本欄に取り掛かる前にネット記事を眺めていたら、WindowsXPのサポートがちょうど1年後の今日で終わるという。
2001年の登場ながら、いまだに個人企業を問わず多くのユーザーに愛されている。
そんな不世出の大成功OSであるXPも、サポート終了となれば仮に無策なら最新のウイルスのたぐいには丸裸になってしまう。
マイクロソフトとしては、特に企業向けにはなるべく早くWindows7もしくは8への移行を呼びかけ、支援も行っていくようだ。
素晴らしいOSだったゆえに対象が膨大であり、今から周知しないと間に合わないということであろう。
私も一人のXPユーザーとして対策をしなければならないが、PC本体はCPUこそショボいもののRAMは2GB積んでいるので、Windows7か8は何とか動くだろう。
一個人のPCならあせる必要はなく、一年後までに移行できていればというところだ。
話は変わって、今日の昼休みに事務所で上司と話していたら「今の仕事って飽きない?」と聞かれた。
全然飽きていないので「いえ」と即答したが、その上司からすれば私の過去の経歴(事務方や外回りなど)がアタマにあって、地味で単調な現場仕事をどう考えているのか、いまだに測りかねているようである。
私自身は本欄の中でも今の仕事が性格的に合っていると何度も書いているし、むしろ過去に選んだ仕事が間違いだったとさえ思っている。
そんな話から発展して、わが部署のような現場仕事に「入っていける」人とそうでない人はけっこうハッキリ分かれ、その分かれ目は何か、ものの考え方としてどう違うのか、となった。
今の仕事も簡単とは言えず、外から見るイメージよりは細かくて複雑というのは最近も書いた。
客観的には決して面白おかしくはないであろう仕事に入っていけるのは、そんな仕事の中にも「楽しみ」を見出そうという考えを持てる人だ。
日々同じように見える仕事でも、最低ラインのことを淡々とこなすのではなく、より見栄えよく効率よく安全に、などあれこれアタマを回しながら仕事をすれば、気分的に飽きることなどないはずだ。
わが部署の53歳児・T氏がある日の日報に「マニュアルのようなものがあったらラクなのに」というコメントを書いたらしい。
確かに組織として最低限のルールとしてのマニュアルは書類として置いておくべきだろうが、そういう発想は「決められた最低限のことさえやっていればいい」という受身的なもので、上記の「楽しむ」とは正反対に思える。
氏にしてみれば自分でマニュアルを書く気などサラサラなく、結局は他人が書いたものに従う形がラクということであるから、仕事において自分で判断して動くクセはなかなか付いてこないだろう。
わが部署の仕事は正解などあってないようなもの、安全・確実という最低限のルールを前提にはするが、個人個人のやり方は自由である。
自由であればあるほど自分のアタマで考えるとか能動的な振る舞いとかが求められたりするわけで、自由を謳歌するには精神的に他人に依存していないことが大切だ。
T氏のように何事にも他人頼みで気持ちが自立していないままでは、比較的自由な環境の中で仕事を「楽しむ」ことは難しいということである。
2001年の登場ながら、いまだに個人企業を問わず多くのユーザーに愛されている。
そんな不世出の大成功OSであるXPも、サポート終了となれば仮に無策なら最新のウイルスのたぐいには丸裸になってしまう。
マイクロソフトとしては、特に企業向けにはなるべく早くWindows7もしくは8への移行を呼びかけ、支援も行っていくようだ。
素晴らしいOSだったゆえに対象が膨大であり、今から周知しないと間に合わないということであろう。
私も一人のXPユーザーとして対策をしなければならないが、PC本体はCPUこそショボいもののRAMは2GB積んでいるので、Windows7か8は何とか動くだろう。
一個人のPCならあせる必要はなく、一年後までに移行できていればというところだ。
話は変わって、今日の昼休みに事務所で上司と話していたら「今の仕事って飽きない?」と聞かれた。
全然飽きていないので「いえ」と即答したが、その上司からすれば私の過去の経歴(事務方や外回りなど)がアタマにあって、地味で単調な現場仕事をどう考えているのか、いまだに測りかねているようである。
私自身は本欄の中でも今の仕事が性格的に合っていると何度も書いているし、むしろ過去に選んだ仕事が間違いだったとさえ思っている。
そんな話から発展して、わが部署のような現場仕事に「入っていける」人とそうでない人はけっこうハッキリ分かれ、その分かれ目は何か、ものの考え方としてどう違うのか、となった。
今の仕事も簡単とは言えず、外から見るイメージよりは細かくて複雑というのは最近も書いた。
客観的には決して面白おかしくはないであろう仕事に入っていけるのは、そんな仕事の中にも「楽しみ」を見出そうという考えを持てる人だ。
日々同じように見える仕事でも、最低ラインのことを淡々とこなすのではなく、より見栄えよく効率よく安全に、などあれこれアタマを回しながら仕事をすれば、気分的に飽きることなどないはずだ。
わが部署の53歳児・T氏がある日の日報に「マニュアルのようなものがあったらラクなのに」というコメントを書いたらしい。
確かに組織として最低限のルールとしてのマニュアルは書類として置いておくべきだろうが、そういう発想は「決められた最低限のことさえやっていればいい」という受身的なもので、上記の「楽しむ」とは正反対に思える。
氏にしてみれば自分でマニュアルを書く気などサラサラなく、結局は他人が書いたものに従う形がラクということであるから、仕事において自分で判断して動くクセはなかなか付いてこないだろう。
わが部署の仕事は正解などあってないようなもの、安全・確実という最低限のルールを前提にはするが、個人個人のやり方は自由である。
自由であればあるほど自分のアタマで考えるとか能動的な振る舞いとかが求められたりするわけで、自由を謳歌するには精神的に他人に依存していないことが大切だ。
T氏のように何事にも他人頼みで気持ちが自立していないままでは、比較的自由な環境の中で仕事を「楽しむ」ことは難しいということである。