初等社会科教育法 あなたが考えるよい社会科の授業とは(1)
令和5年度前期に初等社会科教育法を受けた学生の振り返りを毎日数人ずつ紹介します。
今回は、「あなたが考えるよい社会科の授業とはどのような授業でしょうか?あなたの経験と、今回の授業の内容を加味して答えてください。」(10行程度以内で)
私が考えるよい社会科の授業は、子どもたちが自ら学びを楽しみ、現実の社会に対する理解や共感が深まる授業である。
子どもが自ら学びを楽しむためには、子どもが興味を持ちやすいテーマや、身近な事例を取り上げることが重要である。講義では私たちに合わせたテーマを扱うことで、楽しく学ぶことができた。ICTのクイズなども利用しながら、児童の年齢や実態に合わせた授業を行いたい。また、子どもたちの意見や経験を尊重することも重要である。ICTを用いて意見交換をしたり、地域の方と協力して実際に体験をしたりする活動を積極的に取り入れたい。そうすることで子どもたちが自ら学習に進み、主体的に考える力を育みたいと考えている。
現実の社会に対する理解を深めるには、現代の社会問題を取り入れることが重要である。例えば、環境問題や貧困、多様性と差別などの課題について学ぶ。そうすることで子どもたちが社会の問題を自分事としてとらえ、社会を支える担い手となる力を育みたい。
私は、全員が参加して、児童たち自身の興味や関心から、学ぶことができる授業がよい社会科の授業だと考える。私が受けてきた授業は、教師が一方的に情報を提示して、教科書通りに進んでいく授業だった。しかし、今回土井先生や皆さんの模擬授業を受けて、教科書を使っていたグループはほとんどなく、ICTを活用して、児童たちの興味を引き出すような授業ばかりだった。「社会科の授業=一方的な情報提示」という印象にさせないために、クイズや友達と調べたり話し合ったりする活動を取り入れ、児童たち自身の疑問や興味を抱かせ、そこから調べる活動や発表する活動などに展開させていける授業がよい社会科の授業だと考える。
良い社会科の授業とは、子どもたちが自分自身と子どもたち自身の生きる社会を繋げて考えるためのツールとして機能しているものだと考えている。社会科の授業を通して、子どもたち自身の社会にも目を向けられるようになることを目標として授業を行う。今回の模擬授業においても、織田信長の情報の使い方を通じて子どもたち自身にも情報の使い方について考えさせることができればより良かったように思う。歴史に限らずどんな分野の授業でも子どもたち自身の生活に繋がるものであることが求められていると考えている。
良い社会科の授業は、子供たちに興味を持たせることとICTを上手に活用することが重要だと思う。まず、子供たちが現実の社会に興味を持つような授業展開が必要である。身近なテーマや日常生活との関連性を強調し、生徒たちの好奇心を刺激することで、学びへの意欲が高まる。また、ICTを効果的に取り入れることで、授業の内容がより魅力的にななるということを学んだ。教材や映像、オンラインリソースを活用することで、子生徒たちの理解を高めるとともに、情報収集や調査能力を向上させることができるだろう。さらに、ICTを使ったグループワークやディスカッションを通じて、コミュニケーション能力や協働力を養うことも重要だと思う。生徒たちが自分たちでアクティブに学び、自ら考える力を養うことで、社会科の授業がより質の高い授業になると思う。授業の構成については、教師側も重要だ。生徒たちの興味や関心を引き出すために、工夫と熱意が必要になってくると感じた。授業計画の中でICTの適切な活用法を考えることや、生徒たちの発言や意見を積極的に取り入れることで、学習が豊かになると思う。これらのことから、良い社会科の授業は子供たちに興味を持たせるために現実の社会との関連性を強調し、またICTを有効に利用して双方向な学びを提供することが不可欠である。生徒たちの成長にとって意味のある、楽しく充実した授業を提供することが大切だと思った
社会科では、授業内容を学ぶ大切だが、それを通して子どもたち自身が自分なりに考えていくこと、変化し続ける現代社会においても考え続けることができるような力を身につけることが重要であると考える。また、これまでに学んできたことや日常生活と関連させながら内容を身につけ、考えていくことも重要である。しかし、社会科の授業では知識の暗記に走ってしまうことが多い。よい社会科の授業とは、社会科において学ぶべき内容を身につけながら、社会的な見方・考え方を働かせ、自分自身で、または他者と関わり合いながら考えていくことのできる授業だと私は考える。また、そこからこれからの社会についても考えていくことも大切である。
私が考えるよい社会科の授業とは、社会の授業を通して、生徒が人や社会とつながることができるものである。私は、これまで社会科の授業は、知識がその学びの中心となるものであると思っていたが、これまでの講義を受けてきて、「何を学ぶか」という知識を習得するだけでは終わらせない、「どのように学ぶか」というところが大切になってくるのだと思った。生徒は、授業通しての思考の深まりや、人との関わりの中で、知識を身に付けていく。そしてその学びは、机上の学びに止まらない、社会に開かれた学びであるのだと思う。そしてそのためには、その授業を受ける全員にとって学びとなる、全員参加型の授業が必要であると思った。特に、小学生の児童にとって、学校が社会そのものであると思う。クラスの仲間や先生との学び合いを通して、自分の社会をどんどん広げていけるようでありたい。
私が考えるよい社会科の授業とは、社会科のものの見方・考え方を用いて課題解決をする、楽しい授業です。私が今まで経験してきた中で社会科に対して抱いている印象は、覚える教科、ということです。確かに、社会科の内容をみてみると、事実であったり語句であったりと、知識として見られるものがあります。ただ、そういったことをなぜ学んでいかなければならないのか、それを今回の授業の中で学んだとき、ただ事実を並べればよいのではない、ということが分かりました。社会科の授業では、その事実に対して、どのように見るのか、考えるのかが重要で、その見方・考え方を育んでいく必要があるのだと考えます。それが生活で役立つ力となります。だからこそ、授業の中では、事実を並べ、伝えるのではなく、課題を提示し、事実に対してどう見るのか、どのように考えるのか、という見方・考え方を問う、または、どうしてそういった事実があるのか、考えていく授業がよい社会科の授業だと考えます。また、その授業に児童生徒が活動したい、知りたいと思うことができるよう、楽しい授業であることも大切だと考えます。
私が考える良い社会科の授業とは、全員参加型の授業であると思った。
まず、私の経験上社会科の授業はほぼ事前知識がある人がたくさん手を挙げて、興味のない人はぼんやりしているか寝ている。そんな授業であった。私は社会科が好きだったため「わかる人」でいつも手を挙げていたがそうなると当たる人はいつも一緒であった記憶がある。私のように積極的に参加し、考えようとする児童にとってはとても楽しいが、「わからない」という児童からしたら全く面白くない授業だったと改めて考えさせられた。
今回の講義で、わからない人とわかる人の差が今の日本ではとても大きいということを学んだ。このまま私が受けたような授業を続けていたら専ら差は大きくなるばかりである。しかし、今回の講義で全員参加型の授業方法を学んだ。「わからない人」、「当てられたら困る人」にフォーカスを向けて支援を充実させることでクラス内での差を埋めることができると学んだ。
よって、私の考えるよい社会科の授業とは、全員参加型の授業である。
私が考えるよい社会科の授業とは、分かる子と分からない子の差が生まれず、全員が理解し説明できる授業である。私がこれまでの学生生活で受けてきた社会科の授業は、教科書「を」教える授業、つまり、内容暗記型のインプットの授業が多かったように思える。そのため、社会科はそういう教科なのだと当時思っていた。
しかし、この大学に入り、初等社会科教育内容A、教育法Aを受ける中で、その認識は大きく変化した。教育内容の授業では、資料Aを提示し児童にそれを認識させたうえで新たな資料Bを提示することで児童に疑問が生まれ、それを利用して考えさせる授業づくりがよいということを学んだ。そして、この教育法の授業では、ICTを活用した授業や全員参加型授業について学び、児童みんなが理解し説明できる授業をどのように作ることができるかを考えることができた。また、上記の教育内容で学んだことも、「AはBなのになぜCなのか」という授業課題の設定と結びつけることができる。
これらの授業で学んできたことを自らの授業に活かし、先生主体のインプット授業ではなく、児童が主体となって行い、みんなが内容を理解し説明できるアウトプット授業を企てていきたいと考える。
私が考えるよい社会科の授業とは、児童生徒が自分事として内容を受け止めることを可能にするものだと私は考える。1.(3)で前述した通り、私が受けてきた社会科はインプットが中心かつ教師主導の授業でしかなかった。また、社会科を学ぶ目的が「テストで点を取るため」という狭義的で表面的なものであったため、正直、ほとんど理解できていないし、単語は短期記憶だったため頭に残っていない。社会科で学ぶ内容に対して自分と線を引いて捉えていたように思う。しかし土井先生の授業は、子どもの興味関心を引く→疑問を引き出す→調べ学習→解決、というようなプロセスで構成されているうえに楽しいツールが活用されており、社会科に対するイメージがガラッと変わるとともに、社会科は自分事として受け止めて始めてスタートするのだなと感じた。かつての私のようにどうでも良いと投げ出していては、発見も想像も何も生まれない。よって、子ども自身と社会の結びつきを如何に認識させるのか、他人事だと思わせないかが教師のスキルであると思うし、良い社会科の授業であると私は考える。
私が考えるよい社会科の授業とは、子どもたちが「もっと知りたい」「もっと勉強したい」と思うような授業である。ただ教科書を音読しワークを解くだけの授業はつまらないし、そのような授業では子どもたちは社会科を暗記科目だと捉えてしまう。
自分の経験上、そのような授業では「もっと知りたい」と思えなかったし、社会科は難しいものだと感じてしまっていた。子どもたちがもっと知りたい・勉強したいと思える授業づくりとして、身近なものと結びつけることが大切である。例えば、地域と関係のあることを学んだり、タイムリーな話題を取り入れたりすることである。今回の講義で紹介された授業例では、導入で偉人かるたをする時、先生が「お札がもうすぐ変わりますよね。どの人か覚えていますか?」と身近な話題を取り入れながら進めていた。 私は正直、今まで偉人についてあまり興味がなかったが、この導入を通じて「お札になるくらいの人はどんなことをした人なんだろう?」と考え、授業では主体的に学ぶことができた。社会科では、教師が学習内容を一方的に投げかけるのではなく、教師が提供した情報や課題から子どもたちが主体的に学べるような授業づくりが大切なのではないかと私は考える。
自分が考える良い社会科の授業とは、「子どもたちが疑問を覆されることで、新たな視点を得られる授業」である。1でも述べたとおり、子ども達は社会科を通して様々なことを学んでいく。それは単なる社会的な知識を覚えることではない。そこで得た知識を元に、自分はどうしていくべきなのか、社会をどの方向に進めていくべきなのか等と言ったことを考えていくのだ。特に歴史は反面教師として、過去の人々の過ちから今を生きる私たちが学ぶべきことを数多く示唆している。このように社会科は、世界を形作っていくことに直結しており、だからこそとても重要であると言えるのだ。授業の話に戻ると、それまで当たり前だと思っていた自分の世界を揺るがすよう体験をすることで、その後においてもこれが本当に“普通である”のかを、批判的に捉えて考えること、つまり批判的思考力を養うことが出来る。またこの講義においても、社会科の基本は“AはBであるのに、なぜCなのか?”という発話の仕方が基本であると学んだ。子どもたちの中にある当たり前、ひいては固定概念まで覆すことが出来れば、一人の人間として成長できるのではないかと思う。
社会科の授業は、単に歴史を知ったり、現在の地理的な事実や物事を知るにとどまってはならないと思う。私が考えるよい社会科の授業とは、学んだことを自分の人生に生かし、つなげていけるような授業である。社会科の授業を通して、どのような歴史的事実があって現在があるのか、その過程はどのようなもので、人間のどのような思いを持っていたかは、世界を知るうえで大いに役立つと思う。私の行う社会科の授業が今それぞれの子どもたちの生きる世界を考えるきっかけになれば、それは良い授業だったといえると思う。
私が考える良い社会科の授業とは、自分の考えをまとめ、自分なりの説明ができるようになるような授業である。今まで社会科のとにかく暗記するというイメージだったが、この授業を受けて単語や年号を覚えて終わりではなく、そこから理由や意味を説明できるようになるということが大事だと思うようになった。出来事や事実の背景を知り、学んだことを今後に生かすことに社会科を学ぶ意味がある。そのためには、一問一答形式ではなく、児童に考えさせる授業をする必要があると考える。児童に考えさせる授業にするには、他者との交流は不可欠であり、間違えても怖くない、いろんな考えを受け入れられるといった雰囲気作りが必要である。以上のように、社会について自分の考えを持ち、他者と意見交流をし、さらに考えを深めることのできる授業が良い社会科の授業であると考える。
私が考える良い社会科の授業とは、生徒が単に事実や出来事などの「見えるもの」を学ぶだけにとどまらず、その事象の背後にある「見えない」要因や意味を理解することで、それを「見えるようにすること」ができる授業だと思う。これにより、社会科の学びが、より深まり、公民的な資質や能力の育成が促進されると思う。例えば、歴史の授業だと、出来事や時代を学ぶ際に、その日付や出来事の概要だけを記憶するのではなく、その背後にある社会的な背景や人々の思想、文化的な要素などを理解することが重要であると思う。それによって、出来事の捉え方も大きく変わるし、未来につながる新たな課題が見つかると思うからだ。戦争の原因や結果ではなく、当時の政治、経済、社会的な状況を考慮することで、出来事の意味や影響をより深く理解することができるといった具合だ。授業内容でいうと、ちょうど、最後のアンネの日記が、これを体現していると思う。また、いい社会科の授業とは、生徒が知識だけでなく、批判的思考やコミュニケーション能力を養い、現代社会に対応できるようにすることでもあると思う。そのために、日常生活や社会の出来事との関連を強調し、学んだ内容を実際の状況で生かせるようにしたり、教科書だけでなく、複数の資料を活用することで、情報を批判的に考察し、自分の意見を形成できる力が高められると思う。題材にするテーマを精査することあったり、それを伝え、考えさせるための技量が教師には必要であり、結果としていい授業につながると思う。
私は今まで、知識をよりつけさせられることができる授業が良いものだと考えていた。なぜかというと、テストや入試、様々な場面で「知識」として捉えられるからである。だからこそ、穴埋めプリントを作ってくれたり、問題集を作ってくれたりするような教員が、中高生時代は好きだった。しかしこの授業を経て、社会は知識ではなく経験が大切になるのではないかと思った。なので、私は社会で「考えさせるきっかけを与えられる授業」をしたいと思う。きっかけは「社会認識」というワードであった。この授業で味方、考え方を広げると、社会的事象も大きく見ることができ、結果的に社会のいろんなことを自分の目で見ることができるようになることを知った。しかしそれには経験値が必要になってくる。それを社会で培わせなければいけないのだ。例えば、問いかけにおいて、A は B なのに、なぜ C なのか?ということを毎回意識するようにする。そうすることによって子どもたちが自然と社会だけではなく、色々なことにおいてもそういう考えを持つことができる。そうしたら教員の勝ちであり、価値でもある。そういった技術や能力をもたせられる授業作りをしたいと思う。
今まで私が受けてきた社会科の授業は、教科書に書いてあるようなことを読んで、担当教師が補足で説明を付け足し、板書をするような授業だった。別にそのような授業でも、何一つ不十分なことはなかったし、テストでも点数が取れていて、それが社会科の授業では当たり前だと思っていた。しかし、今回の全15回の授業を受けて、子どもたちの興味がそそるような、何か一つでも多く吸収してもらえる授業が社会科の授業であると感じたし、そういった授業をしていく必要があると感じた。その中で、パワーポイントを使ったモザイクが取れていくクイズだったり、piglyphを使って楽しく意見を出し合ったりすることで子どもたちは楽しく社会科の授業に取り組めることが分かった。また、そういった授業づくりをするためには、教員自身が勉強を重んじて、しっかりと知識を蓄えておく必要があると、最後の土井先生の授業を参加して思った。アンネの日記の授業は、歴史のことだけでなく、時事問題的な現代のニュースからも取り上げていたので、社会科は歴史や地理、公民だけ学ぶだけではもったいないのだなと感じたし、これからはテレビのニュースやネットの記事にも目を向けていこうと思った。
私がこれまでに受けてきた社会科のイメージは、穴埋めのプリントが配られ、先生の話を聞きながら板書を見てプリントに書き込んでいくようなインプット中心の授業だった。しかし、土井先生の授業は、「わかったことを説明しよう」という学習のめあてや、「思ったことを周りの人と話し合おう」というように、インプットよりもアウトプットを重視したものだった。
そこで、私はよい社会科の授業とは、『事実を提示して児童の「なぜ?」を引き出し、知識や考えのアウトプットを中心にして社会認識を広げていく授業』だと考える。事実とは、グラフや写真などの資料などが中心であり、それらを提示・比較したときに生まれる疑問を大切にしたいと思ったからだ。また、新たに得た知識を疑問の解決に活用させるために、周りの子に説明するなどしてすぐにアウトプットさせることで、理解が深まるのではないかと思ったからである。そうすれば、今まで見ていた視点の奥にある社会認識を広げるという社会の目標を達成できるのではないかと考える。