昨日は、清洲城へ取材に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b4/10cf2cafa00c6c13c3b002b757293c8a.jpg)
かつて、清洲は尾張の中心地でした。
清洲は尾張国の守護所であり、京と鎌倉の往還と伊勢街道が合流し、中山道にも連絡する交通の要所なのです。
写真の清洲城は、実際にあった場所とは違い、五条川の東側に建っています。
その当時は、京都、大阪に次ぐ、日本で3番目に賑わった街だったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c8/7fc218dab39e049acdcf68c580461fee.jpg)
信長の次男、今の江南市生まれの信雄の時代、清洲は最も栄えました。
東西約1.6㎞、南北約2.8㎞の中に、城下町として
ほぼ完成された城郭都市としての機能を持っていました。
朝鮮通信地の記録には、「関東の巨鎮」として、清洲のことを表現しています。
慶長15年(1610年)より、この清洲城下町全体が名古屋城下に移転したのです(清洲越し)。
清須城も名古屋城の資材として利用され、名古屋城の西北隅櫓は、清洲城天守の資材を利用して作られたので「清洲櫓」とも呼ばれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/11/810ad8caf3160c1124b6a654cf6293ad.jpg)
石垣の跡が残っています。実際の場所より、北側に復元されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/36/8f859257b08738951ed2a85ff7a1bb8e.jpg)
当時本丸のあった場所に、信長公の像が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f1/3e98688ee224743ab9116788c3e321f0.jpg)
五条川が、堀の役目を果たしていました。
その点は、岩倉城と同じです。周囲に湿地が多いのも同様です。
古城跡の碑は次のものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/65/79490536e6b522f9d07d9a5e59a284ad.jpg)
驚いたことがあります。
公園で、子どもたちが鬼ごっこをして遊んでいるのです。
かつては当たり前の光景が、今では新鮮に感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9f/a605141e756541bdb0a112426e3e2182.jpg)
清洲城の復元天守は、展示施設になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/d6/7f6da5ad43c030bcb69abbe34c62a0a8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/30/d9df7f0023a515ab3e70961ffe2529db.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/08/7ab26d7d4d44ee9d90e5759f2e40b645.jpg)
これが、面白くて、わかりやすいのです。
¥300で入れるのですが、これはお得です。
城外には、このような人が・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b6/940c7dfdfc50dc7a5f2c0b8d7bd793b3.jpg)
実は、明日からドラマ館がオープンなのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/47/3fdb9ab3b5fa3698cb9f9797421f906b.jpg)
鎧を着るコーナーもあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/33/82dcbd70fb129e7bb080b98e844e77ab.jpg)
ぜひ、一度お出かけください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b4/10cf2cafa00c6c13c3b002b757293c8a.jpg)
かつて、清洲は尾張の中心地でした。
清洲は尾張国の守護所であり、京と鎌倉の往還と伊勢街道が合流し、中山道にも連絡する交通の要所なのです。
写真の清洲城は、実際にあった場所とは違い、五条川の東側に建っています。
その当時は、京都、大阪に次ぐ、日本で3番目に賑わった街だったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c8/7fc218dab39e049acdcf68c580461fee.jpg)
信長の次男、今の江南市生まれの信雄の時代、清洲は最も栄えました。
東西約1.6㎞、南北約2.8㎞の中に、城下町として
ほぼ完成された城郭都市としての機能を持っていました。
朝鮮通信地の記録には、「関東の巨鎮」として、清洲のことを表現しています。
慶長15年(1610年)より、この清洲城下町全体が名古屋城下に移転したのです(清洲越し)。
清須城も名古屋城の資材として利用され、名古屋城の西北隅櫓は、清洲城天守の資材を利用して作られたので「清洲櫓」とも呼ばれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/11/810ad8caf3160c1124b6a654cf6293ad.jpg)
石垣の跡が残っています。実際の場所より、北側に復元されています。
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当時本丸のあった場所に、信長公の像が建っています。
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五条川が、堀の役目を果たしていました。
その点は、岩倉城と同じです。周囲に湿地が多いのも同様です。
古城跡の碑は次のものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/65/79490536e6b522f9d07d9a5e59a284ad.jpg)
驚いたことがあります。
公園で、子どもたちが鬼ごっこをして遊んでいるのです。
かつては当たり前の光景が、今では新鮮に感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9f/a605141e756541bdb0a112426e3e2182.jpg)
清洲城の復元天守は、展示施設になっています。
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これが、面白くて、わかりやすいのです。
¥300で入れるのですが、これはお得です。
城外には、このような人が・・・
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実は、明日からドラマ館がオープンなのです。
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鎧を着るコーナーもあります。
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ぜひ、一度お出かけください。