デトロイト・メタル・シティでのセリフ。
「死ぬのが嫌なら、うまれてくるんじゃねー。」
あのタイミングでこの発言は絶妙でした。笑える。
人間は赤ちゃんとして生まれた瞬間、同時に死も決定づけられている。
不思議だ。
デトロイト・メタル・シティでのセリフ。
「死ぬのが嫌なら、うまれてくるんじゃねー。」
あのタイミングでこの発言は絶妙でした。笑える。
人間は赤ちゃんとして生まれた瞬間、同時に死も決定づけられている。
不思議だ。
山合いが続く田舎の福島を訪れた3歳の男の子と4歳の女の子。
家族4人でバカンスを過ごしにやってきたのだった。
しかし、不幸なことになることをこのときはまだ知らない。
男の子と女の子は、森遊びに出かけた。パパは、森へ行く場合には、深く入ってはいけないよ、と何度も言って聞かせた。
しかし、ある日、そんな忠告など忘れ、男の子と女の子は、どんどん、どんどんと奥へと進んでいく。そんな時、バシ、ミシッと小枝を踏みつける音が聞こえた。
ちいさなクマだった。男の子と女の子はまだ小さく、自然のクマさんを観るのは初めて、しかもこれがコグマと来ている。興味深々で近づいて行った。が・・・・、近くには大きなクマがいたのだった。小熊が危ないと思った親熊は、グワッーとものすごい迫力で、子供に襲い掛かり(自然の親グマならどんなクマだろうとそうしただろう)、男の子も女の子も鋭い爪でひとっかきされ、死んでしまった。
戻りが、遅いことに気付いたパパ、ママは森へ探しにでかけるも、自分たちのかわいいまだまだ、小さな息子、娘が無残な姿で死んでいるのを発見。
地元の狩猟会がすぐにライフルを持ち、クマの散策に出かけた。
そして、発見。親熊の爪には、血痕がついており、射殺。小熊も大きくなったとき、やがては親熊を殺された恨みを人間に持つため、射殺した。
これが、たまたま全国報道されたところ、親熊、小熊ともに射殺という見出しだけが先行し、全国から村役場へ、””クマ””がかわいそうだという抗議が殺到した。
さてさて、もし上記のようなことがあった(過去にあったため危険と判断し射殺した)場合でも、クマを射殺したことがかわいそうだったか。地元に住んでいない人間が、単純に上っ面だけ見て、暇だからかもしれないが、かわいそうなどと、クマと長年にわたり共存していた、そこに住んでいる人間の命に危険が及ぶ可能性があるのに、報道に取り上げる意味、上っ面(うわっつら)見てかわいそうなどという発言を取り上げる意味ってなんぞや???
メディアを観る視聴者のレベルが低いから、こういった中身のない報道が流れ、そこに過剰反応した人間にまたメディアのフォーカスが当たるという悪循環に陥っているのだ。
狭い檻に閉じ込められて、餌づけによって人間の観察物と化し、そのまま一生を終える動物園の動物には「かわいそ~」とは感じないのだろうか。
競馬で走らされている馬も同じだ。馬の足の骨は、一度折れてしまうとその複雑な構造により、絶対に治らないという。それが医学で証明されているのに、それをわかっていながら、馬を競走馬として、走らせることをやめようとはしない。これは残酷以外の何物でもないのではないか。人間が馬の立場だったら恐ろしくはないのだろうか。鞭で叩いて、走らせて、足の骨が折れてしまいました、もう使い物になりません、はい、薬殺。即ご臨終。(実際にはそんな簡単ではないだろうが)
本当にかわいそうだと思うなら、電話やメール一本なんぞの手抜き抗議で済まさず、自然のクマを捕獲して、または山を買い取って、責任もって死ぬまでクマの面倒を見てやればよい(クマにとっていい迷惑だろうが)。
①『サトラレ』
安藤政信主演。
周囲に自分の思念が直接伝わってしまう病気、通称サトラレ。
しかも彼らのIQは例外なく180以上。
国家財産ということで、サトラレ保全委員会なるものが。
この委員会は、本人がサトラレであることに気づかないように(気付かれると自殺に発展する恐れがあるためとの設定)、政策的に国民に周知・アナウンスし、国家的にサトラレを警護&監視するというもの。
安藤は医者の道を志、一位で医大に入学。しかし、サトラレゆえにオペをできないでいたが、最初のオペのチャンスをつかむ。しかし、その患者は、自分を育ててくれた祖母だった。
ぼろぼろ涙が・・・。自分が外科医としてメスを握り、ガンである祖母の体からポリープを切り離そうと努力するも転移が酷くて、切り離せずに、閉じるしかなかった。
この無念が、病院にいる病院側関係者、警護任務の人たち、患者、さらにはすぐそこで眠っている祖母に聞こえてしまう。「ちくしょう、一緒に住んでいながら、なんでもっと早く気付いてやれなかったんだ、ごめん、ごめん、ごめん・・・」と何度も心の中で謝る主人公。
泣けてきた。
安藤政信、良い役者だと思うが、ショートフィルムで観て以来、何の作品に出ているのかわからない。
②COCCO大丈夫であるように
純粋過ぎて、いつ壊れてしまうかわからないようなシンガーソングライター。
2か月の旅(ツアー)で、黒砂糖しか、口にしたところを見たことがないとのこと。
沖縄や六ヶ所村がクローズアップされていた。六ヶ所村の人から手紙をもらい、青森市民ホールで歌った。
アメとムチの現状を初めて知り、しかも沖縄に構造が似ていると言っていた。
ライブ中にそう話していた。
樹海の糸、SING A SONG NO MUSIC NO LIFEがやっぱり良い!!
ウィキペディアみたが、変わっているね。
フィルム撮影にこだわっているとのこと。ここはなんとなくわかる。
『父と暮せば』原作:井上ひさし
宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信。
広島で原爆投下後に、生き残った娘と原爆の影響で亡くなったのだが、娘に会いにちょくちょく登場する父、図書館で働くこの娘に一目ぼれした男性の関係を描く。
ときどき原爆がどれほどすさまじかったか、焼けとけたガラス瓶などが登場。痛ましい。
『青い車』
ARATA,宮崎あおい、麻生久美子、田口トモロヲほか。
最初の画面が原っぱの木で首をつっている人間が中央にうつる画面に面食らう。
特に意味はない映画だが、サッド・ヴァケーションや害虫、オダギリジョーが登場する映画で感じた感覚と似た印象を受けた。
『ぼくたちと駐在さんの700日間戦争』
笑えた。麻生久美子さんがこの映画にも出演。すごい勢いで出てますね。
ケアンズ写真をアップ。
ラウンドスケープを見てください。
川崎TOHO シネマズにて。
主人公が悪人なのではなく、主人公が殺してしまった女性、ならびにこの女性が好きだったボンボン君。
こちらのほうがよほど実は悪人。
法律では裁けない悪人が現実には満ち溢れています。
命を捨ててでも守りたいと思う大切な人間が自分にはいるだろうか。しかし、あの娘を、命を捨ててでも守りたいというのは親バカになれる親だけだろうか。
子孫を残したいという生物学的なもの?本能的なものか?
どんなバカ息子バカ娘でも親であれば助けたい、いとおしいと思うのが普通か???
正しいとは思わないがおそらくこれが。
自問自考。