信長、秀吉の時代、鉄砲を駆使した巨大な勢力 根来衆の本拠地だった根来寺へ行った。
今は寺域もかなり縮小してしまったが、兵火を免れた国宝の多宝塔を眺めて戦国時代の根来衆、雑賀党の息吹を感じた。
我が家は真言宗だ。月に一度お経をあげにくる お坊さんから「是非高野山へ行ってみて下さい」と云われたので、それ程信心深くはないけれど行かねばならない。
真田幸村が幽閉されていた九度山を抜けて車は山道へ入った。
カーブだらけの道を どんどん 嫌になる位走っても高野山は まだ先のようだ。
その内、路肩に634メートル地点の表示。つまりスカイツリーの高さを越えたと云うことだ。
雲は下になり気温も下がってきた頃、やっと大門に到着した。
弘法大師様も とんでもなく高い山上に寺を作ったものだと思うのだが、大日如来を感じるためにはここが最適だったのかも知れない。
高野山には、何カ所か駐車場があるが全て無料。何かする度に金をとられる色々な寺院とはエライ違いだ。
伽藍の配置が広範囲なので、大変だが 一応信徒である私は神聖な建物を一つ一つ拝み、写真を撮って歩いた。
「奥ノ院には絶対に行ってみて下さい」と云われていたので寺域の一番奥にある駐車場に車を移動して参道へ入ってみたのだが、奥ノ院は広大な墓地の奥にあるようで、沢山の人に混じって奥へと進むのだが 古寺は好きだが墓地が苦手な私は あまり楽しくはない。
周りの立派な墓標はヤクルトとか東洋ゴムとか一流企業の名前がズラリ。
これは墓と云うより供養塔のようなものなのだろう。
最初新しくて墓碑銘も読めていた墓が奥に進むにつれてどんどん古くなり苔むして墓地感が強くなっていった。
中には戦国武将の名前が入った墓もあったが、その最奥に奥ノ院がありお経をあげている声が響いていた。
私は一応「奥ノ院まで来たよ」と云う事実を残して サッサと元来た道を辿り
車に乗って雲の下にある俗界へと戻った。