気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

6月21日プロレスが来る!

2014-04-22 19:08:50 | 昭和プロレス
まだ、市内に興行ポスターは貼られていませんが、6月21日(土)伊那勤労者福祉センター(18時開始)にプロレスがやって来ます。
団体名は「ドラゴンゲート」。
昨年も6月に来ていますので、1年ぶりの興行となります。
昨年、勤福が超満員だったらしいですから、伊那は美味しい!と感じたのでしょうか。
(優待券を大量にばら撒き、極少ししか限定席•優待席を用意せず、後は高価な席を買わせるやり方は如何なものかと思いますが)

箕輪町出身の征矢学は、昨年末で全日本プロレスを退団しています。
ここ何年か、伊那市や箕輪町に頻繁に来ていた全日本も、これで当分来ることは無いでしょうね。



私が初めてプロレスを生で見たのは、昭和51年(1976年)11月のことでした。
当時小学校6年生。
出来たばかりの伊那勤労者福祉センター(初代)に、学校から帰った後1人で見に行きましたよ。
この年まで、年末は普通のシリーズでした。(前年だけは世界オープン選手権)
翌52年から世界オープンタッグ→世界最強タッグという年末恒例のシリーズとなります。

当時は、1年納めのスーパーパワーシリーズ。
アブドーラ・ザ・ブッチャーやビル・ロビンソンやクリス・テーラーがパンフレットの表紙になっていますが、3人ともシリーズ後半の特別参加で、伊那には来ませんでした。
外国人のエースは、ディック・マ-ドック。
ツバばかり吐いていましたね。
それから、黒覆面のザ・スピリット。
このスピリットの正体は、後に覆面が剥がされ、キラー・カール・コックスだったことが分かります。
やや、寂しい外国勢でしたが、当時、伊那では外国人なんて滅多にお目に掛かれませんでしたから、デカイ外国人レスラーに興奮しまくりましたね。
ジャイアント馬場は、売店でTシャツを買った人にサインしていましたが、座っていても大きかった~。
レフェリーのジョー樋口でさえ、大男に見えましたよ。

 


もう38年前の話です。
収集癖もあった私ですが、なぜかこの38年前の興行ポスターが見当たりません。
どこかに仕舞い込んでいるんでしょうね。
高校を卒業して、上京するまでは確かにあったのです。
今日は、チラシとパンフと入場券で勘弁してください。



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コメント (2)
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