ここでは、私の中学生時代夏休み宿題教材に掲載されていた短いコラムから、ある文章を引用したい。「あなたへの手紙」とは、その教材の見開きページの表題である。
あなたへの手紙
才能は生まれるもので 性格はつくるものです
ギリシアにデモステネスという有名な演説家がいました。この人の話はすらすらとよどみがなく、また格調が高く、当時においてはもちろんのこと、現代でも演説の模範とされています。
ところで、このデモステネスは子どものころはたいへんなはにかみ屋で、人まえではほとんど話をすることができませんでした。青年になってもその性格はなおりません。そこで、これではだめだと思い、彼は毎日、海を見おろす岩の上に立って、海を相手に演説のけいこにはげみました。幼ないころにいちど身についた性格はなかなかなおらないものです。しかし、けいこを重ねるうちに、彼は人まえに立っても堂々と話せるようになったのでした。
人の性格は五、六歳ごろまでに形成されるといわれています。でも、その性格はかならずしもなおせないものではありません。デモステネスの話はそのことをよく表しています。
今じゃそんなではないが、中学生当時の私は大変なはにかみ屋で酷い引っ込み思案の生徒であった。人前に立ち、話す場面では顔が時には赤面症で恥ずかしかった。
しかし、私は、中学校の三年生になり、その頃の部活で文化部系の社会部の部長という役職要職に大抜擢された。
部員の皆で郷土の歴史を調べたり、神社仏閣や地元の食品工場、古い我が町の街道を巡り写真撮影をしたり、それを活字にして新聞を発行したりしていた。とても面白い部活なんだが、その面白さが中々生徒に伝わらず、中々人が集まらない。
そこで、私は、二年生の最後の三学期にその部長に任命されたのだが、その時の全校集会では部長が部員を代表して発表するのであるが、私は余り自分で納得出来る演説、発言は出来なかった。
そこで迎えた三年生の春四月、新入生徒が見守る中、再度、今度は自分なりに考え考えまとめたメモ用紙を手に、今度も全校生徒の前で演説を始めた。
その時は、勿論、気分が上がってはいたが、全校生徒を見据えて顔を見上げ見詰めつつ、じっくりしっかりはっきりハキハキと関東アクセントのアナウンサーの如くの滑舌の良さで自信と誇りプライドを持って、むしろ、その緊張感が良い方に加勢、発展、味方してくれて、演説が見事に立派に、上級生らしく私は振舞えた。
終わると大拍手大歓声。終わった後で、それらを体育館に入り一緒に見守り見つめていた、給食のおばさん達が、演説の終わった私の姿を見て、今回のwainai君の演説は、前回とは打って変わってとても素晴らしく振舞っていた、感動した、とそばに掛け寄り語りかけてくれた。
その年度の新一年生が十数人、二年生が五人位の生徒達が我が部に入部してくれて、今まで三年生が主力メンバーで、我が中学校のお荷物部かのような存在の、その年の廃部も目前に見えていた我が社会部が、俄然(がぜん)存在感を示し、見事息を吹き返した瞬間だった。
その後の私は人前で恥ずかしいなどのはにかみをする事も全くなくなり、郡山市の進学校、福島県立安積高校生徒第一学年時代には、やはり春四月の新入生の安高生応援歌練習の際、余りに大きな立派な声で応援歌を地声で歌うものだから、団員さんに応援団に入らないかとスカウトされた程であった。
私は思うに、人の性格も、人生そのものも、宿命・宿業・運命といったものも、必ずや辛気臭い運命などは絶対に変えられるし、私の信条とする、末法の御本仏・宗祖日蓮大聖人様の宿命転換の極理を持ち出すまでもなく、人間として当然変えられるものだと信じている。
以上。よしなに。wainai