今、味わいのある古いビルを表側に保存し、裏に高層階を建てるということが行われています。
これは「日本橋ダイヤビルディング」ですが、1930年に都市型倉庫として竣工し、東京都歴史的建造物に指定されています。
大事な建物だということはわかりますが、今の私はこの建て方に違和感を感じているので、
後の世の人は「素晴らしい建物を残してくれた」と思ってくれるのだろうかと訝しんでいる状態です。

歩き続けたら兜町の表示が現れました。

「東京証券取引所」のビルです。

ビルは多分ここまで続いています。

「兜神社」は明治時代「東京株式取引所」が設けられるのと同時に造営されたそうです。

神社の上を首都高速道路が覆う今の状況ですが、これからどんどん変わっていくようですね。

安置されている「兜岩」は1050年代に源義家が兜をかけて戦勝を祈願した岩で、町名の元になったと伝えられています。

街の案内板を見たら「鎧の渡し跡」があると書いてあったので行ってみることにしました。
初めの予定ではとっくに折り返すつもりだったのに。

「鎧橋」という橋がありましたが、ここに「鎧の渡し」があったのかしら。

橋のたもとのお地蔵さん。

源義家が奥州平定の途中、ここで暴風逆波にあい、鎧一領を投じて祈ったと記されています。

日本橋川の上も首都高速道路が覆っている状態で、この先は隅田川です。
これは「日本橋ダイヤビルディング」ですが、1930年に都市型倉庫として竣工し、東京都歴史的建造物に指定されています。
大事な建物だということはわかりますが、今の私はこの建て方に違和感を感じているので、
後の世の人は「素晴らしい建物を残してくれた」と思ってくれるのだろうかと訝しんでいる状態です。

歩き続けたら兜町の表示が現れました。

「東京証券取引所」のビルです。

ビルは多分ここまで続いています。

「兜神社」は明治時代「東京株式取引所」が設けられるのと同時に造営されたそうです。

神社の上を首都高速道路が覆う今の状況ですが、これからどんどん変わっていくようですね。

安置されている「兜岩」は1050年代に源義家が兜をかけて戦勝を祈願した岩で、町名の元になったと伝えられています。

街の案内板を見たら「鎧の渡し跡」があると書いてあったので行ってみることにしました。
初めの予定ではとっくに折り返すつもりだったのに。

「鎧橋」という橋がありましたが、ここに「鎧の渡し」があったのかしら。

橋のたもとのお地蔵さん。

源義家が奥州平定の途中、ここで暴風逆波にあい、鎧一領を投じて祈ったと記されています。

日本橋川の上も首都高速道路が覆っている状態で、この先は隅田川です。
