自己と他者 

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浜岡原発

2004-08-11 14:11:07 | 国際・政治・社会・経済
8月7,8日と大学の友人である葛西さんに誘われて、自分も浜岡原発の実物を見たかったこと、現地で原発を直視し、東海地震との関係から生命の危機を感じて反対活動をしていらっしゃる人々の問題意識を少しでも共有できればと思い、浜岡原発問題を考える会の伊藤さんという方から説明を受けながら原発及び関連施設を廻らせていただきました。
原発を作るために山を切り崩し、砂丘の一部を埋め立てたために景観が失われてしまったこと。浜岡原発がどれほど弱い地盤の上に立っているか。実際に地層が見える場所を見て驚きました。当然、その上に立っている原発は地震が起きたらどうなるか。
ところが、電力会社は苦し紛れにその事実を隠していること。
(内部告発がでたことで、言い訳もぼろぼろになりつつありますが。)
原発産業がいかに地域経済を疲弊させているか、
などについて教えていただきました。
原発を設置することで交付税や補助金が一緒に降ってきますので、図書館や病院、温水プール、道路なんかはピカピカでした。
しかし、病院には医療器具は本当に立派なものがそろっているが、医者がいないとのこと。プールなんかは通常の倍ぐらいのお金がかけられているが、建設業者の
手抜き工事で屋根が一度落ちているということ。欠陥だらけでした。
財政に関しても市レベルでは今の地方自治体には考えられぬ、赤字0。ところが、浜岡原発やこれによってできたハコモノ公共施設はまったく採算が合わないとの事ですから、
県や国レベルの財政を圧迫していることと変わらない。私たち(御前崎市外に住む人々)の税金が御前崎市の財政を良好にしているとも言えてしまうわけです。これは私たちが間接的に【地震が起きる地盤の上にある原発】を延命させているとも言えてしまう。東海地震が起きて、自分たち(御前崎市外に住む人々)の生活に影響がでてから浜岡原発の存在を知らなかったと言う権利はありません。その前に止めるための声を上げる必要があります。これは反対派だけで完結できることではありません。行政、議会、企業、地元住民、地元以外の人々と連携する必要があります。
訪問する前は自分も原発の経済効果も無視できないのでは、と思ううちの一人でしたが、いつ起こるわからない原発震災の危険を常に感じながら、いまも原発と共生し、それを止めようと原発を直視している現地住民にとって、この発想はとんでもないということがわかりました。原発は癒着の温床でしかない。富士山がある静岡県に原発があり、それは今も動いている。このリスクを回避するためにも日本全国からの世論が必要と認識しました。