員という立場にあるが、外回りでもない部署にあって名刺のたぐいは持っておらず、何かくれと言われたときのためにである。
肩書きは本欄の上にある「魚津市非公認ご当地シンガー」となっていて、連絡先と、裏にはイベント出演歴が書いてある。
自分から会う人会う人に配って回るような動きはしないつもりでおり、話の中で渡せる流れになるか誰かが名刺でもくれるような状況になればと思っていたので、結局はわずか数枚がハケただけだった。
せっかくの機会ではあったが宣伝ばかりに気を取られたくはなかったし、もっとバラまいておけばなどという後悔はない。
同窓会当日は、かつて自作のご当地ソングをPRに行ったときの窓口になってくれた市役所のK女史も来ており、「3曲目は作らないの?」と質問された。
実際にはまだ頭の中に骨格のようなものが浮かんでいるだけなので進行中と言える状況になく、あいまいな回答にとどめておいた。
私自身、生活自体がなかなかうまく回らない時間が長く続いたため、曲作りからはもうずいぶん離れている。
生活もようやく落ち着いてきたから久しぶりにDTMソフトを立ち上げてやってみたい気もするが、地元・魚津をテーマにしたものをすでに二つ作り、なおかつその二作でもって一話のストーリーを完結させた格好になっているため、その後の展開をしぼり出すのはかなり難しいと考えている。
よって「雨の柿の木割りⅢ」が実現する可能性は限りなく低いというのが正直なところである。
今年の同窓会でもって同窓会長の座を後進に譲られた、県内でも名士といえる経営者氏が同窓会当日付けの会報に文章を寄せておられているのを拝見した。
当日は自ら「ふるさと」を熱唱された氏だが、いつの日か、ふるさと富山の抒情を感じさせる「ふるさとの歌」というものをつくりたいと書いておられる。
私もほんの数曲作ってみたとはいうものの、魚津の飲み屋街が舞台で曲もB級歌謡調というのが関の山だった。
俗っぽい性格である私の作るものがとても世代を越えた大らかなものになるとは考えづらく、やはり世界を股にかける大経営者とは発想のレベルに埋めがたい溝があると言うべきだろう。
作ったものは消えるわけではないので、とりあえずは「生きた証し」としての役目は果たす。
ガツガツと宣伝や広報のことばかりを考えるのではなく、自分のペース・リズムに合わせて気楽な活動ということでいい。
そのうち体がウズウズでもしてくるようなら、ない頭を使って周知やアプローチの方法を考えてみようと思う。