硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

男女共同参画社会。

2017-02-27 22:21:22 | 日記
数日前、車の運転中にずっと考えて続けていた事が突然するりと思い浮かんだ。

介護職という職種は女性が主体であるから、男性社会では構築困難である男女共同参画という思想を以て共同体を構築してゆくことは、理想的な形であろうとずっと思っていた。
しかし、どうやらそれは女性が主体である介護現場でも困難なのだという結論にたどり着いた。

男女共同参画が進まない本当の理由は、男女と言う性差ではなく、個人が有する資質によるところが大きいのではないかと思う。僕は介護職員になる前は男性社会で生きる会社員だった。その中での男性社員から見る女性のポジションは誰もが「女なんだから・・・」という扱いであった。僕はそのことにずっと違和感を抱いたこともあって、介護職に転職した時、「これで、性差問題に疑問を懐かなくて済む」と思った。

しかし、現状はそうではなく、女性が主体の社会に身を置くようになったら、執拗に揚げ足を取ろうとしたり、「男のくせに」と言ったりする女性の多い事に閉口した。
共同参画なのだから、双方が歩み寄ることが必要であり、お互いさま、助け合いが持続可能な共同体を育んでゆくのだと思うが、女性主体の社会でも、巧く表現できないが「ソフト」なだけで、何ら変わりはしなかった。

男性社会は既に完成されたものなので、男性が存在する限り崩れはしないが、介護職のような主な収入源が限定された公費という特殊な社会での女性社会で、男性社会の側面のように感情に任せて自己の権利ばかりを主張し、自己利益を追求してしまえば、地盤が固まっていない未成熟な共同体はたちまち衰弱してゆくのではないかと危惧する。
また、介護現場に身を置くメインの女性の多くが、バブル期を謳歌した人になってきているからかもしれないが、自身の感情を重視する人であり、その人たちは同時に、バブルがはじける前の頃と同じような空気感を漂わせているように感じられ、僕の目には介護現場と言う共同体が破たんする事を無意識に望んでいるように映っているのです。

話がそれてしまったが、現在でも男性社会では「女なんだから」という人が存在し、女性社会にも「男のくせに」という人が存在しており、互いに非難し合い、収益を公平に分配する事より自己利益の追求を是とする人がどちらの社会にも存在しているのである。これでは、共同参画はありえない。

つまり、男女共同参画とは、互いに知性を働かせ、互いの短所を補い合おうとしない限り成立しえない社会だと言える。

フィールドワークを通して個人的考察のたどり着いた結論は絶望的であり、諦めてしまえばおしまいであるが、他者を変えることは出来ないという事実の前ではどうする事も出来ないのである。


不可解。その2

2017-02-25 22:01:04 | 日記
金さんの命を絶った物がVXガスという聞き覚えのある猛毒であったことが明らかになった。

粗い事件の目的はここにあったのかもしれない。つまり、ミサイルなら強引にでも発射すれば威嚇になる。でも、化学兵器の使用はご法度であるから、アピールはしづらい。ならば「実は持っているんですよ」というアピールを外に向けて発信するためには、遠回しに著名な人を多くの人が見ている前で使用した方が効果的と考える人がいてもおかしくはないはず。

金さんの存在を疎ましく思っていて、いつも動向が注目されているの人なのだから、まさに一石二鳥である。

まさかとは思うけれども、本当の所はどうなんだろうか。

不可解。

2017-02-20 23:08:44 | 日記
金さんのニュースが毎日流れている。気にしないでおこうと思ってもついつい考えてしまう。悪い癖である。

さて、このニュースを観ていて違和感を抱くのは、極秘に葬らなかった事と、次々に容疑者が挙げられたことである。

監視カメラが沢山ある場所で荒っぽい殺人を行うことは捕まる事を前提に殺害行為に及んだと捉えることも出来ます。だとすれば、あえて不自由な生活を受ける事を是とする彼らのメリットはいったいなんだったのであろうか。

また、事件が公になれば、支持をしたのは指導者であると誰もが思うはずであり、国際警察に捕まれば、国際的な裁きを受けなければならず、支持した者のへの追及も行われるはずであるから、自身へのリスクも増す事は十分予測できたはずである。
それを分かった上で、暗殺という形をとらなかったとするならば、狙いは他にもあると考えられるのではないでしょうか。

もし、ほかにも狙いがあるとすれば、この事件はストーリーを読み間違えてしまうと、彼らの術中に嵌ってしまう危険がこの先に潜んでいると考えられなくはないでしょうか。

それとも、単に粗い計画であったのであろうか。

謎は深まるばかりである。

スキーツアー

2017-02-19 22:23:04 | 日記
今年も無事八方尾根スキーツアーが終了した。今ではおじさんの慰安旅行と化してしまったが、まずまずの天気に恵まれて本当に良かった。
さて、僕らがこだわる八方尾根の魅力はゲレンデの広さと傾斜と長さであるが、ここ数年はリーゼンスラロームを下りた所にあるリーゼン小屋で戴くお酒とお勧めの一品とチャーハンだ。

その出会いは、春スキーまで楽しんでいた20代の頃にゴンドラアダムで上り、リーゼンスラロームを快速で滑り降りるスタイルを確立した僕たちは、必然的に休憩場所もリーゼン小屋となったのであるが、アットホーム的な雰囲気を持つ居心地の良さが気に入った友人は、ここで過ごす時間を楽しみになり、ほかのレストランには見向きもしなくなってしまったのが始まり。

いつしかスキーに出かける事も一年に一回となり、すっかりおじさんとなった僕らは「なんだかねぇ」といいながらも、リフト券の元を取る事より、深夜の高速を走り、寝不足でふらふらした体をお酒で癒しぼんやりと過ごすことの方がよしとした。
そんなことであるから、今回も2本滑ったところで、山の中腹付近が濃霧であったことを言い訳に早々休憩。お昼前くらいまでビールとワインと野沢菜と大根の煮物に舌鼓を打ちつつ雑談しながらまったり過ごした。

一度止まった体はなかなか動かないもので、昼食を摂るお客さんも増えてきたので「そろそろでるか」と、重い腰を上げゴンドラで上がりリーゼンを快速で二本滑り昼飯。また2本滑り終えた所で、コンディションもそんなに悪くないのに、「もういいんじゃない」と決断。早々に山を下りて、もう一つの楽しみの温泉へ向かった。

3年ほど前から連続でお世話になっているローゼンハイム白馬さんでチェックインを済まし八方の湯へ。温泉で身体を癒した後、とてもおいしいコース料理とお酒を戴き疲れ切った体をベッドに埋めた。

朝目覚めると窓から青空かかすかに見え、昨日より良い状態で滑れるのかなと期待したが、山に行ってみると、中腹付近から山頂にかけて強風が吹いていた為にゴンドラが動かず、リフトはどこもスキーが流行っていた頃の様に人で溢れていた。
その頃に比べ明らかに違ったのは、海外からのツアー客の多さで、映画から出てきたような人たちが沢山いて、おもわず見とれてしまったけど、それ以上に興味をひかれたのか、ヘルメットなどに日本のアニメのステッカーを貼っている人を見かけた事だ。
一昔前なら考えられなかった事なだけに本当に驚いてしまった。

僕らは9時頃から移動を開始し、もはやリーゼンスラロームを滑る為ではなく、リーゼン小屋に行くために白樺ゲレンデからリフトに乗り、セントラルコースを名木山へ向けて滑降。名木山からトリプルに乗って、リーゼンクワットに乗り継ぎ中腹まで行くと、降りた所で「休憩ね」といって、テンションの高い友人はハイスピードでガンガン滑り降りて行った。目的地はむろんリーゼン小屋だ。取り残された僕は景色を観ながらゆっくりと滑降してゆき、小屋にたどり着いてみると、友人たちはすでにまったりをきめていて、思わず笑ってしまった。

友人たちはアルコールを、僕は帰りのドライバーの役目を担っているので紅茶を注文。ぐだぐだと30分ほど過ごした後、小屋の前にある第一リフトで上り、あっさりと下山。
友人曰く、「明日の仕事の事を考えたら、早く帰った方がいい」。
その意見に反対する者は皆無で、二日券はたいへん贅沢な使い方をされ終了した。

そして、再び八方の湯に浸かったあと、僕らは前日に協議して決めた、「山人」というお蕎麦屋さんへ向かった。ここは白馬村出身の上村愛子さんが以前テレビ番組でお勧めしていたお店であったので、うる覚えなキーワードからググってみるとやはりヒット。ナビゲーションは僕らを迷わず誘導した。

「山人」に入ると、座敷に上がり、僕らはめいめいに好みのお蕎麦を注文。期待を膨らませながら、お蕎麦を待つ。
配膳された蕎麦の口に運ぶと、期待とおりの旨さに思わず顔がほころぶ。ついでに頼んだ紫米おこわも大変美味しい。
その喜びは同時に、上村さんのファンで良かったと体感できた瞬間でもあった。
おかげで帰りの高速道路の道程もさほど苦痛に感じず、太陽が西に沈む頃に無事帰宅。

帰り際、僕らは「来年はどうなるか分からないな」と言いつつも「またな」と言って、それぞれの日常へ戻っていった。

映画「アメリカン・スナイパー」を観る。

2017-02-14 21:58:53 | 日記
クリント・イーストウッド監督作品の「アメリカン・スナイパー」を観る。
映画公開の前にアメリカ海兵隊の隊員に観てもらった処、そのリアルさに涙を流した隊員もいたほどに真に迫る作品なのです。

だから、自衛隊が南スーダンでのPKO活動時に目撃した「衝突」もしくは「戦闘」の記録に対して国会で議論した人達にぜひ観てほしいのです。
「衝突」と「戦闘」。言葉ではなく、実際には何が違うのか、言葉で世の中を築いてゆく事を生業としている人達ならば、そこを曖昧にしてはいけないと思うのです。
なぜならば、そこをおろそかにしては、大臣を変わったところで、護るべき人達を護ることが出来ないと思うからです。

雪を観ながらこう思う。

2017-02-11 21:37:41 | 日記
今年は雪の日が多い。それでも、高齢者の人達は口をそろえて昔はもっと寒かったよと言うので、やはり地球は温暖化しているのかもしれません。
しかし、へそ曲がりな僕は、地球温暖化を鵜呑みせず少し考えてみたのです。

もし、情報の通りに北極やアイスランドの氷が解けてなくなっているのなら、その冷たい水は大西洋に流れているはずです。
北大西洋から深層流として南半球を通り、インド洋や、太平洋で表層流に代わる海流が気候を安定させているとするなら、北大西洋に流れ込んだ冷たい水が深層流の水温を下げる事になれば、表層流の水温も下がるはずで、地球の表面積の70%が水であるから、理屈から言えば地球は水温によって冷やされて、気温も少しずつ下がってゆくのではないかと思うのです。
とすれば、地球の温度は上昇ではなく緩やかに下降していて、いずれ氷河期を迎えるのではないかと思う。このように考えると、この大雪にも納得がゆくのですが、本当の所は解りません。

もし仮に、地球温暖化を意図的にフェイクニュースとして流しているならば、その真実を知っている人もいるのでしょうね。



戦闘か。それとも衝突か。

2017-02-09 21:26:45 | 日記
朝刊の一面に、9条接触避け「衝突」の見出しを観る。

記事を読むと、稲田防衛相は、民進党の小山議員さんから、南スーダンPKOに参加している陸上自衛隊部隊の日報について、戦闘と武力衝突の違いについて質問され、稲田さんが「戦闘」という言葉を避けた理由について言及されていた。

気になったので、ネットで調べてみると、その日報は昨年の7月11日、12日に作成されたレポートであり、その当時の防衛大臣は中谷元さんであり、昨年の10月の参院予算委員会で野党議員さんが南スーダンの戦闘は「PKO五原則」に照らし合わせて問題があると追及すると、安倍宰相は「戦闘行為はなかった。しかし、武器を使って殺傷やあるいは物を破壊する行為はあった。衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と、答弁されていたそうである。

今回の衆院予算委員会での質疑応答でもやもやするのは、第三次安倍内閣発足から第一次改造(昨年の8月3日まで)の防衛相は中谷さんであり、昨年の参院予算委員会で問題提起をしていたはずなのに、そこで議論が止めてしまったことが問題であるように思う。

稲田さんを擁護するわけではないけれども、当事者ではない人に責任のあり方を追求しても事後報告でしかないから、巧く説明できないことが分かっていて、責任の所在を追及してゆくことに理由があるとしたら、防衛相の辞任か解散総選挙が狙いとしか読み取れない。

それでは、現場の人達が、どれほど声を上げて問題提起をしても、現場の声は届かず、責任者が公の場で「問題ありません」と言ってしまえば、それこそフェイクニュースになってしまい、多くの人が信じてしまいます。
それでは、現場の人達はたまったものではありません。踊る大捜査線の青島君ではないけれど、「どうして現場に血が流れるんだ!!」です。

また、もし戦闘に巻き込まれてしまったら「機動警察パトレイバー2劇場版」の柘植行人のような人が本当に出て来てしまうのではないでしょうか。
この問題は、深すぎて落としどころの見当がつきません。
だから、パトレイバー2に登場している荒川茂樹のセリフを記しておこうと思います。
「戦争だって、そんなものはとっくに始まってるさ。問題なのはいかにけりをつけるか。それだけだ」

フェイクニュース。

2017-02-08 22:22:44 | 日記
昨日と一昨日のクロ現+を録画で観る。
フェイクニュースというテーマはとても興味深いのですが、冗談では済まされない事態に発展する事がしばしば起こってしまうようです。
発信者が悪意や意図をもって発信する事も、ジョークとして発信する事もネットでは同列になってしまうことが冗談では済まなくなる原因になりますが、その情報を拡散してしまう人達が、情報をよく吟味せず拡散してしまう所にも問題があり、拡散する人の考えに合う情報なら、情報を吟味せず「事実だと」思い込み、拡散することにも問題があるようです。そして、そこに、善意や正義という感情が入り込んでしまうと情報は更に拡散され、フェイクが真実になり替わってしまうような気がしました。

また、フェイクニュースが、社会を動かす程に影響を与えてしまい、発信者が事の重大さを感じ、フェイクであることを発信しても、フェイクニュースのように拡散されないという事象は、おそらく、フェイクニュースに対し「私はその情報を知っていた」という、妄想的な前提が情報の拡散に拍車をかけたのではないかと思う。
だから、情報がフェイクであると発信者が発信しても、拡散した人達は「私はその情報を知っていた」と自負していた人たちであるから、「過ちを認める」ことを嫌う人達だったのではないかと思ったのです。そのように考えると訂正の情報の拡散が最小に留まった事にも納得がゆくのです。

情報は大切ですが、紙媒体と違ってネットニュースはネットワークに接続している不特定多数の人に発信されるものであるから、その影響力も大きい。
したがって、被害を回避するには、受信する側の「情報を吟味する力」が求められますが、人の感情は脆く移ろいやすいものであるから、気を付けていても、心に隙間が出来た時、フィットするフェイクを掴まされてしまうのかもしれません。

多くの人が楽しいと思う空間には必ず闇が存在します。ネットワークの空間も然りです。ですから、闇の部分を意識し、闇に引き込まれないように気を付けつつ、ネット空間を楽しんでゆきましょう。

義務教育。

2017-02-02 21:02:17 | 日記
今朝、ぼんやりと情報番組を観ていたら、私立中学を受験するために小学校を休む児童が増えているという情報を解説していた。それに対しコメンテイターの有識者さんは何か議論していたけれど、その情報は上の空で、「今の世の中ではそんなこともあるのか」といろいろ考えをめぐらした。

名門中学への受験を控えた子供たちの親は、合格させる事が目的であるから、無駄な行動やリスクは避けたいと考える。義務教育の学校では、合格させるための個人的な教育のサービスは受けられないので、塾へは通わせる。その考え方は理解できます。
塾も、少子化が進む中で、良い成績を残し、それをアナウンスし、来年の塾生を確保につなげ、利益を上げたいと思う考え方も理解できます。
いい中学に入り、いい高校に入り、いい大学へ入り、社会的地位の高い人になる事が、親御さんの願いであるから、小学校の僅かな時間はいずれ忘れ去られる取るに足らない時間だと考える事も理解できます。

しかし、社会資源である小学校に、個人が「選択と集中」を持ちこんで仕舞ったら、しかも、それを多くの人達によって肯定されたら、公共の社会資源は投資対象としての魅力を失い、共同体への教育の予算は削られ、子供を育てるコストが増える事により、少子化に拍車がかかり、その結果が子供たちに跳ね返ってゆくような気がしてなりません。

敗戦から70余年。義務教育という社会のルールが当たり前になってしまった今、なぜ義務教育が必要なのか、改めて考え直さなければならない所に来ているのかもしれません。