・人は一人では生きていけないからである。
・生きている限り衣食住が必要である。これらを生まれた時から持っているわけがない。
・誰かに与えられないとないものである。アフリカのサバンナあたりに放り捨て。。。。られなくてもわかる。
・人間の場合は生まれたら誰かしらに保護されないと生きられない。成人になっても何らかしらのコミュニティに
属していないと生きてはいけない。衣食住は維持できない。子供も産めない=生命(遺伝)が維持できない。
保護されない国では生きづらいか、生きたくても生きれない。殺したくなくても殺される。だから殺される前に殺さないといけないという
状況が生まれる。あるいは自然の脅威にさらされて死ぬ。
アフリカのスーダン、エチオピア、アンゴラなどへ
行ってみればよい。30歳未満で死ぬ可能性が著しく高い。
そういう国に生まれればこのようなふざけた問いすらまず起らない。裕福だからこそこういう無意味な問いが生まれる。
・生きる上で環境に制約がない、衣食住が永遠に手に入り、自然災害もない世界であれば、一人で生きていけるかもしれない。
お金も要らなくなる(人を襲う生き物がいない地球という前提が成立しないが)。
金は物質であり、”誰かと何かを交換できる”から価値があるのだ。それは人類の歴史始まって以来、続けられている所以だ。
しかし、だれもが一人で生きようと考える場合、今度はやはりサバイバルが始まる。資源は有限だからだ。弱肉強食だ。
国対国の戦争は、何かしらの交換条件が成立しないと発生する。これも人間は一人では生きていけないし、衣食住を成立させる
源である様々な資源は有限だからだ。
生まれた時から人は、いやむしろ生物は地球の制約が多い環境の中で生きている。生物学的には、
生命は時間があるから有限であり、だからこそ子供を産み、生命を持続的に維持するために生きている(種の保存という自然摂理だ)。
人を殺してよい世の中では生命を維持するのに効率が悪い。維持できる確率が低くなる。
人間は一人では生きていけないのだ。だから他人を殺してはいけないルールとそれを守るという認識が必要なのだ。
裕福になるとこんな当たり前のことを忘れる。
この表題を質問する物心ついた人間って、自分が赤ん坊だった頃に自分以外の面倒を見てくれる何者かがいなかったら
この疑問さえ発せられない(存在すらできない)ことに気づかないのかしら。