マーラー作曲 交響曲第9番 第4楽章
「そんなに良い曲なの?」というメールをいただきました。
「むちゃくちゃ良い曲だよ!!」と答えました。
その証拠をお見せしましょう!
小澤征爾が、ボストン交響楽団でのラストコンサートで、この交響曲第9番を演奏したものがYou Tube にアップされています。2002年の演奏です。
細切れですが、これも気迫のこもったよい演奏です。
http://www.youtube.com/watch?v=ji7HG1PBrJw&feature=related
この9分18秒から始まります。
続いて次へ・・・
http://www.youtube.com/watch?v=H-fePZPdMEs&feature=related
起伏を続けながら、徐々に盛り上がりを見せていきます。
クライマックスは、次の4分50秒ぐらいから始まります。
そして6分20秒前後がピークです。
http://www.youtube.com/watch?v=2WNxzJxcF04&feature=related
そして最後です。
http://www.youtube.com/watch?v=tFfYn85ZmWQ&feature=related
2分50秒ぐらいで、消えるようになりますが、そんなときに限って咳が止まらない人がいるのです。生理現象とは言え・・・。
それでも、やはり生がいいです。
最後は、全員総立ちのスタンディングオベーションでした。
第4楽章は、現世への惜別の情をこめたアダージョです。
そこには、歌曲「亡き子をしのぶ歌」の第4曲を引用しています。
マーラーは、『亡き子をしのぶ歌』を、1901年から1904年にかけて作曲しました。
マーラー自身は、1902年に結婚し、その年に長女マリア・アンナが誕生しています。
ですから、『亡き子をしのぶ歌』の作曲時に、子どもを亡くしているわけではありません。
しかし、それが現実になってしまいます。
1907年、47歳の時、長女マリア・アンナがジフテリアのため死亡してしまいます。
マーラー自身も心臓病と診断されます。
これはよほどショックだったのでしょう。
この後、米国に渡った後も、マリアを亡くしたヴェルター湖畔には近づこうとしませんでした。
そして、1909年に作曲した第9番、「死に絶えるように」とした第4楽章の終末近くに『亡き子をしのぶ歌』を引用しました。
最後まで、マリアの死を引きずっていたのでしょうか・・・。
そのマーラーも、1911年5月18日、51歳の誕生日の6週間前に敗血症のため息を引き取りました。
臨終の言葉は「モーツァルト・・・」
レクイエムを作曲中に亡くなったモーツァルトと自分をかぶせるように、第4楽章がマーラーにとってのレクイエムだったのでした。
「そんなに良い曲なの?」というメールをいただきました。
「むちゃくちゃ良い曲だよ!!」と答えました。
その証拠をお見せしましょう!
小澤征爾が、ボストン交響楽団でのラストコンサートで、この交響曲第9番を演奏したものがYou Tube にアップされています。2002年の演奏です。
細切れですが、これも気迫のこもったよい演奏です。
http://www.youtube.com/watch?v=ji7HG1PBrJw&feature=related
この9分18秒から始まります。
続いて次へ・・・
http://www.youtube.com/watch?v=H-fePZPdMEs&feature=related
起伏を続けながら、徐々に盛り上がりを見せていきます。
クライマックスは、次の4分50秒ぐらいから始まります。
そして6分20秒前後がピークです。
http://www.youtube.com/watch?v=2WNxzJxcF04&feature=related
そして最後です。
http://www.youtube.com/watch?v=tFfYn85ZmWQ&feature=related
2分50秒ぐらいで、消えるようになりますが、そんなときに限って咳が止まらない人がいるのです。生理現象とは言え・・・。
それでも、やはり生がいいです。
最後は、全員総立ちのスタンディングオベーションでした。
第4楽章は、現世への惜別の情をこめたアダージョです。
そこには、歌曲「亡き子をしのぶ歌」の第4曲を引用しています。
マーラーは、『亡き子をしのぶ歌』を、1901年から1904年にかけて作曲しました。
マーラー自身は、1902年に結婚し、その年に長女マリア・アンナが誕生しています。
ですから、『亡き子をしのぶ歌』の作曲時に、子どもを亡くしているわけではありません。
しかし、それが現実になってしまいます。
1907年、47歳の時、長女マリア・アンナがジフテリアのため死亡してしまいます。
マーラー自身も心臓病と診断されます。
これはよほどショックだったのでしょう。
この後、米国に渡った後も、マリアを亡くしたヴェルター湖畔には近づこうとしませんでした。
そして、1909年に作曲した第9番、「死に絶えるように」とした第4楽章の終末近くに『亡き子をしのぶ歌』を引用しました。
最後まで、マリアの死を引きずっていたのでしょうか・・・。
そのマーラーも、1911年5月18日、51歳の誕生日の6週間前に敗血症のため息を引き取りました。
臨終の言葉は「モーツァルト・・・」
レクイエムを作曲中に亡くなったモーツァルトと自分をかぶせるように、第4楽章がマーラーにとってのレクイエムだったのでした。