北海道でノンビリと

タブタブの何処かへ行こう を改題しました。
何処かへ行く機会も減ってきたので 北海道を楽しもうと思ったからです

耐えなければ

2021-02-28 20:58:07 | 日記
今季最後の「SL冬の湿原号」運行日だと云うのが気になっていた。

今日も体調は良さそうだ。
ネックウォーマーを装着して防寒対策完了。

車で走っていて何処でSLを撮ろうかを考える。

結局、イワボッキ山の麓で撮ることにした。

イワボッキは、漢字で書くと岩勃起。
岩のように硬いアレをチラッと想像したアナタは変。

イワボッキ、本当は岩保木と書く標高120m程の山。
この山裾を迂回するようにSLが走り、ここから本格的な釧路湿原の風景が展開していく。

撮影予定の場所は線路が大きくカーブする地点。そこへ行くまでの道路が除雪されているかどうか、車がスタックせずに到達できるかどうかが心配だ。

ドキドキしながら悪路を進み、釧路川と新釧路川との分岐点にある水門近くののPへ無事到着。

ここは私の好きな場所の一つ。時間に余裕のあるマイフレさんを案内する時に訪れることが多い。

旧水門の向こう側に見える阿寒連山が美しい。





Pから雪道を歩いてさらに奥へ進み、やっと辿り着いた地点には既に10人ほどのカメラマン。

その中に遠慮気味に加わって、耐寒レース開始。



周りを見るとスキーを履いている人がいた。多分川沿いを歩いて来たのだろう。



隣のオッチャンと、その隣のオネェチャンは、ミサイルでも飛び出すような巨大なレンズを装着している。



湿原を渡ってくる冷えた空気が突き刺さり顔が痛い。



その自然の中にいると、何故かモヨオス。

寒さの他に、もう一つ耐えなければならないものが加わった。

一歩ずつ踏みしめながら

2021-02-27 21:39:56 | 日記
やっと体調が気にならなくなった。
普通に生活できている感じがする。

昨日もマァマァだったのだが、夕方から少しどうかなぁ・・・・・と云う不安が出てきた。

しかし、今日こそはイケそうな気がする。

と云うことで様子見の外出。
時々階段昇りをしていた「まなぼっと」へ行ってみた。



目的は階段昇りもあるが、3Fの美術館で開かれている郷土作家展を鑑賞する為だ。



マイフレさんの中には水彩画の教室を開いている方や活け花・押し花の先生をしている方がいるので、もしかしたら作品が見られるかも知れないと思ったのだ。

エレベーターを使わず、ゆっくりと久し振りに3Fまでの階段上がり。

マイフレさんの作品は無かったが、ゆっくりと目の保養をさせて貰った。

階段を下りた後、出世坂を歩いてみようと思った。
昔、この坂の上には官公庁舎と進学校があったことから名付けられた坂。



昔は土で、上にあった塾まで友人と競争して一気に駆け上がった。

もしかしたら、この坂を上がるのはこれが最後になるかも知れない。

大した出世も出来ず、シワシワの爺ちゃんに変貌した私が人生を踏みしめるようにゆっくりと上がる。



その横をオネエサンが遠慮気味にスッと追い抜いた。

この世で一番怖い生き物・・・・・・・・であり一番優しい人

2021-02-26 20:03:15 | 日記
久し振りに運転手を仰せつかった。
ツルツル路面と新コロナで外出を控えていたのだ。

スーパーへ入った途端、ルンバの何処かにあるスイッチが入った。
カートに籠を2つセットし、どんどん山を築く。

私は付いて歩くのを諦め、気合いの入った動きを繰り返すルンバを遠くから眺めた。

ドラッグストアーやコンビニにも寄って帰宅し荷物を下ろす。
それだけでグッタリ。体力の低下を自覚した。

去年の私と今年の私は違うのだ。

手のシワシワも増えてきたように見える。

今年の免許更新は何とかバスするかも知れないけれど、次回はもう怪しいかも知れない。

ルンバに、その事を伝えたら「私もね、頭が働かなくて自信が無いから免許更新は無理かも知れない」とのたまう。

「いやいや、あれだけ口でオレを云い負かすのだから立派に脳は動いているよ」とつい余計なことを言ってしまった私。

一瞬でルンバは無口になり目は三角。頭から角が生え、そして口から牙が出た。

あぁ・・・・・、この世にこんなに怖い生き物は他にいるだろうか。

私は目を逸らして身体を猫のように丸め、耳にイヤホーンで蓋をした。

想像したく無いけれど

2021-02-25 19:53:20 | 日記
本州では上着を脱ぎ暑いと云っているのに、こちらでは雪が降った。

岩見沢の方では列車が大雪で先に進めなくなったとニュースが流れた。
駅で止まったのならまだ安心だが、周りに何も無い区間で止まってしまったのなら本当に大変だ。

普通車両にはトイレが無いので、当然野ションを覚悟しなければならない。

もう何年もフニャフニャなヤツも外気に触れた途端、カチンカチンになって青春時代を呼び戻すようになるかも知れないが、目に浮かぶのは凍った小さなウインナー。

女性はもっと怖いだろうと、凍えそうな吹雪の中で丸いお尻を出している姿を想う。

数日続いていた体調不良は気にならない程まで回復したが、まだ様子見の状態だと自分に言い聞かせている。

それなのにアノ人は頭にタオルを巻き意気揚々と雪かきに出陣。

私に「手伝え」とは云わないけれど、でも独りで頑張っていることを思うと罪悪感に苛まれ、結局私も着替えて外へ。

しかし出てみて分かったのだが降雪量は2センチ程だろうか。
幸いにも大雪ではなく、ホウキで集められる量だ。
これなら溶けるんじゃ無いのかと思ったが、せっかく外へ出たのでその少ない雪を集めてスノーダンプに盛り、空き地へ何度か捨てに行った。

しばらくウォーキングをしていないし、運動にはなるかも知れないけれど・・・・・
でもねぇ、何か頑張り甲斐の無い雪かきになった。

お婆ちゃんの教えてくれたこと

2021-02-23 17:15:23 | 日記
物心ついた時から私はお婆ちゃん子だった。

両親共働いていたので、いつもお婆ちゃんと一緒に過ごしていた。
仏壇の前に並んで座り、散歩の時もワンコのようについていった。
だから色々な事は全てお婆ちゃんから教わった。

最初の疑問は「ボクはどこから産まれてきたの」だったように思う。
今ならコウノトリが運んできたと云うところだろうが、寒い私の住む場所にコウノトリなんかいない。

それでお婆ちゃんは「木の股から産まれた」と云ったのだと思う。

家の裏には寒冷地には珍しい少し太い木があって、私はその枝分かれした股に想いを飛ばした。

テレビも無い時代。お婆ちゃんはよくおとぎ話をしてくれた。
詳しい内容は忘れたが、「ブッとオナラをしたら きな粉が吹き飛んだ」と最後のオチを云ってアハハハと笑っていた顔を今でも思い出す。

桃太郎は川を流れてきた桃から産まれたのだから、木の股から産まれたとしても何ら不思議では無い。

オトコとオンナの違いがチンチンのある無しだと知ったのは、記憶が曖昧だが近所の女の子が野ションしたのを見た時だと思う。

その違いが分かった途端、女の子にチンチンを見られるのが恥ずかしくなった。


お婆ちゃんには「自分が嫌なことを他人にしてはいけないよ」と教わった。

だからスカートめくりだとか女の子のパンツを下げることなんて本当にいけないことと思い女の子の野ションからも目を背けた。

その人生の師であるお婆ちゃんは78歳で亡くなり私は号泣した。

それでも、その教訓は記憶の底に生き続けていて女性が「嫌」と云ったら絶対に「嫌」なのだと信じていた。

その言葉の最後に「ん」が付いたとき、本当は「嫌」ではないと知ったのは何歳の頃だったろう。
「いやん~」「ダメん~」「バカん~」は微妙だが否定ではないのだ。

お婆ちゃんは、そこまで詳しくは教えてくれなかった。


マイフレさんと襟裳岬の宿に泊まったとき、「一緒に風呂へ入ろう」と誘った私に彼女が云った言葉はどうだったろう・・・・・

「嫌」か「いやん~」だったか、今頃になって妙に気になってきた。
(2018年7月8日編 参照)