何になったとしてもー多くを与えられている人は多くを期待されているというのを忘れないでね。神様はあなたにたくさんの贈り物をくださった。だから、他の人たちのために精一杯それを活かすのよ。
弁護士法律事務所からマッキンゼーへ移ったバウワーは経営コンサルティングというアドバイザリー・サービスに3つの革新をもたらした
まず前提として会計とコンサルティングサービスはその持つべき倫理規定から分かち、商業主義とは一線を画すこと。
そして、
①プロフェッショナリズム
②ファクトベース分析
③トップマネジメントアプローチ
これらに基づいた考え方=コンセプトを個々人それぞれの活動に求めるには、さらに「経営の意思」The Will to Manage が何よりも重要であるとした。
※ただし、ドラッカーが説いたように、誰も人をMANAGEすることなどできない、できるのはLEADすることとしたように、その後バウワーは『The will to lead』 というタイトルの書籍を著している。
フィルム―ト社
その先に何が見えますか?の回答
飯田竜太氏
「~現在のところ、時間軸の概念を変容させるには、想像の範囲の中でしか行えない。しかし伝えるという強固な個人の意志がその壁を貫通させることができると信じられたとき、人の行動は大きく変わる。」
プレジデント社1982年第一刷
引用
p.56
戦略思考について
戦略策定の基本は「戦略的ものの見方」である。顕在化する傾向を見逃さずにその意味合いを考え、かつ原因を探究することが必要である。
わが国ではここ4~5年にわたって大型電気冷蔵庫の売れ行きが伸びてきた。加工食品メーカーにとってこの傾向はおそらくいろいろな意味を持つはずである。敏感な企業であれば、この傾向を見逃すことはないだろう。なぜ大型冷蔵庫が売れるようになったのか。何が違ってきたのか。入っている品物の種類に変化があるのか、それとも同じ品物だけれども入れ方・買い方が違ってきたのか。たとえば一度にドカッと買う主婦が増えたというように。
このことを究明した人は、冷蔵庫の中の品物の変化に気が付いたはずである。
・・・・・・・この洞察力はさすが、イカ釣り漁船の話、ボーダーレスワールドのコーヒーの話の次に驚いた。だが、この話も延長線上にあることには気が付いた。要は思考の訓練次第なのだ。
by森博嗣
人と人との関係は、必ずその場その場で必ず釣り合っている。貸し借りというものはない。世話になったと感じていても、世話をしてくれた方も満足して世話をしている。勝負でも同じこと。
負けたと感じていても、勝った方も必ず同様に悔いている。だから、あとになって返そうなどと考えるものではない」
納得のいかない考え方だった。子は親に借りがある。育ててもらった借りがある。それは大人になるまで返せないのではないか。また老いた者の面倒を見ることは、そういった借りを返す心がなければできないのではないか。
貸し借りがないのならば、人の義理の大半が消えてしまうように思えた。否、今でも自分はそう考えている。
「私は父も母も知らない。どこでいつ生まれたのか、聞いておりません」
「そりゃ、ひでえ」ササゴマが顔をしかめる。
「酷いということはない」カガンが首をふった。
「人間、何があるかといえば、これ我一人。ほかは、何もないものと同じ。余計なものがあるほど、むしろ重くなる」
「重くなる?」ササゴマが首を傾げる。
「身が重くなるように、心も重くなる、ということ」
「重いと、ダメなのか?」
「いいや、そうとばかりは言えん。重ければ、風に飛ばされない。押されても動かない、つまり安定してはいるかな」
みんなと同じをやめる
「みんなと同じでいいという態度をやめた途端、脳はフル活動を強いられることになる。これは大変苦しいが、それでもがんばって一週間、一か月、一年と続けていると自分の頭で考えるクセがつき思考力もどんどん高まる」
アングラス・シレジウスの言葉(Anglous Silesius)他 2007/7/3記
あるブログに掲載されていた内容
A rose blooms because it blooms, it is without why.
花は、自分自身の安全を気にしているだろうか?
誰かに見守られたいと思っているだろうか?
他の草花や人間、環境に受け入れてもらいたいと願っているだろうか?
他の色の花に生まれてこれたら、と考えることはあるだろうか?
花は花であるから咲いていて、それ自体が花という存在の証だ。
花はヒトに美しいといわれるために咲くのではなく、花だから咲いている。
化粧をする必要もなく、誰かを喜ばすために咲いているのではない。
それに引替え、私たち人間は多くの場合、何故?とう理由付によって、自身の存在を確認する。何かを決断する時は多くのしがらみを無意識のうちに引きずっている。
こうしたら社会が、友達が、親が、先生、あるいは自分の良心がなんていうだろう?
ああしたら、非常識と思われるかも?そうしたら、変わり者とのけ者あつかいされるかも。
こんなに外部の要素を気にしながら生きている私たちは、どのくらい本来の自分として決断をし、それに自信を持って自分自身の人生を生きれているのだろうか?
どうやったら自分らしく生きれるか、という問いに対して簡単な答えはない。
私たちは、社会の中で、環境の中で、生き抜くために、自分自身をコントロールし、変化させていかなくてはならない。
季節が変わるごとに、服を着替える、暑さに・寒さに耐えうるために。出かける場所(たとえば学校、パーティ、それか自分のベッド)によって、服を選ぶ。多くの場合、無作為のうちに。
そうやって作られていく自分も自分の一部なのだけど、問題は、どうやって、本来の自分を失わずに生きていけるか、ということだ。
もっとも、自分を失っている、なんてこれっぽっちも気づかずに、疑問も感じずに生きている人はたくさんいるけど。
だから、本来の自分って誰なんだ?何が自分にとって自然な生き方なのか、そんな疑問を持てるのは、その答えを見つける旅の大きな第一歩。
答えは、自分の中にある。考えても見つからない。
なぜなら、答えはアイデアとか理屈じゃなく、生きるということ自体だから。
これに続く、もう一つの疑問は、何が本来の自分であることを否定し、何が本来の自分を殺し続けているのか?
私たちはいろんなしがらみと繋がっている。過去のトラウマ、些細な一言、社会、家族、祖先の目、しきたり、自分自身が自分に課した決まり、それ自体はっきり認識していないかも知れない。
よくわからない混沌のしがらみの中で知らず行ったり来たりしながら自分は自由であると思うかもしれない。そして、もっと深いもつれた場所に入り込んでしまう。
もし、そのしがらみと向かい合い、適当な距離をつくることができたなら世界はこの目に、どう映るんだろう?心はどう感じるのだろう?
熱くて殺伐とした砂漠をさまよっている、と思っていて、その環境から必死に自分を守ろうとしていたけれど、
もし気づいたら?
砂漠に来てしまったのは、自分で選んだわけではなく、何かを避けるためにさまよった末だと。
もし、何から避けているのか気づくことが出来たら、その対象と対話をすることができる。
案外、砂漠まで逃げなくてはならないほど怖いものではないかもしれない。
本当の自分はどこに行きたいのか。、何がやりたいのか。
そのために必要なものは、すべて自分の中にある。
きっと見つかる。ただ認識していないだけ。
自分らしく、自然体に生きることに理屈はいらない。
猛獣は怖れるに足りないが、悪友は実に怖ろしい。
なぜなら猛獣は私たちの体を害するだけだが、悪友は心までも傷つける。
もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、おもいを落ちつけて、共に歩め。
もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。 愚かな者を道づれとするな。独りで行くほうがよい。
孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。
林の中にいる象のように。
NBAのプロバスケットボール選手。
1999年に日本での試合後会見で語った。
自分に向けられた重圧について。
「チームとして勝つことを期待され、選手として自分も勝って一番になりたいと思うのは当然。だから、それをプレッシャーとは言わない。
本当のプレッシャーとは、2ドルの収入で、12人の子供を食べさせなくてはならないような状況だと思う。」
この時、23歳。
p.138
命言
私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから負けないのだ。病にも運命にも、あらゆるものすべてに。
命は道を見つける
生き延びるための道を・・・・(井上雄彦氏)。
道を見つけること、
それ”が”人生、
それ”も”人生。
あせる必要はないのかもしれない。
あることが原因で、右目は渇いているのに、
左目からは、何故かとぼとぼと涙が出てきては止らない。
この心象は表現できない。
(草思社)より
◆人の心に関することはコントロールなどできない。しかし、自分を磨き、魅力的にすることならばできる。
◆講演、本を読んで感動した内容でもそれを自分なりに実践する人は2割、それを継続する人はさらにその2割しかいない。
ということは自分なりに成功したいなら100%の20%の20%、4%の人間になればいい。
◆ある有名なファッションバイヤーがこういったという。
「自腹を切らなくなったら、バイヤーとして終わりだよね。
買う人の気持ちがわからない人が、売る人になれるはずがないもの」