南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 





 NHKの予告で「まばたきで“あいしています”」というノンフィクションドラマがあるというので、視てみることにした。


 お互いを「ダディ」「マミー」と呼び合う、結婚以来30年、ほとんど喧嘩をすることもなかった老夫婦の身に起こった悲劇。

 2006年7月、妻が居眠り運転の車に正面衝突を起こされ、脳挫傷や頚椎損傷などにより意識不明の重体に。
 何とか一命を取り留めたものの、「回復したとしてもこのまま植物となるだろう」との医師の判断が下る。

 その後、奇跡的に意識は回復するものの、首から下が全身麻痺で一切動かせないという状態となってしまった。
 目とまぶたのみ動かせるが、声を発することも食事をすることもできず、呼吸さえも機械に頼らないとできないことに。

 脳が損傷しているので、「意識は本当にあるのか」「あったとしても3~4歳児程度の知能じゃないのか」と夫は心配するが、『イエスならばまぶたを2回閉じる』という約束をして話しかけたことで、「どうやらこちらが言う言葉は理解できるようだ」ということに気づく。


 その後も懸命に治療に励むが、全身麻痺の方は回復が見込めない。そんな中、日本の悪しき医療制度のあおりを受け、2度の転院を余儀なくされる。
 一見、医療が充実しているようで、実は本当に必要な人に対しては見捨てるような制度をとっている日本は、なんとも冷たい国なのだろうか!

 また、刑事裁判で、加害者の少年には「禁固2年、執行猶予4年」という、非常に軽い刑が決定する。
 夫は、今後の治療費を求めて民事訴訟で損害賠償請求を起こす。しかし、加害者の代理人からは「延命治療は過剰だ。せいぜい平均4年の余命だから、そんな額を払う必要ない」という、とても血の通った人間とは思えない文書が届く(結局は夫側の勝訴となる)。


 事故から2年半以上が過ぎたある日、夫は、何とかして妻が伝えたがっている言葉を知ろうと、「会話補助機」を使う練習をすることにする。
 本来は、患者が独りで操作する機械だが、夫が代わりにスイッチになり、まさに二人三脚で操作を行うことにする。やがて、なんとか使いこなせるようになってきた。

 そこで妻から伝えられた言葉は“せかいいちあいしています”、それから“まみいをころしてください”だった…。
 …。
 何とも言えないこの言葉…、思わず涙がこぼれてしまう。
 「死ぬほど辛いのではなく、死ぬより辛いのだ」



 2012年現在。
 お二人とも健在で、病室がリビングルームのようになっている。
 夫は「以前は2人とも忙しくて、なかなかゆっくり時間が取れなかったけど、いまはいつも妻と一緒にいることができる」と笑顔で語る。書き溜めた日記は、もう数10冊にもなる。
 つらい悲劇が起こってしまったけれども、こういう愛のかたちもあったのかと、改めて思い知らされたノンフィクションドラマ…、いや、ドキュメンタリーだった。

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