もう2月も最後に近づいておりますね。早いなー。
ところで、最近また、志賀直哉を絶賛読み直し中であります。彼の作品は彼の人生、生活をかなり反映してるので、彼の強くてわがままな性格が、良くわかって面白いです。人生の前半で、母の死に会い、その後に祖父の死、父との諍いなど、彼の作品を読んでると,時系列で辿っていけます。2002年ごろに志賀直哉に興味を持って当時、志賀直哉全集をアマゾンから買い入れたので、今、また1巻からずーっとただいま8巻まで読んでいます。まあ、全集の後半は日記なので、創作関係はほとんど読み終わったところです。
彼の人生は彼の望むように生きてきたわけですし、いい奥さんにも恵まれたくさんのお子さんもいて、最後はたくさんの孫やひ孫にまで、取り囲まれて亡くなったので、幸せな一生だったと、思います。
ただ、一つだけ、気になることがあります。直哉が結婚するときの話ですが、奥さんになる康子さんは当時寡婦で、子供が一人いたのです。彼女は直哉の友人の武者小路実篤の従妹なのですが、結婚する時の取り決めとして、康子さんのお子さん(当時4つくらいの女子)を武者小路夫婦が引き取るという事にしたそうです。そして、そのまま武者小路夫妻がうまくいって彼女を大事に育てていれば問題がなかったのですが、、、
当時の武者小路実篤の奥さん(房子)はかなり自由奔放な女性だったらしく、離婚することになり、女の子は奥さん側の実家にひきとられたり、叔父さん夫婦にひきとられたり、かなりたらい回しにあって育ってしまったようです。それでもこの女の子は継母の房子の愛を求め続けていたようで、最初の結婚、離婚を房子の言うとうりに従ってしまったようです。のちに直哉が彼女を引き取ったときにはすでに 彼女の暗い性格が根付いていたらしく、直哉の日記にも、”彼女とはなすが、彼女はひがんでいる’などと、記述されています。
最後にまた結婚しますが、2年後に病死してしまいます。33歳くらいだったそうです。
志賀直哉と、武者小路実篤は死ぬまで、いい友人でした。うらやましい関係です。ただ、その輝かしい二人の友情、生涯の陰に彼らに人生を狂わされた女性がいたんですよねー。
まあ、別に二人は当時それが一番子供のため(また、自分たちのため)と思ってした行為だったわけですし、確かに愛情的には恵まれなかった子供時代だったかもしれませんが、もし、強い女性だったら、また違った人生があったのかもしれませんがね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます