“幸福の国”ブータンが抱える深刻な問題
ブータンに関しては、このような記事もありました。
http://news.livedoor.com/article/detail/6053120/からの引用です。
20日、ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王&ジツェン・ペマ王妃が関西国際空港から帰国の途についた。
15日に来日を果たすと、皇居での歓迎行事や宮中晩餐会に参加し、その後は東日本大震災の被災地である福島県相馬市や、京都仙洞御所を訪れるなど、過密スケジュールではあったものの、行く先々で盛大な歓迎を受け、その模様は連日メディアを賑わせた。
今回の国王夫妻来日は、ブータンという国に興味を抱かせるきっかけとなった。一連の報道で広く伝わった特徴の一つに国民総幸福量(GNH)が挙げられるが、2005年の国勢調査で国民の約97%が「幸せ」と回答していることから、ブータンは世界一幸せな国と言われている。
だが、その一方、ネット掲示板上では「本当に幸福の国なのか?」と疑問を呈する声も上がっている。ブータンの難民支援団体として活動するアフラ・ジャパン(NGO)の公式サイト上にある通り、同難民に関する深刻な問題を抱えているからだ。
1985年の公民権法の改悪。1988年に国勢調査によって支配民族が少ない事がわかった結果、同化政策が強化されることになりました。
(中略)
1990年に、人権の尊重と民主政策をもとめる大規模なデモが行われてから、おもにネパール系の住民を対象に、弾圧や国外追放政策がとられました。
その結果、現在までに約13万人の人々が国外に逃れ、難民となっています。その内の約9万人は、ネパールの7ヶ所の難民キャンプに収容されています
引用元:難民問題の背景
同サイトでは、上記のようにブータンが過去にネパール系住民を国外へと追いやっていた事実が記されており、これは国連UNHCR協会の公式サイト上でも同様の記述が確認できる。
また、同サイトでは
ネパール系ブータン難民の人々は祖国を追われ20年にも及ぶ避難生活を続けています。2007年10月より、長期化した難民キャンプの状況を打開するため、大規模な第三国定住プロジェクトが開始されています。
引用元:ブータン難民問題の背景
とも書かれており、難民問題は現在も解決の糸口は見えず、様々な活動が行われているのだ。
このような状況下から、ネット掲示板では「ブータン意外と黒いな」と、テレビを中心とした各種メディアで盛んに取り上げられた“幸福の国”のイメージとのギャップに驚く声も多く、中には「独裁国家だし、黒い面もあるだろ」「不幸であると口にする自由がないのかもな」といった意見も寄せられ、「幸福な国とは何か」を定義することの難しさが浮き彫りとなった。
ブータン政府は、1980年に民族主義的政策を導入したため、ブータン国内のネパール系住民は国籍を失い、90年代初頭に大量のネパール系ブータン人が国を追われることになったのです。
今も解決していません。
ブータンに関しては、このような記事もありました。
http://news.livedoor.com/article/detail/6053120/からの引用です。
20日、ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王&ジツェン・ペマ王妃が関西国際空港から帰国の途についた。
15日に来日を果たすと、皇居での歓迎行事や宮中晩餐会に参加し、その後は東日本大震災の被災地である福島県相馬市や、京都仙洞御所を訪れるなど、過密スケジュールではあったものの、行く先々で盛大な歓迎を受け、その模様は連日メディアを賑わせた。
今回の国王夫妻来日は、ブータンという国に興味を抱かせるきっかけとなった。一連の報道で広く伝わった特徴の一つに国民総幸福量(GNH)が挙げられるが、2005年の国勢調査で国民の約97%が「幸せ」と回答していることから、ブータンは世界一幸せな国と言われている。
だが、その一方、ネット掲示板上では「本当に幸福の国なのか?」と疑問を呈する声も上がっている。ブータンの難民支援団体として活動するアフラ・ジャパン(NGO)の公式サイト上にある通り、同難民に関する深刻な問題を抱えているからだ。
1985年の公民権法の改悪。1988年に国勢調査によって支配民族が少ない事がわかった結果、同化政策が強化されることになりました。
(中略)
1990年に、人権の尊重と民主政策をもとめる大規模なデモが行われてから、おもにネパール系の住民を対象に、弾圧や国外追放政策がとられました。
その結果、現在までに約13万人の人々が国外に逃れ、難民となっています。その内の約9万人は、ネパールの7ヶ所の難民キャンプに収容されています
引用元:難民問題の背景
同サイトでは、上記のようにブータンが過去にネパール系住民を国外へと追いやっていた事実が記されており、これは国連UNHCR協会の公式サイト上でも同様の記述が確認できる。
また、同サイトでは
ネパール系ブータン難民の人々は祖国を追われ20年にも及ぶ避難生活を続けています。2007年10月より、長期化した難民キャンプの状況を打開するため、大規模な第三国定住プロジェクトが開始されています。
引用元:ブータン難民問題の背景
とも書かれており、難民問題は現在も解決の糸口は見えず、様々な活動が行われているのだ。
このような状況下から、ネット掲示板では「ブータン意外と黒いな」と、テレビを中心とした各種メディアで盛んに取り上げられた“幸福の国”のイメージとのギャップに驚く声も多く、中には「独裁国家だし、黒い面もあるだろ」「不幸であると口にする自由がないのかもな」といった意見も寄せられ、「幸福な国とは何か」を定義することの難しさが浮き彫りとなった。
ブータン政府は、1980年に民族主義的政策を導入したため、ブータン国内のネパール系住民は国籍を失い、90年代初頭に大量のネパール系ブータン人が国を追われることになったのです。
今も解決していません。