特別に信心深くはないけれど、寺のお坊さんから高野山真言宗の「特別伝道北海道大会」が私の街で行われることを知らされた。
せっかく教えて頂いたので興味本位で会場へ入ったのだが、ほぼ満席状態。
周りを見回しても同年代ばかりで同行したスリスリが、もしかしたら一番若いのかも知れない。
開会宣言と挨拶が終わり、壇上には大僧正を中心に僧侶が並び約30分のお経が始まった。
(これがサザンのライブなら良いのに) と開始早々不謹慎な私。
休憩の時に早くも姿を消す人が出たが、次の特別講演、エンターティメント「お寺へ行こう」は、まるで吉本の演芸を見ているようで会場から笑い声。
阿字観と云う瞑想体験では、独特の呼吸法で全員が気息を整え、瞑想に入った途端、広い会場内から音が消えた。
ルンバはゲップを飲み込み、私は変な音と匂いを漏らさないかと心配した。
この場の空気を濁し雰囲気を壊したら大変なことになりそうだ。
瞑想の中で迷走している私達。
長い長い「無」の時を経て微かな鈴の音と共に瞑想は終了し俗界に戻った。
知らなかったのだが、高野山には生け花「華道高野山」と云うのがあり、その実演を初めて見た。
見る目の無い私にはサッパリその良さが理解できず、隣に座っていたスリスリはついに夢の中。
御詠歌に合わせた宗教舞踊はリズムが単調で、俗人の私には良くワカラン。
そう云えば子供の頃、家の玄関前に虚無僧が立ち尺八を吹いていたのを見たことがある。
稀に白装束で鈴を鳴らしながら単調な歌を唄う人がいたのも思い出した。
あれが御詠歌だったに違いないと確信した。御詠歌は巡礼歌でもあるらしい。
繰り返される変化に乏しいリズムが耳から脳へと染み込んだ。
曲調は全く同じで、五・七・五・七・七の詩だけが異なるようだ。
違うと云われるかも知れないが、和歌に間延びした曲を付けたような感じ。
難聴の私にその言葉は聴き取れないが、帰宅してからもしばらくは単調な歌声が鈴の音と共に脳の奥底で回っていた。
次回は9年後に開催されるとのこと。
「9年後ならもうこの世にいないね」と云うルンバに大きく頷く私。
あの世から御詠歌を聴き、「癒されるねぇ」なんて言っているかも知れない。