Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

昨日、安高そばにある、「ガトーナカヤ」のパン屋さんへ寄る、学生生徒時代の諸々話、現学生・生徒達へのエール

2023年01月20日 08時12分25秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
郡山市中央公会堂側から、郡山市中央図書館を望む。
郡山市中央公会堂の雄姿。歴史のある建物。

 昨日は、認知症サポーター講座が郡山市中央公会堂(立派な建物、おそらく、明治時代の建造物)であり、その帰り、郡山市中央図書館に立ち寄り、しばし、音楽CD類を借りる為物色。「決定版 卒業ソングベスト」というのと、「ザ・ピーナッツ オリジナルソングス」というCDを借りた。
 ザ・ピーナッツは、以前にも借りた事があるんだが、それには「モスラ」が入って居なかった。その作曲者は、何と、福島県が生んだ偉大な作曲家「古関裕而」氏が作曲したとあっては、借りねばなるまい、と意気込んだ。
 卒業ソングには、皆、合唱団が歌う曲ばかりだが、その中で、聴きたかったのが、「旅立ちの日に」という、今はやりというか、定番卒業ソングが入って居たからだ。この曲が何故、今、そんなに、若い人たちの間で、流行り、定番化したのか、その意味、目的、傾向性を是非見出し、伺いたい。昭和世代には、全くの未知の世界である。
 その世界観、歌詞には、こうある。

『旅立ちの日に』
白い光の中に 山なみは萌えて
遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
限り無く青い空に 心ふるわせ
自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず
このひろい大空に夢をたくして

懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあのとき
こころかよったうれしさに 抱き合った日よ
みんなすぎたけれど 思い出強く抱いて
勇気を翼にこめて希望の風にのり
このひろい大空に夢をたくして

今、別れのとき
飛び立とう未来信じて
弾む若い力信じて
このひろい
このひろい大空に

今、別れのとき
飛び立とう未来信じて
弾む若い力信じて
このひろい
このひろい大空に

 素晴らしいじゃない。今の若い人達の抱く気持ち、一端が、この曲に表されている気がした。今風の曲ではあるが、ちゃんと、過去への回想、未来への希望、展望が語られ、卒業には正にピッタリであり、これを歌って今の生徒達は、学校を巣立ってゆくのだな、と一人合点をしていた。
 素晴らしいとしか言えなかった。私はその日、ちょうど、「認知症サポーター講座」を受けて、やり場の無い、虚しい、やり切れない悲しい思いを残し、その時、致し、正に涙に暮れそうだった。しかし、この曲を夜中に聴いて、気分が改まった。晴れやかに爽やかに、素晴らしい世界観に、打ちのめされそうだった。
 今の学生、生徒達が、非常にうらやましい、私も生徒に戻りたい、との感を呈した、正に一日であった。
 今の、現代を生き抜く、全ての生徒・学生達に、御卒業おめでとうございます。これからの人生、より良き人生を送り生きて行って下さい。私は、非常な劣等生であった過去であり、何にも、成し遂げたとは言えない人生、半生ではあったけれども、君達には、決して後悔せぬ、卒業後、全き素晴らしき良き人生を送っていってください、とエールを送りたい。

 帰りに、安高、福島県立安積高等学校の側にある、昔からやっている、私も学生時代良く学校帰りに利用した、パン屋さん、「ガトーナカヤ」に寄った。
 そこで、六つほど、パンを買った。画像は、一つは、ピザパンを買ったのだが、お腹がすき過ぎて、既に食べてしまって今や、遅し。しかし、他の五つのパンは残っていたので、写真機、デジカメで「パチリ」。何とか間に合った。
 以下、その画像。

 そこで、店員さんとの、軽い立ち話もした。実は私もそこの前のあの学校出、出身なんですよ、というと、へー、とかハーとか言い、そうなんですか、と驚いて見せる。そして、私も良く学校帰りにこの店「ガトーナカヤ」には立ち寄らせてもらったものですよ、と感慨深げに私は語った。店員さんは一言、そうですか、有難う御座います、と言った。私がこの店に来たのも、何十年ぶり、下手したら、生徒時代以来だ、と言った。店員さんに、この店の隣にある、あの自転車屋さん、あのうちは、私も自転車がパンクした時に、大変お世話になり、今も続けていて、凄い偉いですね。と訊いた。
 すると、あれは、代が代わり、今は息子さんがやっている。息子さんはパンク修理位しか出来ない。昔の先代のおじいちゃんは、何でも一手に引き受けていて、何でも出来た技術者だった、という。
 そのおじいちゃんも、去年だか何年だかに亡くなってしまい、今はその息子さんが継いでいるが、前述のとおり、パンク修理だけは出来るんだと。
 私が三十年前の学生時代だから、その時、修理してもらったのは、きっと、その、おじいちゃんだな、多分、というと、そのガトーナカヤの店員さんも、そうでしょうね、と答えた。
 全ての時代はあの頃とは確実に変化、変わってしまったな、と私は妙に納得、思い致した。
 何分夜なので、もう、名残惜しいが、そのまま、挨拶を交わし、店員さんも有難う御座いました、との売り子の定型の挨拶を私に返し、私はそのまま、まっすぐとうちに自転車にて、あの日の安高の生徒時代と同じように、同じ通学路の帰り道を急いだ。
 その、安高の校門の前を通ると、その時、生徒たちが、もう、五時、を過ぎると言うのに、学校の周りを、集団になって、何人も、安高生達が部活動でランニング、走り込みをしていた。弓道場も、電気が夜暗い中、灯りが煌々と点いていた。
 私は生徒時代を思わず思い出し、安高生皆に、心の中で「がんばれ!」と言った。
 私も、安積高校第一学年の、硬式テニス部の時代、庭球場は私の出身の町の大槻町に安高のテニス場が今でもあり、そこで、夜六時、七時位まで、やはり走ったり、先輩の球を拾ったり、一生懸命に私はスポーツに打ち込んでいた。
 そして、私は元々運動が苦手ではあったのだが、実地の部活動のスポーツは地道に続けていたし、学業の、学科の「保健体育」教科・科目は、常に、バッチリ、百点に近い好成績を上げていた。
 そして、その、第一学年での、私の体育の学業評定、いわゆる「通信簿」では、人生で初めて「5」をいただく。この時は、私は私の人生の勝利感、苦手意識が払しょくされた感が非常に強い。自分の性格、惰弱・怠惰感からの脱却、人生出来ない事など無い、これは私の現在でも、非常な未だにプライド、誇りである。福島県立安積高等学校、万歳!

 ※注:私が上記文中にて、「中央公会堂」は、明治時代の建造物、建立じゃないかと言いましたが、調べた結果、以下の通り。
 『郡山市中央公会堂』=『市制施行のシンボル、そして文化活動の拠点として1924(大正13)年に建てられ、演奏会や演劇、講演会に展示会と、幅広く市民活動の舞台として親しまれてきた。 その役割は建設以来、変わらない。』
 実際は、大正時代に立てられた建造物であり、その当時の市の財政の豊かさが偲ばれます。当時の人達、郡山市の方々が、どんな気持ちで、どんな意志の下に、どんな気概を持ち、どんな将来への希望・展望を持って、この建物を建てたのか、その様式美、素晴らしい建築美、建物自身に籠る構想力に、しばし、その場で圧倒される程の素晴らしき建造物。
 郡山市民と成って以来、カッコよい、と子供の頃からの憧れの建物でした。震災後、確か、一人で、その中で行われた写真展覧会には、これも無料で生まれて初めて中へ入り、参加したのですが、その時以来、約十年ぶり位でしょうか。非常に興奮しました。
 私は非常な建物・建造物・建築物フェチ、でもあります。だから、日蓮正宗富士大石寺の建物群には、目を見張るものがあり、とても大好きな建造物だらけの総本山なのであります。総本山富士大石寺、万歳!
 さすがは伝統仏教が為せる業である、と一人、合点し、納得尽くの日々です。

 ※尚、この記事にて、私のブログが記念すべき、「700回目の記事」のブログ記事として達成、無事、成りました事を、ここに御報告、記させて頂きます。(しかし、この記事の前の記事を、このブログに相応しくないとして、削除を致した記事数点ありましたので、この記事の段階では、現在七百回には到達はして居りません。筆者記す。)
 わずか、と言っても、六年、でしょうか。その間に、これだけ記事を書いて来たんだなあ、と個人的感慨に耽って居ります。
 前にも述べました通り、以前には「日々雑感、わたしが思う あの事この事」という既設ブログがありました。2009年から、このブログが始まる年、2017年まで、続いたのであります。実に、八年間でしょうか。このブログを新たに立ち上げ始まるまでには数か月のブランクがありました。

 それもその原因は、創価のバカ共が、私のブログのタチの悪い書き込みをしてゆき、荒らし、いわゆる、炎上、という奴です。
 奴らは、私が、余程、「日蓮正宗」信徒になったのが、気に食わなかったのでしょう。それはそうだ、私は、私程、以前のブログに於いて、自身、邪教池田創価学会を宣揚し、邪師・池田センセーと仰ぎ憧れ、ぶち上げていた、そんな、私自身が、邪教創価信者の哀れな情けない成れの果て、罪業深き、「バカ者」「バカ共」の邪教信者であった。

 それを打ち換えて、それに対抗して、今までの悪弊とキッパリおさらば、改変改革して、出来上がりぶち上げた渾身のブログが、現在の「Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)」である。これにて、私は、旧弊の邪宗邪教の、邪師による、邪説邪道邪法邪行邪淫と戦いに戦っている現在。今は、全く自由にやらせて頂いている。正に、この世を謳歌、憎まれっ子世に憚(はばか)る、である。

 閑話休題。それはさておき、それはそうとして、置いておいて、今後も、千回、二千回、三千回…と、自身の生命、健康と寿命、自身の元気さ、興味関心の赴く所、どこへでも取材にゆく覚悟と、熱心さ、まあ、余り、アウトドア派では全く無くインドア派の私個人ではあるのですが、続けられる限りに於いて、家の中ででも、しこしこと、文章を綴るのは難儀では御座いませぬので、寧ろ幼少の頃から大得意でありまして、これをライフワークとして、自身のこれは修行、仏道修行の一環として、成り立たせ、行って参りたい、こう申すまでで御座います。本当に、誠に有難う御座います。
 日頃から、私などの、拙著、愚著ブログにお付き合い頂き、誠に有難う御座います。これからも、お引き立ての程、何卒よろしくお願い致します。

 尚、ここに載せた写真画像は、私の、ガラケー、ガラパゴス携帯で撮った写真であり、古さ、画質の悪さを感じさせつつ、いい味をこれが又、出しているんですよ。
 結局、季節、気候、青空、景色にも恵まれ、建造物等、良いロケーションだったのと、私が、イトーヨーカ堂の写真教室に伊達に数か月間通ってた訳じゃない、事実が物語る、なーんちゃって、という、お話でした。
 以上。よしなに。wainai


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