パロマの湯沸かし器による事故が社会問題になっているが、ひとごとではない。
何年も使用していたことがあるからだ。
随分昔のことになるが、名古屋で結婚して最初に住んだのは3軒長屋の借家だったが、ゆー姫が生まれて間もなく1軒屋の借家に引っ越した。
場所は、名古屋市の西区柳町というところで、交通の便もよく、低家賃だった。休日には、よく家族で名古屋城まで散歩に出掛けていた。
難点は、平屋のボロ屋で風呂がないことだった。
そこで、中庭みたいなところに浴室を作り、台所につけた中型の湯沸かし器と給湯パイプによるシャワー設備の簡易な浴室を設置した。
冬は寒くて大変だった。(笑)
でも、懐かしい思い出だ。
そのとき以来パロマの湯沸かし器を利用しはじめ、その後東京と名古屋の往復の転勤で社宅に引っ越しきた際にも、機種は違ってもパロマを使っていた。
でもどの建物も自然換気設計だったし、今でも同じだが使用するときは、換気扇は必ず使用していた。そのおかげで命がつながっていたのかもしれない。
一歩間違えればと思う事件だ。
何年も使用していたことがあるからだ。
随分昔のことになるが、名古屋で結婚して最初に住んだのは3軒長屋の借家だったが、ゆー姫が生まれて間もなく1軒屋の借家に引っ越した。
場所は、名古屋市の西区柳町というところで、交通の便もよく、低家賃だった。休日には、よく家族で名古屋城まで散歩に出掛けていた。
難点は、平屋のボロ屋で風呂がないことだった。
そこで、中庭みたいなところに浴室を作り、台所につけた中型の湯沸かし器と給湯パイプによるシャワー設備の簡易な浴室を設置した。
冬は寒くて大変だった。(笑)
でも、懐かしい思い出だ。
そのとき以来パロマの湯沸かし器を利用しはじめ、その後東京と名古屋の往復の転勤で社宅に引っ越しきた際にも、機種は違ってもパロマを使っていた。
でもどの建物も自然換気設計だったし、今でも同じだが使用するときは、換気扇は必ず使用していた。そのおかげで命がつながっていたのかもしれない。
一歩間違えればと思う事件だ。