僕のブログを読みに来ていただける方ならうすうす気づいているのではと思いますが、事あって現在は車の運転を生業としています。(介護現場を離れた理由はもう少し気持ちの整理がついてから書き残してゆこうと思います)
なので職業柄、運転時間は長くなり、仕事中に様々な気になる事に出くわす機会も増えました。
今日は、その気になる事の中から、「信号待ち」での事象を一石。
前の車一台を挟んでの信号待ち。前方の信号が青に変わり、信号に従って進もうとすると、信号が変わったにもかかわらず、全車が発信しない。
こんな時、いつも頭の中で数を8まで数えてから軽くクラクションを鳴らすことにしている。
それは信号が変わってすぐに動き出さない理由がいくつか考えられるからであるが、なぜかクラクションを鳴らしても発進しない車があります。
クラクションを鳴らす前に前者のバックミラーやサイドミラーで様子を探ってみると、ほとんどの場合スマホをいじっているので気にしないのですが、驚くのは、8秒待ってクラクションを鳴らしても動かない人がいるのである。
さらに、軽くクラクションを鳴らしても一向に動かない。
後ろに待っている車があると、さすがに焦ってしまうが、煽る様なクラクションの鳴らし方をすると、トラブルに巻き込まれてしまう危険性もあるので、それはぐっと我慢。
様子をうかがっていると、どうやら、切りのいいところまでスマホを触っていたいようす。落ち着いて再度軽くクラクションを鳴らすと、何事もなかったかのようにようやく走り始める。
思わずため息が漏れる。
信号が青に変わってから20秒弱。こういうケースが増えたように感じる。
その事象は、人が、公共性よりも個人の感情を優先することを無意識下で選択していると言えるのかもしれない。
平成後期に生まれた人たちは誕生の瞬間からスマホが存在しているので、スマホを持てない生活環境でない限り「無い生活は無い」と言い切れ、それは多くの人がスマホに依存するという事になると思う。
また、海外移住者のドライバーも増加傾向にあるので、「公共性より個人」という思考を持った人もそこに加わることになるのではと思う。
したがって、今後上記のような事象は増加してゆくのではないだろうか。そして、運転中、スマホが手元にある事で大きなトラブルにつながるのではないだろうかと心配しつつ、日々安全運転に勤めている今日この頃です。
なので職業柄、運転時間は長くなり、仕事中に様々な気になる事に出くわす機会も増えました。
今日は、その気になる事の中から、「信号待ち」での事象を一石。
前の車一台を挟んでの信号待ち。前方の信号が青に変わり、信号に従って進もうとすると、信号が変わったにもかかわらず、全車が発信しない。
こんな時、いつも頭の中で数を8まで数えてから軽くクラクションを鳴らすことにしている。
それは信号が変わってすぐに動き出さない理由がいくつか考えられるからであるが、なぜかクラクションを鳴らしても発進しない車があります。
クラクションを鳴らす前に前者のバックミラーやサイドミラーで様子を探ってみると、ほとんどの場合スマホをいじっているので気にしないのですが、驚くのは、8秒待ってクラクションを鳴らしても動かない人がいるのである。
さらに、軽くクラクションを鳴らしても一向に動かない。
後ろに待っている車があると、さすがに焦ってしまうが、煽る様なクラクションの鳴らし方をすると、トラブルに巻き込まれてしまう危険性もあるので、それはぐっと我慢。
様子をうかがっていると、どうやら、切りのいいところまでスマホを触っていたいようす。落ち着いて再度軽くクラクションを鳴らすと、何事もなかったかのようにようやく走り始める。
思わずため息が漏れる。
信号が青に変わってから20秒弱。こういうケースが増えたように感じる。
その事象は、人が、公共性よりも個人の感情を優先することを無意識下で選択していると言えるのかもしれない。
平成後期に生まれた人たちは誕生の瞬間からスマホが存在しているので、スマホを持てない生活環境でない限り「無い生活は無い」と言い切れ、それは多くの人がスマホに依存するという事になると思う。
また、海外移住者のドライバーも増加傾向にあるので、「公共性より個人」という思考を持った人もそこに加わることになるのではと思う。
したがって、今後上記のような事象は増加してゆくのではないだろうか。そして、運転中、スマホが手元にある事で大きなトラブルにつながるのではないだろうかと心配しつつ、日々安全運転に勤めている今日この頃です。