数日前、車の運転中にずっと考えて続けていた事が突然するりと思い浮かんだ。
介護職という職種は女性が主体であるから、男性社会では構築困難である男女共同参画という思想を以て共同体を構築してゆくことは、理想的な形であろうとずっと思っていた。
しかし、どうやらそれは女性が主体である介護現場でも困難なのだという結論にたどり着いた。
男女共同参画が進まない本当の理由は、男女と言う性差ではなく、個人が有する資質によるところが大きいのではないかと思う。僕は介護職員になる前は男性社会で生きる会社員だった。その中での男性社員から見る女性のポジションは誰もが「女なんだから・・・」という扱いであった。僕はそのことにずっと違和感を抱いたこともあって、介護職に転職した時、「これで、性差問題に疑問を懐かなくて済む」と思った。
しかし、現状はそうではなく、女性が主体の社会に身を置くようになったら、執拗に揚げ足を取ろうとしたり、「男のくせに」と言ったりする女性の多い事に閉口した。
共同参画なのだから、双方が歩み寄ることが必要であり、お互いさま、助け合いが持続可能な共同体を育んでゆくのだと思うが、女性主体の社会でも、巧く表現できないが「ソフト」なだけで、何ら変わりはしなかった。
男性社会は既に完成されたものなので、男性が存在する限り崩れはしないが、介護職のような主な収入源が限定された公費という特殊な社会での女性社会で、男性社会の側面のように感情に任せて自己の権利ばかりを主張し、自己利益を追求してしまえば、地盤が固まっていない未成熟な共同体はたちまち衰弱してゆくのではないかと危惧する。
また、介護現場に身を置くメインの女性の多くが、バブル期を謳歌した人になってきているからかもしれないが、自身の感情を重視する人であり、その人たちは同時に、バブルがはじける前の頃と同じような空気感を漂わせているように感じられ、僕の目には介護現場と言う共同体が破たんする事を無意識に望んでいるように映っているのです。
話がそれてしまったが、現在でも男性社会では「女なんだから」という人が存在し、女性社会にも「男のくせに」という人が存在しており、互いに非難し合い、収益を公平に分配する事より自己利益の追求を是とする人がどちらの社会にも存在しているのである。これでは、共同参画はありえない。
つまり、男女共同参画とは、互いに知性を働かせ、互いの短所を補い合おうとしない限り成立しえない社会だと言える。
フィールドワークを通して個人的考察のたどり着いた結論は絶望的であり、諦めてしまえばおしまいであるが、他者を変えることは出来ないという事実の前ではどうする事も出来ないのである。
介護職という職種は女性が主体であるから、男性社会では構築困難である男女共同参画という思想を以て共同体を構築してゆくことは、理想的な形であろうとずっと思っていた。
しかし、どうやらそれは女性が主体である介護現場でも困難なのだという結論にたどり着いた。
男女共同参画が進まない本当の理由は、男女と言う性差ではなく、個人が有する資質によるところが大きいのではないかと思う。僕は介護職員になる前は男性社会で生きる会社員だった。その中での男性社員から見る女性のポジションは誰もが「女なんだから・・・」という扱いであった。僕はそのことにずっと違和感を抱いたこともあって、介護職に転職した時、「これで、性差問題に疑問を懐かなくて済む」と思った。
しかし、現状はそうではなく、女性が主体の社会に身を置くようになったら、執拗に揚げ足を取ろうとしたり、「男のくせに」と言ったりする女性の多い事に閉口した。
共同参画なのだから、双方が歩み寄ることが必要であり、お互いさま、助け合いが持続可能な共同体を育んでゆくのだと思うが、女性主体の社会でも、巧く表現できないが「ソフト」なだけで、何ら変わりはしなかった。
男性社会は既に完成されたものなので、男性が存在する限り崩れはしないが、介護職のような主な収入源が限定された公費という特殊な社会での女性社会で、男性社会の側面のように感情に任せて自己の権利ばかりを主張し、自己利益を追求してしまえば、地盤が固まっていない未成熟な共同体はたちまち衰弱してゆくのではないかと危惧する。
また、介護現場に身を置くメインの女性の多くが、バブル期を謳歌した人になってきているからかもしれないが、自身の感情を重視する人であり、その人たちは同時に、バブルがはじける前の頃と同じような空気感を漂わせているように感じられ、僕の目には介護現場と言う共同体が破たんする事を無意識に望んでいるように映っているのです。
話がそれてしまったが、現在でも男性社会では「女なんだから」という人が存在し、女性社会にも「男のくせに」という人が存在しており、互いに非難し合い、収益を公平に分配する事より自己利益の追求を是とする人がどちらの社会にも存在しているのである。これでは、共同参画はありえない。
つまり、男女共同参画とは、互いに知性を働かせ、互いの短所を補い合おうとしない限り成立しえない社会だと言える。
フィールドワークを通して個人的考察のたどり着いた結論は絶望的であり、諦めてしまえばおしまいであるが、他者を変えることは出来ないという事実の前ではどうする事も出来ないのである。