哲学チャンネルより エーリッヒ・フロム【自由からの逃走】を解説します。を紹介します。
ここから https://www.youtube.com/watch?v=CpYhLjKpsb0&t=1s
動画の書き起こし版です。
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こんにちは。哲学チャンネルです。 自由とは何か? 人間の長い歴史において自由を獲得することは出来ているのか? 仮に自由を勝ち取ったのならば、 現代のこの閉塞感は一体どう説明できるのだろうか? 外側は明らかに昔よりも自由なのに 心(内側)は全然自由じゃない気がするのは何でなんだろうか? 哲学においてもよく議論されてきた自由の問題。 今回から数回にわたり、 その【自由】について考察していこうと思います。 下敷きにするのはエーリッヒ・フロムの 【自由からの逃走】です。 【自由からの逃走】を解釈していく中で 自由について考えるきっかけを作れれば良いなと思っています。 初回となる今回は著者であるフロムの紹介と、 【自由からの逃走】のざっくりとした解説をします。 エーリッヒ・ゼーリヒマン・フロムは ドイツ生まれ、アメリカの学者です。 主に社会心理学、精神分析、哲学を研究していました。 ユダヤ教正統派の両親の元に生まれたフロムは フランクフルト大学を経て、ハイデルベルク大学に転入し そこでヤスパースなどに師事します。 1931年にはフランクフルト大学精神分析研究所の講師として そのキャリアをスタートさせました。 フロムはフロイトの精神分析を批判的に継承した人として知られています。 フロイトが個人の心理を静的に捉え 人間の本質的な感情や衝動は時代を超える普遍的なものだと考えたのに対し フロムは個人の心理を動的に捉え 人間の心理と時代ごとの社会は互いに影響し合って ときにはその時代固有の精神性を発揮すると考えました。 つまり、フロイトはあらゆる精神状態の原因を個人に求めたのに対し フロムは個人と対象との関係に着目したとも言えるでしょう。 フロイトを批判的に継承した立場を【新フロイト派】 または【フロイト左派】などと呼称します。 とはいえ、フロムのフロイトに対する評価は高く 彼はこのような言葉を残しています。 「フロイトはアインシュタインやマルクスに並ぶ 近代の創始者である」 この言葉にあるとおり、フロムはマルクスの共感者でもありました。 そのため、社会心理学の立場から フロイトとマルクス主義を結びつけた人とも称されています。 フロムが精神分析研究所の講師となってまもなく、 ナチスが政権を握ります。 迫害の対象だったフロムはスイスに移り住み、 1934年にはアメリカに移住し様々な大学で教鞭を執りながら 執筆活動を続けました。 【愛するということ】 【生きるということ】 【悪について】 【反抗と自由】 などなど、彼の著作はどれも非常に評価が高く 特に【愛するということ】は万人にお勧めしたい名著です。 そんな彼がアメリカに移住した7年後。 第二次世界大戦の最中に 自身初の著書として発表したのが【自由からの逃走】です。 本書では我々が一般にイメージする自由に対して 強烈な疑問が投げかけられます。 フロム自身、マルクスに共感していたこともあって 近代から現代にかけての資本主義的成長に 懐疑的な意見を抱えています。 一応補足をしておきますと、彼は資本主義に反対しているのではなく 『今の』資本主義はベストではないとする立場です。 同様に『今の』民主主義もベストではないと考えていたようです。 【自由からの逃走】では自由を考察する材料として 中世ヨーロッパでの宗教改革、資本主義の台頭 20世紀のファシズム、現代の民主主義を挙げます。 大きな戦いがあるごとに人類は新たな自由を獲得しました。 しかし外的な自由を獲得していった先には 内的な束縛による閉塞感があったと考えるのです。 中世は外的自由を制限された時代でした。 しかし人々は社会に帰属感を感じており 少なくとも孤独ではなかったといいます。 しかし外的な自由が手に入り、個人が個人として世界に現れると それに反比例するように社会への帰属感は弱まり、 一方で孤独感が増してしまいます。 その孤独感を埋めるために、人々は意識的または無意識的に 内的な束縛を自らに課します。 それは世論かもしれないし、良心や道徳かもしれないし 場合によってはより大きな力への服従かもしれない。 何かしらの方法で「自分はここにいる」という安心感を得ようとするのです。 その働きが最悪の方向に動いたのがナチズムであり、 それはドイツにだけ存在した特殊な環境ではないとフロムは考えます。 むしろ現代はすべての国においてファシズムに傾倒する要素が眠っていて それに気付かないのは危険なことだと警鐘を鳴らしました。 そしてそれぞれの時代を心理学的見地から検証することで 人間の自由とはそもそもどんなものなのか? 我々はどのような自由を目指していけば良いのか? それは可能なのか?であればその方法はどんなものなのか? これらのことについてフロムなりの提案をします。 【自由からの逃走】という一見矛盾しているように見えるこのタイトルは まさに自由の重荷から大きな力に逃げ込んだファシズムに従う人たちを言い表すものであり 本質から外れた『自由だと思っていたもの』からの脱却を指し示す言葉でもあります。 次回以降は【自由からの逃走】を下敷きに それぞれの時代の社会性と人々の心理状況を確認しつつ それがどのように我々に結びついていて それが自由の解釈にどう役に立つのか。 などについて触れていきたいと思います。 このシリーズが自由を考えるきっかけになれば こんなに嬉しいことはありません。 以上です。
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