久しぶりに竹橋の国立近代美術館に行く。「フランシスベーコン」以来か。今回は「日本の家」展。戦後日本の住宅の系譜を、模型とVTRと図面でたどるもの。建築を始めたころが懐かしい。あの当時見れたらどんなに幸せだったことか-と思われるようなものがあった。
竹橋の後は、代官山に場所を移した。川俣正「工事中」インスタレーションの最終日。ヒルサイドテラスの屋上が廃材で覆われていた。
この「工事中」最初に発表されたのは1984年なので今から33年前の事。自分が建築の学校を卒業し、設計事務所に勤め始めてた年。さあこれからどんな建物を創っていけるのか~という時に、モダニズム建築の最高峰ともいえる槇文彦のヒルサイドテラスが、おびただしい数の木材の波に飲み込まれてしまったかの様な映像が飛び込んできた事に、一種の衝撃に近い感覚に襲われたことが思い出される。
「これは体験したい~」そう思っていた矢先、諸事情で撤去されたので、ずっと長い間心の中に引っかかっていた。こちらの気持ちも「工事中」だった(笑)。なので、今回はどうしてもその場に行って、自分で体験する必要があったのだ。
川俣正さんの一連の作品は、公共空間に、材木を張り巡らせる手法で空間を捉え直し、その製作のプロセス自体が作品、いわゆるインスタレーションである。建築も箱から場と言われ始めて久しいが、今回のインスタレーションは、場として確立されている代官山のヒルサイドテラスで、それとは少し違う目線で、見慣れたその場を活かしながら、アートを軸に新しい関係性の可能性を示唆するという意味あいが腑に落ちる。
見慣れた風景に一石を投じるのがインスタレーションの手法の一つだとすれば、建築も大なり小なり同じことが言える。建築途中は膜で覆い、幕が取れると全く予想だにしなかった建物が現れる。問題はどんな一石だったか?または本人は一石を投じているつもりはないのに結果そうなったか?下手をするとそれは暴力的になってしまってないか…話はそれましたが、今回の作品は仮設で、廃材で建物を覆うというスタイルで、根本的なところを変えてしまうのではなく、見るものに問いかけてくれていたと思う。
今回の展覧会は、代官山の歩道橋が撤去される事が決定したことも、展覧会を再開した一因との事。ヒルサイドの屋根に展開された作品を見るのに歩道橋の上から見たアングルが適している。歩道橋はなくなっても、その視点は永遠に脳裏に焼き付くって事らしい。旧山の手通り、交差点のど真ん中、空中4mの記憶。
川俣正さんの作品を通し、年代を遡り、あのころの自分とつながった様な秋の一日でしたこれで自分の中の「工事中」が「完成」か。
旧山の手通り、空中4mの記憶
今回特別に、作品の中に入っていった。こんな形でヒルサイドテラスの屋上に登れるとは…
廃材の中からは、いつもと違った空が見えた
こちらはすべてほぼ一人でビルを建てている。2005年に着工し現在も建築中である。建物という完成品ではなく、その建てるという行為そのもの、その姿勢、そのたたずまいの瞬間瞬間がアートの様。完成しなくてもいいような気さえしてくる。(笑)
蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)/「日本の家」展より