マックスウェーバーの正統的支配形態
①伝統的支配形態
②カリスマ的支配形態
③合法的支配形態
近代における合法的な支配形態は官僚制の形態をとる。国家統治だけでなく、企業も同じ(結果として今の企業形態となった)。
官僚=価値中立的、職権、専門性、一定の階層存在、没主観的義務観念
しかし、そうであるがゆえにそこには既に問題が内包されている。
官僚主義問題である。・・・形式主義、非能率的、非人間的、前例主義、本来人格とは無縁のはずが、人間関係ネットワークを築いている。(国分良成『現代中国の政治と官僚制』(慶應大学出版会))
近代経済学(古典派経済学)の祖、アダム・スミスによれば、「自由競争であれば、資源の最適配分(パレート最適)が達成される」が、個が集まった段階(組織・企業ができた段階)で、上記の考え方による説明では、企業の存在正当性が説明できなくなってしまう。
市場対国家(政府)、私対公、自由対規制、効率対公正という2者の対立軸では物事の本質は見えてこない。
制度経済学が台頭している理由でもある。その対象として、法だけでなく、習慣や恒例が含まれているからである。
個に引き戻して考えてみると、個としてのスキルの高い職業、士(弁護士、公認会計士、税理士)の人々は、組織を嫌い、個人として働く人が多い。なぜなら、自分が他人によって煩わされるのを嫌うからだろう。上司や部下というヒエラルキーが組織に入れば必ず存在するから。
一方で、企業、特に大企業でヒエラルキーの上層に入り込んでいくためには、個人的スキルとは別に、他人(上か横か下か)の関係調整(スキルと見るならばスキルか・・・)が絶対的に重要となる。いわば政治的駆け引き。
きっとこれをスキルと捉える事のできない人は、個で生きようと独立するのだろう。
組織の難しさを理論的に説明を試みたのが、例えばポール・ミルグロム、ジョン・ロバーツ『組織の経済学』、歴史的視点で組織と社会を考察したダグラス・ノース『文明史の経済学』、ウィリアムソンの「エコノミック・オーガニゼーション』などである。
彼らが制度派と呼ばれる経済学者である。