チャイコフスキー・ツィクルスⅢ/名フィル 市民会館名曲シリーズの個人的な感想を紹介します。
チャイコフスキーは、 1893年の今日、11月6日に53歳で亡くなりました。

2曲とも暗譜で振ったゲルゴフの指揮は・・・
で前回終わっています。
まずは、交響曲第3番 ニ長調 "ポーランド" op.29
長調の楽章に始まる唯一の交響曲であり、慣習に反して5楽章で構成されていることで知られています。
しかし、チャイコフスキーの交響曲の中では、最も知られていないのではないでしょうか?
少なくとも、私はそうです。
チャイコフスキーは、絢爛豪華なオーケストレーションが持ち味で、早期から比較的完成度の高い作品を送り出していました。
私はけっこう好きな交響曲第1番が26歳。
26歳というと、決して早くないように思いますが、彼は、幼少から音楽教育を受けていません。法律学校に通い法務省に勤務していた公務員なのです。
志新たに21歳で音楽学校に通い始めたと聞けば、26歳のデビューは早いのではないでしょうか。
そして第3番は35歳の作品。
翌年、名曲の第4番。さらに次の年は「白鳥の湖」、そして「弦楽セレナーデ」「1812年」と、大ヒット曲を量産していき、巧みなオーケストレーションや「リズムの天才」ぶりを聴かせます。
これらに比べて、第3番は、一部その片鱗は感じますが、私には未熟さが感じられてなりません。
名盤と言われるのが出ないのはそのためではないでしょうか。
今回の演奏も、全体を大きく捉えて、2~4楽章を抑えて、5楽章へエネルギーを振り向けたような演奏でした。
第1楽章は、約12分15秒。私の持っているCDと比べても最速です。
(時間は私の手元の時計ですので、あくまでもいい加減です。)
以下、第2楽章から第4楽章まで、最速のレコードを塗り替えていきます。
しかし、第5楽章は、8分38秒。
最も遅いのです。
フレーズの中で誇張するのではなく、もっと大きな視点で捉えているのです。
この「速さ」だけでロッセン・ゲルゴフの考えがわかる気がします。
まだ30歳の若さ。大きな振りでオケを引っ張っていきました。
交響曲第6番 ロ短調 "悲愴" op.74
"悲愴"と言えば、古今東西の交響曲の中でも名曲中の名曲の一つに数えられます。
それぞれ、my"悲愴" があり、それと比較しながら聴くので、なかなか高い評価が得られないのでは・・・。
私には、サバリッシュがN響を指揮した演奏が忘れられません。
まずは、演奏時間だけを検証してみましょう。
あくまでも、手元の概算ですが、
第1楽章 18分46秒
平均的。カラヤンに近いか、より遅め。
第2楽章 6分56秒
これは速い!4分の5拍子のワルツの良さが、イマイチ消されているような・・・。
第3楽章 8分1秒
2楽章の延長で、これも必然的に速くなりました。
第4楽章 10分20秒
やや遅めか。
2,3楽章が速かったために、より遅く感じられます。
GPで、十分時間を取っていました。
緩急の差が大きいといえるでしょう。
というわけで、3番と同じように、全体の構成を、終楽章を謡いたいために組み立てたような印象です。
第1楽章では、名手のFgがやや崩れました。その動揺が木管に伝わったのか、ややアンサンブルが乱れてしまいました。
しかし、私には、プレイヤーのせいではなく、指揮が見にくかったと思えました。
つい、演奏者の視点で指揮を見てしまうのですが、指揮を見てあれっ?と思った瞬間、Fgの音が躊躇い(ためらい)音のようになってしまいました。
しかし、2楽章ではアンサンブルは持ち直しました。
先ほどもふれましたが、速すぎるために曲の良さが引き出されたかどうかはわかりません。
終楽章は見事だったと思います。
これまでの3番を含めた全9楽章のまとめのように感じました。
マーラーの9番の時に、お客さんのマナーが良かったと書きました。
今回もそう思っていたのですが、なんと、最後の最後に、コントラバスの弓が降りる前に拍手を始めた人がいたのです。
やめてほしい!
みんな息を止めて、指揮棒や弓が降りるのを待っているのに、一人がぶち壊してしまいました。
サバリッシュの時を思いだして感じるのは、"悲愴"を振るには、指揮者としての年輪がいるのかもしれないということです。
今日のロッセン・ゲルゴフの20年後、30年後の"悲愴"を聴いてみたいと素直に思いました。
チャイコフスキーは、 1893年の今日、11月6日に53歳で亡くなりました。

2曲とも暗譜で振ったゲルゴフの指揮は・・・
で前回終わっています。
まずは、交響曲第3番 ニ長調 "ポーランド" op.29
長調の楽章に始まる唯一の交響曲であり、慣習に反して5楽章で構成されていることで知られています。
しかし、チャイコフスキーの交響曲の中では、最も知られていないのではないでしょうか?
少なくとも、私はそうです。
チャイコフスキーは、絢爛豪華なオーケストレーションが持ち味で、早期から比較的完成度の高い作品を送り出していました。
私はけっこう好きな交響曲第1番が26歳。
26歳というと、決して早くないように思いますが、彼は、幼少から音楽教育を受けていません。法律学校に通い法務省に勤務していた公務員なのです。
志新たに21歳で音楽学校に通い始めたと聞けば、26歳のデビューは早いのではないでしょうか。
そして第3番は35歳の作品。
翌年、名曲の第4番。さらに次の年は「白鳥の湖」、そして「弦楽セレナーデ」「1812年」と、大ヒット曲を量産していき、巧みなオーケストレーションや「リズムの天才」ぶりを聴かせます。
これらに比べて、第3番は、一部その片鱗は感じますが、私には未熟さが感じられてなりません。
名盤と言われるのが出ないのはそのためではないでしょうか。
今回の演奏も、全体を大きく捉えて、2~4楽章を抑えて、5楽章へエネルギーを振り向けたような演奏でした。
第1楽章は、約12分15秒。私の持っているCDと比べても最速です。
(時間は私の手元の時計ですので、あくまでもいい加減です。)
以下、第2楽章から第4楽章まで、最速のレコードを塗り替えていきます。
しかし、第5楽章は、8分38秒。
最も遅いのです。
フレーズの中で誇張するのではなく、もっと大きな視点で捉えているのです。
この「速さ」だけでロッセン・ゲルゴフの考えがわかる気がします。
まだ30歳の若さ。大きな振りでオケを引っ張っていきました。

交響曲第6番 ロ短調 "悲愴" op.74
"悲愴"と言えば、古今東西の交響曲の中でも名曲中の名曲の一つに数えられます。
それぞれ、my"悲愴" があり、それと比較しながら聴くので、なかなか高い評価が得られないのでは・・・。
私には、サバリッシュがN響を指揮した演奏が忘れられません。
まずは、演奏時間だけを検証してみましょう。
あくまでも、手元の概算ですが、
第1楽章 18分46秒
平均的。カラヤンに近いか、より遅め。
第2楽章 6分56秒
これは速い!4分の5拍子のワルツの良さが、イマイチ消されているような・・・。
第3楽章 8分1秒
2楽章の延長で、これも必然的に速くなりました。
第4楽章 10分20秒
やや遅めか。
2,3楽章が速かったために、より遅く感じられます。
GPで、十分時間を取っていました。
緩急の差が大きいといえるでしょう。
というわけで、3番と同じように、全体の構成を、終楽章を謡いたいために組み立てたような印象です。
第1楽章では、名手のFgがやや崩れました。その動揺が木管に伝わったのか、ややアンサンブルが乱れてしまいました。
しかし、私には、プレイヤーのせいではなく、指揮が見にくかったと思えました。
つい、演奏者の視点で指揮を見てしまうのですが、指揮を見てあれっ?と思った瞬間、Fgの音が躊躇い(ためらい)音のようになってしまいました。
しかし、2楽章ではアンサンブルは持ち直しました。
先ほどもふれましたが、速すぎるために曲の良さが引き出されたかどうかはわかりません。
終楽章は見事だったと思います。
これまでの3番を含めた全9楽章のまとめのように感じました。
マーラーの9番の時に、お客さんのマナーが良かったと書きました。
今回もそう思っていたのですが、なんと、最後の最後に、コントラバスの弓が降りる前に拍手を始めた人がいたのです。
やめてほしい!
みんな息を止めて、指揮棒や弓が降りるのを待っているのに、一人がぶち壊してしまいました。
サバリッシュの時を思いだして感じるのは、"悲愴"を振るには、指揮者としての年輪がいるのかもしれないということです。
今日のロッセン・ゲルゴフの20年後、30年後の"悲愴"を聴いてみたいと素直に思いました。