哲学チャンネル より なぜ世界は存在しないのか【新実在論#5】
現代人が信じている世界 【新実在論#1】 https://youtu.be/1VDqBjXNKs8
形而上学と構築主義の誤り【新実在論#2】 https://youtu.be/qmORPg71CUY
物理主義と唯物論の誤り【新実在論#3】 https://youtu.be/_KPDh-sBGDc
意味の場【新実在論#4】 https://youtu.be/JtJyxmZ-vys
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動画の書き起こし版
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前回の動画で存在の定義について触れました。 それによると存在とは 「その特性によって周りの存在から突き出たもの」 と考えることができたのでした。 では、『世界』とはどのような性質を持っているのでしょうか? 普通に考えると世界とはあらゆる対象の性質を全て持っているとなります。 そうでなければ世界がすべての対象を包摂していると言えないからです。 では、すべての対象の性質を備えている世界があったとして その世界は存在として我々の目の前に表出できるでしょうか? 仮に存在が「その特性によって周りの存在から突き出たもの」だとするなら 世界は周りから際立って突き出ることができないことがわかります。 つまり、世界が存在していてもそれは存在として表出しない。 これは『神を認識することができない』のと同じロジックかもしれません。 神は全ての属性を併せ持つ存在ですから、 何かと比べたときに目立って表出する要素を持っていないはずです。 もしそのような要素があるならば、神に不足している要素があるのと同義だからです。 しかし、私たちは『神という存在』を想像することができますし 『神という存在』について語り合うこともできます。 同時に『世界』という単語は間違いなく存在していて 『世界』を想像することも、語り合うこともできます。 この限りにおいて世界は存在しているとするのは間違いなのでしょうか? ガブリエルは間違いではないと考えます。 しかし、私たちが『世界』と認識しているのは本当の意味での『世界』ではない。 あくまでも何かしらの意味の場においての世界であり 本当の世界は認識できないし、存在しない。 新実在論の立場では、あらゆる対象、あらゆる意味の場、そしてあらゆる事実を存在として認めます。 存在することとは何らかの意味の場に表れることなのです。 世界が存在するとしたらこの前提に矛盾します。 仮に全てを包摂する『世界』があるとします。 しかしその世界は何らかの意味の場に表出していることになるため 『世界』を包摂する意味の場(世界+1)が存在することになります。 言い方を変えれば「世界は存在する」という事実が余計に表れてしまう。 すると、世界はその「世界は存在する」という事実も包摂しなければならないので またもうワンサイズ大きな世界として存在する必要がある。 しかし、そうすると「世界は存在するという事実を包摂した世界が存在する」という事実が生まれてしまう(以下無限ループ) このように、意味の場は無限に存在し、お互いの関係は無限の入れ子構造になっています。ガブリエルはこの関係をフラクタル構造に例えました。 フラクタル構造とは「図形の全体をいくつかの部分に分解していった時に 全体と同じ形が再現されていく構造」です。 このような特性を自己相似性と表現しますが、 自然界にはこのような構造が多く観察されています。 フラクタル構造においては始まりと終わりがありません。 始まりと終わりがない以上「全体」と言う概念も成立しないのです。 このように考えると『世界』という全ての存在の入れ物のようなものは 論理的に存在することができないと言えてしまいます。 同時に「全ての要素を包摂する絶対的な何か」もないことになります。 これは一元論の否定にも繋がりますね。 ガブリエルは、このようなロジックで一元論を否定し、 同時に、二元論(2つという証明ができないので)も間違えだとし 新実在論は多元論の亜種であると主張しています。 とはいえ「世界は存在しない」と主張することに何の意味があるのでしょうか? そもそも私たちが認知できないものの話をしているわけですから それは単なる言葉遊びだと捉えられてもおかしくありません。 ガブリエルは「世界が存在しないがゆえに、無限の意味の場が存在する」と言っています。 新実在論における最大の主張は「あらゆるものの実在を認める」ことです。 その主張は「無限に意味の場が存在する」ことも内包しています。 そして、その前提に立つと論理的に「世界が存在しない」ことが導出されてしまう。 「世界が存在しない」のであれば「全てを説明するような完璧な真理」は存在できません。 これは形而上学への否定であり、極端な全体主義の抑止力にもなります。 「無限に意味の場が存在し」「その全てが実在」なのであれば構築主義は否定されます。 互いに認識する意味の場は違えど、その全てが実在であるならば それについて語り合うこともできるし、検証することもできます。 これはポストモダンが生み出した分断を修復できる可能性のある主張です。 このように、ガブリエルは新実在論を展開することによって 人類がより良く発展するための思考のスキームを提供していると考えられます。 次回は新実在論が宗教をどう解釈するのかについて解説します。