北海道でノンビリと

タブタブの何処かへ行こう を改題しました。
何処かへ行く機会も減ってきたので 北海道を楽しもうと思ったからです

ツルツル

2024-12-27 22:09:56 | 日記
ツルツルだ。
私の頭のことではない。
玄関を出た途端、ツルっと滑って転びそうになった。

昨夜降った雪の後に雨が降り、気温が下がって凍ったようだ。
スケート場のように平面ならまだ良いのだが、至る所に斜面が潜んでいるので油断できない。

後から知ったが、北海道の大部分の地域がツルツルになったらしく、転倒者が続出。
救急車で搬送された人が92名も出たと云う。

それでも車を運転しなければならないのは、検査の予約日だから。
車は勝手な方を向いたりタイヤが空転したりするのでドキドキ運転だ。
国道に出て橋を渡るために交差点を左折しなければならないのだが、何か様子が変だ。

交差点で曲がりきれなかったトレーラーが中央分離帯に乗り上がった状態で動けずにいるのが見えた。
そして中央分離帯の向こう側、反対車線には乗り上げてきたトレーラーを避けようとしてブレーキを踏んでも停まれず、次々と衝突した車が6台ほどいて上り車線を塞いでいる為、通行不能で大行列。

幸い私の走る方向は通行できたので、滑りながらも何とか無事に病院へ到着。検査を受けることができた。

後から聞いたのだが、バスも全線が半日近く運休したらしい。
冬休みに入り帰省のために空港行きの連絡バスを待っていた学生が並んでいたのを思い出した。

飛行機に乗れたのだろうか。
それが心配だ。

部分ハゲの原因は

2024-12-25 23:14:13 | 日記
※またまた昨日の続きのようになるけれど

祖父と祖母が始めた店は、私が生まれた時は移転していて、俗に云う駅裏と云う場所にあった。
未舗装ながらも片側1.5車線はある広い通りに面していて、風呂屋や歯医者に薬局や郵便局、酒屋や市場もある活気ある場所の一角に、祖母の店はあった。

店の奥には、台所や便所に風呂があり、その近くに祖母の部屋、叔母夫婦の部屋、そして廊下の突き当りに父母や私の暮らす部屋があった。

つまり三世代部屋別の同居と云うことだ。

私がしっかり歩けるようになった頃だから多分3歳頃だと思うが、気が向いた時しか相手にしてくれなかった父と部屋の中で相撲をとった。

敵う分けは無いけれど喜んで何回も挑んでいる内に、父に強く押されて仰向けにひっくり返り、頭の右後ろを柱の角に ゴンした。当然私は火の出るように泣いたし、もう父とは相撲をしないと決めた。

柱にぶつかった場所は 線状にハゲた。

数年後、母がそのハゲを見て「どうしてハゲたか知っている?」と訊いてきたので「お父さんと部屋の中で相撲をとっていて投げられ、柱にぶつかって そこがハゲになった」と云ったら「覚えているものなんだねぇ」と驚き
「何処の柱だかも知っているの?」と云うから「部屋に入って最初の右角にある柱」と詳しく説明したら絶句した。

私は得意になって「夜中にお父さんとお母さんが相撲しているのも見たことあるよ」と云ったら、近くにいた叔母が急に忙しそうにして茶の間から消えた。
「最初 喧嘩しているのかと思ったけれどお母さんは泣いていなかったから相撲だと思って安心してまた眠った」と云ったら、父は下を向き、お婆ちゃんは珍しく「バカ」と云う言葉を残して茶の間から出て行った。

今は分かる。喧嘩でも相撲でも無かったのだろうと云うことを。
ゴメンね、余計なことを言って・・・・・

でもそのハゲが残っている限り、私の記憶が消えることはない。

少しだけの 嘘

2024-12-24 14:35:21 | 日記
※ 昨日の続きのようになるけれど

母と その姉の叔母は祖父と祖母の作った店で働いていた。

私の推測だが、祖父と祖母は口減らしの為に北海道へ流れてきたのだと思う。
何処で二人が知り合ったのか、旅に出る前から一緒だったのかは分からないが、長い長い蒸気機関車の旅の末、当時線路の先がない終着駅である、今私たちが暮らしている町の駅に降り立ったのだと思う。

啄木が 「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」と詠んだ時よりもさらに昔だから、寂しさはさらに強く 寒村のような町だったのではないかと思う。

そこで暮らす決心をし、住居を作り商売を始めたのだから祖父と祖母の苦労は並大抵ではなかったのではないかと、本当にそう思う。

その証拠に祖父は私の生まれた4年前に61歳で他界していて残された祖母が私の母と叔母(母の姉)とで細々と店を維持していた。

自慢じゃないが、祖父は遺影を見る限り本当にキリッとして良い男だった。これは断言できる。
遺影はもう残っていないが、目を閉じるといつでもイケメンの坊主頭のおじいちゃんが私を見つめている姿が浮かぶ。

私はお婆ちゃんっ子だった。オッパイをくれなくなったお母さんには見切りをつけたと云うことだ。
いつもお婆ちゃんの姿を探し傍にいた。

お婆ちゃんは寝るときによくオハナシをしてくれた。記憶しているのは紙の上に 粉を広げて乾かしていたのにオナラをしたら全部飛んで消えた と云う 本当か嘘かわからないオハナシだけれど、何回聞いても面白くて私も笑った。

ある日、急に不思議に思ったことをそのまま婆ちゃんに訊いた。
「ねぇ、ボクはどこから産まれたの?」と云う疑問だ。

お婆ちゃんは、家の裏口の先にある「あの木のマタだよ」と教えてくれた。
私はそれを信じて、以後少し高い位置にある木のマタを何とか覗き込もうとしたが手の先しか届かず、ナデナデして過ごすことが多くなったのだが、子供ながらに(何か違うんじゃないか)と疑問が沸いた。

それで、今度は母に同じ質問をしてみたら「お母さんのお腹から産まれたんだよ」と教えてくれた。
だから「お母さんなのだ」と木のマタよりは信じられる言葉だった。

だが、新たな疑問ができたので訊いた。「お腹からどうやってボクが出てきたの?」と云うことだ。

それにお母さんは「一瞬だけパカッとお腹が割れるの。少し痛かったけれどね」と説明した。
そうだったんだ、お母さんは痛みに耐えて頑張ってくれたんだ。と改めてお母さんの凄さを思った。

でも今は知っている。アノ説明にも少し嘘が入っていたことを

出てきたのは、ずーっと ずーっと下の オマタだったんだよね。

哀しみと後悔の始まり

2024-12-22 20:20:59 | 日記
私は記憶が良い方だと思っていたのだけれど、最近自信が無くなって来た。
人の名前が出てこないし、得意だった引き算や割り算が苦手になった。
お迎えが近いと云うことだろう。


惚けてきている今の事は置いておいて、記憶が抜群に良かった時のことを書こうと思う。
「嘘言え」と思われるかも知れないけれど事実だし、正直自分でも本当かな?と思う。

実は最初、私は小さな虫だった。
どんな形をして何と呼ばれていた虫なのかは自分でも分からないけれど、アッと云う間に少し大きな何かに襲われ食われた。痛みも苦しさもなく一瞬で嚙み砕かれた。

そして次に自分を取り戻した時も、また虫だった。前よりは少し大きく頑丈そうだったが、逃げる間もなく何かの口中に消えた。

そして次に明瞭な記憶があるのが臭いだ。何かモワッと股が温かくなり、次に刺激臭がして気持ち悪くなり大声で泣いた。

すると大きな動物が急いでやってきて、私の股をスッポンポンにし新しく濡れていないものと交換してくれた。つまりオムツを交換してくれたのだ。3回目の生まれ替わりで初めて人間になったと云うことだ。
今のようなパンパースなんて便利なものではなく、古着を再利用したものだ。

次に気持ちが悪くて泣いたのはウンチをしたからだ。刺激臭なんてものではなくて耐えきれないぐらいに臭い。
私の泣き声を聞いた大きな動物がまたやってきて、全く嫌な顔をせず臭いとも云わずに嬉しそうに汚れたお尻を拭いて、また濡れていないものに交換してくれた。

(何と優しく親切なヒトなのか・・・) そう思った。ヒトの優しさを初めて認識した。

このヒトはオッパイ飲みなさいと胸を広げて柔らかくて心地良い乳の先にある部分を私の口に入れてくれた。
それを軽く吸う。つまりオッパイ星人が誕生した瞬間だ。至福の時を一日に何度も提供してくれるヒトの事を「お母さん」と呼ぶようになったのはまだ先だが、自分にとっては特別な存在となった。

私は眠っている時以外はオッパイに吸い付いていたのだが、同じ部屋には時々「お父さん」と云う人が現れてなぜか偉そうにしていた。

お母さんとお父さん、言葉が似ているから何か関係があるのかと思ったが、オムツを替えてくれることもなくオッパイを吸わせてくれたことも無かったが時々少しだけ抱いてくれ、高い高いをして喜ばせてくれた。

歯が生えた頃だと思う。突然オッパイの嚙み心地を試してみたくなり・・・・噛んだ。
悲鳴を上げてお母さんは私をオッパイから離した。

丁度家に来ていたトンケシ(地名)のオバサンとお母さんは何か相談を始めた。
それを見ながら私は嫌な気がした。

そして決まってしまったのが離乳。
以後、泣いても暴れても母は二度と私の口にオッパイを入れてくれることは無かった。
最大の悲しみと後悔を味わった瞬間だった。
 


ハイタッチ

2024-12-19 10:04:23 | 日記
予約していた大腸ファイバーの日が来た。
マニュアル通りに昨夜は指定時間に下剤を飲み、記入用紙へチェック。

翌朝指定時間に病院へ行き、今度は腸管洗浄剤と云うのが2リットルも入ったのを渡され、チビリチビリと時間指定で間を空けて飲むように指示された。

同胞が10人ほどいて、朝なのに手酌を繰り返す。まるで場末の居酒屋だ。
窓の外を眺めながら少しずつ飲むのだが、頭の中に流れる歌は 「♪お酒は温めの燗がいい・・・・」と八代亜紀。

ルンバに「美味しいの?」と訊かれたが、「不味くはない。少し甘口かな」と下戸のくせに飲兵衛コメント。
もし出そうになったらトイレへ入り、出たらトイレの中にあるオレンジのボタンを押して看護師さんを呼び、出たばかりのンコを見せて確認するシステムだ。

ルンバにボタンを押すときにはパンツを下げたままで良いのか、上げてから呼んだ方が良いのか相談したら
「好きにすれば」と冷たい。

私が確保したのはトイレ直近の一等席。
モヨオシテ私の横を通り、トイレへ入って看護師さんに確認してもらう人が続く。

どうやらンコが固体でなくなり、一緒に出た水が透明になれば検査OKとなるようだ。

私も数回チャレンジしたが、まだ固形物が少ししか出ず、OKは出ない。
「出ましたか?」と名前を憶えられた看護師さんに何度も確認されるが 出ないものは出ない。

そうだ、「院内をウォークしてみます」と告げ出発。「私も行く」と云って付いてきたスリスリは階段上がりの4階で姿を消し、いつしか八代亜紀の歌声も私の耳奥から去った。

それでも排出した水は澄まないのでOKとはならない。
先生から「浣腸してみて」と云われましたが抵抗ありますか?」と言われたが、抵抗なんかあるはずがない。
病院と云うところは穴の開いている所には色々入れてみるし、穴のない場所には穴を開けるのが当たり前の所だ。

だからコーモンなんか平気で見せるし、チンコだって優しくしてくれるのなら喜んで握らせる気満々だ。
モチロン、サービス料金は発生せず保険適応だ。

検査台に寝かされ、ルンバよりずーっとずーっと若い看護師さんに秘穴を広げられ、思った以上に太い何かを捻じ込まれ「ウッ」
「もう入れましたからね、出したくなっても5分は我慢して」と云われたのだが、3分も耐えられず、検査台横のトイレに座った途端、まるで月へ向かうロケットのような大噴射。

「凄いわ、浣腸」と感激していたら意識せずに第二噴射、第三噴射と続き軌道修正?
多分体重が2~3キロは減ったのではないかと思う。

数分座り続け、5分は耐えた風を装いオレンジのボタンを押した。

彼女の「たくさん 出ましたね」と喜ぶ顔を見られて私もやっと笑顔。

ハイタッチしそうになったが・・・・寸前で思いとどまった。