気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

志村けんさん逝く

2020-03-30 19:30:41 | お笑い芸人・ライブ
志村けんさん死去 コロナ肺炎 70歳 持病なし
日刊スポーツ 3/30(月) 10:07配信

ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさん(本名・志村康徳=しむら・やすのり)がコロナウイルスによる肺炎のため亡くなったことが30日、分かった。29日午後11時10分、都内の病院で死去した。70歳。死因は新型コロナウイルスによる肺炎。葬儀は親族のみで行う。今後親族と相談しながらお別れの会をとりおこなうか検討する。

志村さんは3月23日に新型コロナウイルス検査で陽性と判明、都内の病院に入院していた。所属事務所のイザワオフィスは同25日に報道各社に文書で発表していた。関係者によると、志村さんは今年1月に定期健診で胃のポリープが発見され摘出手術のために6日ほど入院していた。一方で、「基本的に通院するような持病もなく体調は良かった」という。

志村さんは1974年、ザ・ドリフターズに荒井注さんの脱退を機に加入。TBS系「8時だョ!全員集合」の「少年少女合唱隊」のコーナーで地元の「東村山音頭」を歌ったことでブレーク。加藤茶(77)とのコンビの「ヒゲダンス」、「カラスの勝手でしょ」、「志村、後ろ!」が大流行し、社会現象にもなった。さらに、「バカ殿様」は86年からフジテレビ系で特番化され現在まで続く名物番組となった。

85年に「全員集合」が終了後、加藤と「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」、87年からはフジテレビ系「志村けんのだいじょうぶだぁ」がスタートするなど、日本のお笑い界の代表的な存在となった。



今朝、出社してパソコンに向かって仕事をしていたのです。
そしたら、事務の女性社員が「志村けんさんが亡くなったって---」というではないですか。
ビックリしましたね。
新型コロナウィルスに感染して、入院闘病してたのは知っていましたが、入院後こんなに早く逝ってしまうとは。
本当に絶句してしまいました。

私たちの世代は、ザ・ドリフターズの申し子のようなものですからね。
土曜日の午後8時は「8時だョ!全員集合」ですよ。
今のように、子供向けのお笑いってものがあまりなかった時代です。
もう、皆夢中になって見ていましたね。
昭和48年(1973年)、ドリフ見習の志村けんさんが全員集合に出始めました。
志村さんとか すわしんじの登場は、とても新鮮でしたね。
若いから、動く動く。
やっぱり、動作が激しいコントって面白いですよね。



そして、S49年3月31日をもって荒井注がドリフを脱退。
翌4月1日から志村さんが正式にドリフのメンバーとなりました。
荒井注の「なんだばかやろー」のギャグも好きでしたが、志村さんはまったく違うキャラで、しかも若い!
ここに、加藤茶との2枚看板が出来ました。
私、その頃、小学3年生とか4年生ですよ。
その後、「東村山音頭」とか「ヒゲダンス」、「カラスなぜ泣くの カラスの勝手でしょ」等学校で流行りまくりました。
また、「最初はグー」という今ではジャンケンの際に必ず言うフレーズ、これも志村さんが全員集合の中で、流行らせたものであります。

私は過去に1回、生でドリフを見ていると思うのですよ。
小学生の頃。
飯田市で行われたドリフのショーのチケットを近所の方から頂いて、見に行ったはずです。
記憶が殆ど無いのが残念ですが、電気店主催の催しで、伊那地区発のバスに乗ったことは覚えています。
恐らく、そのときも志村さんのギャグに大笑いしていたのだと思います。



仲本工事が、追悼のコメントで言っていましたが、「ドリフも順番に逝く歳になったとは思ったけど、一番若い志村が長さん(故いかりや長介さん)の次になるとは---。非常に悔しいです」。
本当に、その通りだと思います。
ドリフのメンバーは永遠に亡くなって欲しくありませんが、それにしても70歳じゃ若過ぎます。
しかも、コロナでですよ。
悔しいなぁ。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする