「紙の辞書なんてゴミ!」新聞、テレビが報じない教育現場DX化の残念すぎる実態。
https://forzastyle.com/articles/-/66662?utm_source=pocket_saves
そうなんです! 引用します。
「ここ3年で、学校はガラリと変わってしまいました。3年前までは持ってくることを禁止していたiPadやiPhoneを教育活動に利用しているのですから、信じがたいとしか言いようがありません」
そう、ため息交じりに話すのは幸子さん(59歳)だ。
定年を前に全くわからないことに対処しなければいけなくなった彼女の嘆きは大きい。
( 中 略 )
幸子さんは担当教科が古典だったので、従来通り、教科書の本文をノートに写させて、辞書で単語を調べさせ、文法事項や大切な現代語訳をホワイトボードに板書するという授業を行っていた。
「板書を取らずに、私が書いたものをiPadで写真に撮る生徒が続出しはじめたんです。本文をノートに写すのも、写真を撮ってそこに書きこんでいいかと聞かれるようになりました。辞書ももう誰も使っていないって言うんです」
生徒の言うことはわかります。
従来やっていた
A 教科書の本文をノートに写す;確かにそれなりの価値はあるでしょう。しかし、その時間と労力はかなりのものが必要です。
B 写真を撮ってそこに書き込む ; 時間あたりの情報量ははるかに多いでしょう。
どちらを取るか?
A 辞書で単語を調べる;それ以外の単語も目に入る。しかし、時間がかかる、保管・運搬のコスト
B 端末で単語を調べる;時間が早く、汎用性が高い。
どちらがよいか?
私は、前者(A)の教育を受け、前者のように教えてきた。
しかし、今なら次のように答える。
Bを中心とし、Aを1,2回体験しておこう。
Aの価値も認めるが、Bができる環境がある時にBをやらないのは、やはり非効率だ。
Bで学力を上げるべきだ。
しかし、Aも体験させ、「こういう勉強方法もある。自分で選択すればよい」と説明する。
59歳の幸子先生も、前向きにBをやってみてほしい。
便利さを味わってほしい。