福祉施設を営んでいる友人が、たまりかねたのか、LINEで24時間テレビの批判を伝えてきた。
事の発端は、スペクターさんのツイートで、リンクが張られていたので読んでみると、なるほどなと思う内容であった。
友人自身も福祉に身を置いているので、24時間テレビに、ほんの少し関わった事があって、その時の印象がよくなかったことが、琴線に触れたらしい。
僕自身は、子供の頃、ずっとテレビがやっているという奇抜さのみに興味を持って、翌日、学校に行くと、どこまで観たかとか、何が面白かったかという話題もあって、ほんの少しだけ観たけれど、テレビは一家に一台という時代であったから、印象に残るほど、観れてはいなかったし、田舎であった為に、募金場所は、遥か彼方であり、障碍を持つ人を見て、なぜ、そうなったのか理解できなかったから、正直、良い心持はしなかった。
だから、自分でテレビを買って、部屋に置いた時も、観る事はなかった。
福祉の仕事に就いてからも、観る事はしなかった。
そして、社会は僕たちが思っている以上に複雑であることを知り、友人の批判には、その気持ちはわかるけれども、仕方がないのではという趣旨の意見を返した。
番組の起源は純粋なものだったかもしれないけれど、テレビ局は大きなお金が動く場所であるし、大きなお金が動けば、それに群がる守銭奴もいるだろうし、地位や名誉に執着した者もいるであろうから、すべての人が純粋に慈善事に動くほどの純粋さはないように思う。
畢竟、人類は地球を救うほどの愛を持ち合わせてはいないのだから。
それでも、僅かでも、注目されたことによって、救われた人、番組を通して希望を持てた人がいるのであれば、偽善かも知れないが、よかったのではないかと思う。
しかし、いまは過渡期である。インターネットでは個人が発信者であり、細部にわたり様々な情報が扱われる時代である。企画した人の苦労は理解できるけれど、固定概念に捕らわれたざっくりとしたテーマでは、批判も出るであろうし、業界の中から批判が出てきたという事は、そろそろ番組も抜本的な見直しが必要になったのではと思う。
今後もチャリティーを主とした24時間テレビを作り続けるとするならば、社会福祉に興味のない人が、困窮者の事を思いやるきっかけを作る番組であってほしいと思う。
事の発端は、スペクターさんのツイートで、リンクが張られていたので読んでみると、なるほどなと思う内容であった。
友人自身も福祉に身を置いているので、24時間テレビに、ほんの少し関わった事があって、その時の印象がよくなかったことが、琴線に触れたらしい。
僕自身は、子供の頃、ずっとテレビがやっているという奇抜さのみに興味を持って、翌日、学校に行くと、どこまで観たかとか、何が面白かったかという話題もあって、ほんの少しだけ観たけれど、テレビは一家に一台という時代であったから、印象に残るほど、観れてはいなかったし、田舎であった為に、募金場所は、遥か彼方であり、障碍を持つ人を見て、なぜ、そうなったのか理解できなかったから、正直、良い心持はしなかった。
だから、自分でテレビを買って、部屋に置いた時も、観る事はなかった。
福祉の仕事に就いてからも、観る事はしなかった。
そして、社会は僕たちが思っている以上に複雑であることを知り、友人の批判には、その気持ちはわかるけれども、仕方がないのではという趣旨の意見を返した。
番組の起源は純粋なものだったかもしれないけれど、テレビ局は大きなお金が動く場所であるし、大きなお金が動けば、それに群がる守銭奴もいるだろうし、地位や名誉に執着した者もいるであろうから、すべての人が純粋に慈善事に動くほどの純粋さはないように思う。
畢竟、人類は地球を救うほどの愛を持ち合わせてはいないのだから。
それでも、僅かでも、注目されたことによって、救われた人、番組を通して希望を持てた人がいるのであれば、偽善かも知れないが、よかったのではないかと思う。
しかし、いまは過渡期である。インターネットでは個人が発信者であり、細部にわたり様々な情報が扱われる時代である。企画した人の苦労は理解できるけれど、固定概念に捕らわれたざっくりとしたテーマでは、批判も出るであろうし、業界の中から批判が出てきたという事は、そろそろ番組も抜本的な見直しが必要になったのではと思う。
今後もチャリティーを主とした24時間テレビを作り続けるとするならば、社会福祉に興味のない人が、困窮者の事を思いやるきっかけを作る番組であってほしいと思う。