硝子戸の外へ。

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知性とは ?

2022-07-24 21:13:08 | 日記
最近文章を読むのが億劫になってきた気がする。楽な方に流されているのも自覚しているが、本を読んでも、生きるのが辛くなるばかりではないかと感じる事が多いというのも原因の一つにある。

それでも、時々、僕の能力では上手く言葉にできずにいた感情を見事に言語化してくれている論考に出会うと、脳の芯が震え、一瞬幸福感に包まれる。

今朝の中日新聞の「視座」は久しぶりにその感覚に陥った。

筆者は田中優子さん。テーマは国家・宗教・個人である。

彼女は、中高をカトリック系の学校で過ごし教会で公教要理を学んだが、信仰とは何かが解らず洗礼を受けなかったという。
僕がそこに至ったのは40歳くらいであったが、彼女は15歳から18歳の間に至っていて、その理由として、「自分の中に沸き起こった関心が知的好奇心なのか、信仰なのか、判断が付かなかった」と、言語化していた。
早熟な知性にも驚きであったが、それ以上に彼女の文章は僕が長年引きずっていたもやもやを見事に言語化していて、目からうろこがこぼれる思いだった。
そして、そこからの文章も、僕のもやもやを見事に消し去って、さらに学びの部分も与えて頂けていたので、読後感がとても清々しかった。

田中さんは法政大学の前総長という肩書をお持ちの方なので、学のない僕がこんな感想を述べるのもおこがましいとは思うけれども、読後感の清々しさは偽りのないものである。

しかし、これほどに素晴らしい知性が、なぜ知識人の間で共有されないのだろか。なぜ、拒絶されてしまうのであろうか。それとも、彼女の知性には、どこかに間違いがあるのであろうか。共感した僕も間違っているのであろうか。
もし、彼女の知性が間違ったものでないとしたら、なぜ権力の前では無効になってしまうのだろうかという疑問が頭をもたげ、晴れやかだった頭の中が再びもやもやしてしてしまったのである。


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