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清洲城はおもしろい!

2011-03-20 06:20:38 | 社会科関連情報
昨日は、清洲城へ取材に行きました。



かつて、清洲は尾張の中心地でした。

清洲は尾張国の守護所であり、京と鎌倉の往還と伊勢街道が合流し、中山道にも連絡する交通の要所なのです。

写真の清洲城は、実際にあった場所とは違い、五条川の東側に建っています。

その当時は、京都、大阪に次ぐ、日本で3番目に賑わった街だったのです。



信長の次男、今の江南市生まれの信雄の時代、清洲は最も栄えました。

東西約1.6㎞、南北約2.8㎞の中に、城下町として

ほぼ完成された城郭都市としての機能を持っていました。

朝鮮通信地の記録には、「関東の巨鎮」として、清洲のことを表現しています。

慶長15年(1610年)より、この清洲城下町全体が名古屋城下に移転したのです(清洲越し)。

清須城も名古屋城の資材として利用され、名古屋城の西北隅櫓は、清洲城天守の資材を利用して作られたので「清洲櫓」とも呼ばれています。



石垣の跡が残っています。実際の場所より、北側に復元されています。



当時本丸のあった場所に、信長公の像が建っています。



五条川が、堀の役目を果たしていました。
その点は、岩倉城と同じです。周囲に湿地が多いのも同様です。

古城跡の碑は次のものです。



驚いたことがあります。

公園で、子どもたちが鬼ごっこをして遊んでいるのです。

かつては当たり前の光景が、今では新鮮に感じました。



清洲城の復元天守は、展示施設になっています。







これが、面白くて、わかりやすいのです。

¥300で入れるのですが、これはお得です。

城外には、このような人が・・・



実は、明日からドラマ館がオープンなのです。



鎧を着るコーナーもあります。



ぜひ、一度お出かけください。



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