中村哲氏が対談のお相手
愛の二重性
引力と斥力
中村氏がアフガニスタンの復興にかかわっている最中、次男が脳腫瘍との診断を受け、中村氏は、戻るべきか、アフガンにとどまるべきかの選択を迫られる。中村氏は、脳神経の専門医だった。
結論としては、中村氏は、アフガンに、残ることを選択する(愛の斥力と大澤氏は捉える)が、容態急変の連絡を受け、帰宅。すでに四肢が麻痺していて、体が動かなかった状態で、お帰りなさい!と明るく眼を輝かせたという。
この本の問題の核心は、なぜ、ペシャワール会だけ、アフガニスタンでうまく用水路を創設するという事業がなしえたのか?最新設備の導入ではなく、昔ながらの持続可能な工法により、創設していったからか?実は、先進国の技術によって、最新のパイプラインなどが敷設されるも、部品が一つ壊れると、この国のこの会社この技術で作成された部品といったものが使われていると、NGOが去ってしまったあとでは現地の人たちにとっては部品の調達は困難、誰も直せないという状況に陥る状態が少なくないという。優秀な大学を出ている国連関連の人間であるならば、すぐに考え付きそうな話だ。
つまりは、保守が困難なのだ。
しかし、昔ながらの工法で創設していったのなら、それこそ、現地の人間だけでも成功しえたのではないかという問いかけだ。
ところが、こういう記述もある。
現地の業者がいればできるはずだが、問題は資金だという提起。しかし、現地の業者を使うと利益優先のため、人がいない砂漠のど真ん中に建物が建設されるといったケースが起こるという。たとえば衛星管理のためにトイレを作るために資金が投入されるも、業者は作った結果を写真にとって報告をすれば済むという。だからこのような状態が起こる。
興味深い挑戦的なテーマだ。
あらすじⅡ⇔邦楽
あらすじ⇔洋楽
超、おすすめ。切なくて、きれいな恋の物語。人間蛍と妖怪としてこの世の山にすむギン。
山を彷徨っていた幼い蛍と人の姿をした妖怪ギンは出会う。やがて蛍は毎年夏に祖父の家を訪れては、ギンに会うために、山へ通うようになる。ギンは人間に触れられると消滅し、この世から消えてしまう。
蛍は幼い時にはそのことを忘れ、触れようとしては、ギンに木の枝でハタかれる。最初は単に子供心からくる触れたいという思いだったが、温もりを感じたいという思いの強さへと変化し、成長していく蛍にとって、触れたくても触れられない。ものすごく切ない気持ちにさせられる原因となっていく。時には、木から落下しそうになった蛍を助けようと一瞬手を伸ばしかけて触れようとしたギンに、「良かった。絶対触れないでね」と普通のボーイフレンドならば助けてくれていたのにという思いと、消滅してしまうというギンへの複雑な思いを馳せる気持ちに揺れ「良かった。絶対に触れないでね。」と泣きながら懇願する。
どうやら、妖怪のギンと蛍では時の進み方にかなり差があるらしく、蛍は成長し、背丈もギンに近づいていく。
やがて、ギンも自分の心が魅かれていることを実感し、蛍に少しづつ思いを話すようになる。
そして、ギンは妖怪たちの夏祭りというデートに蛍を誘う。
思わず、携帯にメモ入力(スマホではないので結構大変だった)
ひとの心を傷つけて
喜ぶ心さびしき者に
聞く耳はなかろうから、
中傷された君に言う。
ハエたちの集まりでは、
蝶も「キモイ」と
陰口をたたかれるだろう。
心ない者たちのうちにも
自分と同じ美しさを探しつつ、君はひとり、
大人になればいい。
(2008年4月17日の編集手帳より)
ライチホッピーのみまくる。と、いいますか、しか飲みませんでした。
おいしいです。味は、ライチサワー???。沖縄の料理が中心でおいしい居酒屋でした。ただ、みなさん小食?量が多い?だからか
個人的にかなり食べたが、残してしまった。たぶん、すべて捨てられてしまうのだろう。反省・・・・・。タッパに入れてもらって持って帰れるか聞くべきだった。
帰り際に「感謝」の入ったうまい棒がお土産にもらえます。←これでわかる人がいそう。
広告 ニューヨーク・アート・ディレクターズクラブの入賞作品展が、無料で観れるので鑑賞。
なかなか興味深いですよ。
その後、ブレッソンの『写真家 アンリ・カルティエ・ブレッソン』をゲット。ブレッソンは確か初めてだったと思う。源喜堂はいいですね~。ビルの間に左に猫が座り、右に男性が座る写真はいいです。ポストカードであれば欲しいな。
キャパといい、サルガドといい、ナックウェイといい、クーデルカといい、ジルペレスといい,スティーブマッカリーといい、やっぱマグナムはスゲーや。