愛しみながら日々生活されている様子はすぐに解ります。逆もまたしかり。街を歩いていても、家主に粗末に扱われている住宅や空き家はすぐに解ります。家が寂しそうというか、空気が淀んでいます。
先日、2012年に引き渡しになりました施主さんから近況とともに、数枚の画像を送っていただきました。それを見てひとりにニヤニヤしておりました。危ない人ではありませんよ。
個人が建てる住宅は、住まい手とともに育ってゆくものだと思っています。設計途中で、施主といろいろお話しながら、10年先を考え空間を提案します。変動の10年、一年先もわからない世の中で10年先は解るわけがありません。でも空間が出来てしまうと、10年いやそれ以上住まわなくてはなりません。また、施主の大事な変遷期(家を建てるということ自体、大きく変わっている・変わりつつある時期だと思うんです)、その生活するという一番根柢の部分である住居の設計、だから必死です。
話はそれましたが、そのお送りいただいたどの画像からも、家族と共に楽しく、日々を大事に丁寧にお暮しになっている様子が感じられ、ニヤニヤしていたんです。
住まい手とともに家も楽しそう~
そこに住む人がいて住宅なんですね~当たり前のようですが、しみじみ感じてしまいました。
リビングダイニングです。
玄関近くにある、家族のための読書スペース