なぜ霞ヶ関は官庁街に?
調べてみました。
「関」がつくから関所だった?これは諸説あるようです。
桜田門の南に位置する霞ヶ関は、日本を動かす官庁街です。
外務省と財務省の間の坂が「潮見坂」と呼ばれるように、その東側は海でした。
日比谷公園の東側から銀座、築地にかけては海を埋め立てたのです。
では、なぜ霞ヶ関が官庁街になったのか?
明治新政府が、武家屋敷をそのまま活用したためです。
外務省は福岡藩黒田家、法務省は米沢藩上杉家、国土交通省は広島藩の浅野家という具合です。
井伊直弼が出発した藩邸は、現在の国会議事堂前の憲政記念館を含む公園一帯であることがわかります。
結局、財政が苦しく、武家屋敷をそのまま転用したのでした。
参考『世界で一番おもしろい地図の読み方大事典』
調べてみました。
「関」がつくから関所だった?これは諸説あるようです。
桜田門の南に位置する霞ヶ関は、日本を動かす官庁街です。
外務省と財務省の間の坂が「潮見坂」と呼ばれるように、その東側は海でした。
日比谷公園の東側から銀座、築地にかけては海を埋め立てたのです。
では、なぜ霞ヶ関が官庁街になったのか?
明治新政府が、武家屋敷をそのまま活用したためです。
外務省は福岡藩黒田家、法務省は米沢藩上杉家、国土交通省は広島藩の浅野家という具合です。
井伊直弼が出発した藩邸は、現在の国会議事堂前の憲政記念館を含む公園一帯であることがわかります。
結局、財政が苦しく、武家屋敷をそのまま転用したのでした。
参考『世界で一番おもしろい地図の読み方大事典』