いよいよ、秋山芳子先生が裁判長となって、私にとっては、転校のまだ初日の日なのに、こんな目に遭った、私達が裁かれる、「裁判」が始まった。
先生は、誰がその発端となったのか?と訊いた。
私は、その二人の生徒に言い寄られて、それから、今回のように、一方的に、暴力を振るわれた、と言った。
その二人の、K林と、K野は、僕らがせっかく遊ぼうと誘ったのに、無視された、と言った。
そこで先生は、それら双方の意見を聞き、見た上で、じゃあ、それが本当ならば、それをそばで見ていた者はいないのか、と改めて尋ねた。
そこで、出て来たのが、先程も紹介した、A藤君で、「○○君(私)は、ジャングルジムで遊んでいました。そこから降りて来た○○君が、どこかへ行こうとしていたら、この二人が、無理やり、○○君が遊びたくない、と断ったのに、強制的に、自分に従えるようにして、最後は、教室に来てまで、この二人は○○君に付きまとい、暴力を振るいました。」と私の言葉、行動を、弁護してくれた。
秋山先生はそれを見て、聞き届けて、K林、K野、とその二人の名前を告げて、クラスメート皆の前で、○○君(私)に、謝りなさい!と言った。
そうして、あっけない程に、その二人は、ごめんなさい、と言って、私に謝った。
先生は、私に対して、「許しますか?」と訊き、私もしょうがないので、「許します」と言い、そこで、双方、和解となった。
それから、秋山先生は、何事も無かったの如くに、授業を再開して、裁判は終了した。
その授業の終了後、その、K林君と、K野君が、改めて私の元へとやって来て、さっきは御免、また、今度一緒に遊ぼうね、と言ったので、私も、いいよ、と言った。これにて、仲直りとなった。
それ以来、この二人とは、小学校、中学校を通して、一緒につるんで、いつも仲良く遊ぶ、遊び友達となった。
今は、連絡は取っていないが、この内の片方の家の親が、私の家の近所に移り住んでいる。その親の息子の友達は、郡山市内の、帝京安積高に行った。
もう一人は、高校を、鏡石町にある、岩農、県立岩瀬農業高校に行っている。
この最初の時は、私は一生、恨んでやろうと思う程の、酷い扱い、侮辱に思えたが、秋山芳子先生が裁判長を買って出て下さって、私達の友情も芽生えたのだ。
この秋山先生は、こうやって、良く、生徒同士の問題が起こると、「裁判」と称して、先生が裁判長役となり、問題を起こした生徒同士を被告原告として、皆のクラスメートは、陪審員というか、傍聴席にいる証人として、即席の裁判の審判をして、最後は和解に持ち込み、生徒同士を仲良くさせて、クラスの問題を上手に解決に導く教育法を、先生は率先して自ら行った。
秋山先生とは、私が、小学校、中学校を卒業し、私が進学校の福島県立安積高校に合格した時に、その頃、個人情報など問題にはされない時代に、私の合格を地元新聞紙面に合格者氏名が発表されたのを見た先生は、真っ先におめでとう!と、我が家に電話なされ、私とも、どんな事を話したのか、今は覚えていないが、数分間、先生とお話した。
秋山芳子先生はこの大槻町が、自身の小学校勤務で余程気に入った土地であったと見えて、住む住居の拠点を、市内の市街地、確か、菜根何丁目から、この大槻町へと、移り住んだ。
その後、私は、何度も、私の近所で、御高齢になられた先生の姿を、それも元気に自転車に乗られる御姿を目にしていながら、こちらからは何も、声掛けも出来ないまま、それからしばらくすると、先生の御姿が見受けられなくなってしまった。
先生が今も御無事で御元気で居られればいいのに、と、一人、いつも私は考えて、思い続けている。
完。
以上。よしなに。wainai